膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
歴史読本連載「信長―狂乱と冷徹の軍事カリスマ―」第6回

現在発売中の6月号掲載分です。
先月下旬には発売されていましたから、少し紹介が遅れました。

今回のタイトルは表題の通りです。
〜前夜で、なかなか桶狭間合戦に入れません。
このペースでは2年間で書ききれなくなる恐れもあります。
もう少しペース配分を考えたほうがいいと思いますが、桶狭間合戦だけはゆるがせにできないので、痛し痒しです。

さて、今回は岩倉城の伊勢守織田家との最終的な対決を書きました。
信長と岩倉方が戦った浮野合戦について、『信長公記』首巻の記述だけではとてももの足りないので、『甫庵信長記』『武功夜話』などを援用してみました。
これらの軍記物は史料的な信頼性という点では少し疑問符がつきますが、慎重に補足的に使用してもよいのではと思っています。
とくに『武功夜話』に関しては、近年、筆誅されておりますが、少なくとも浮野合戦で織田方が付城を築いたという記事は首巻には見えませんが、この合戦の不明な点を補う典拠になるのではと思っています。
というのも、同書における前野長康の記事が、首巻とも合致しているように見えるからです。

あと、首巻は天理本も紹介しました。
斎藤道三が討死した長良川合戦で、信長は救援に赴きますが、間に合いませんでした。
織田軍は美濃太良というところに陣を構えていましたが、そこからの退却戦の様子が、陽明本と天理本では異なります。
とくに天理本の記述が面白いです。
信長は家来たちを先に退却させたうえで、自分一人残って殿(しんがり)します。そして鉄砲を放って斎藤方を撃退するというかっこよさです。
天理本には「御一人残り候」とありますが、おそらく助手というか、弾込めする中間か小者も随伴していたはずで、信長は何挺かの鉄砲を装填させながら、次々と発射したものでしょう。橋本一巴に習った腕前は相当なものだったと想像されます。斎藤方が撃退されたというのがそのことを示しています。

といったような内容を書いております。

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昨日早朝から一泊で名古屋に出張。
恒例の「信長記」調査である。

名古屋市博物館に10時に入館。研究者仲間5人で。
学芸員のT居さん、O村さんに迎えていただき、2日間にわたって親身にお世話していただく。

今回の目的は、信長の弟、有楽斎の子孫宅に伝わる「信長記」その他の史料。
ご当主もおいでになる。有楽流の茶道の家元をされている。ご高齢にもかかわらず、大変お元気で、気さく、話し好きな方だった。

「信長記」調査はなかなかの収穫。
写本の系統もだいたいわかった。
何より、太田牛一の自筆本があったのがすごい。
さらに、首巻の異本かと思われるものもあった。
そして、当織田家の当主長清が編纂した「織田真紀」があった。その草稿本もあって興味深い。
ほかにも、信長文書、足利義昭の御内書、有楽斎書状、豊臣秀次朱印状など、多種多様。

あまりの質量の多さに、結局、2日間ですべて撮影しきれず、新年度になってから再調査することになった。
2日目は織豊研究で著名な三鬼清一郎氏も陣中見舞いにおいでになり、ごあいさつする。

余談
2日目は名古屋国際女子マラソンの日。同博物館の前もコースになっていて、7キロ地点の給水所だった。昼食後、一時、選手たちの応援をする。携帯で撮影してみた。
マラソン


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歴史読本4月号の掲載誌が届く

連載ももう4回目となった。
書店にも明日あたり並んでいるかもしれない。

今回は、信長の初期の戦いである赤塚合戦にこだわってみました。
ほとんど知られていない戦いですが、信長の軍事力編成上、重要な位置にあるのではないかと思った次第。

ただ、あわてて作ったため、図版が不十分。
信長が布陣する「三の山」と、山口九郎二郎が布陣する「赤塚」の、2つの地名が載っていない(汗)。
信長のいるところが「三の山」(推定地、現・三王山)で、鳴海城にいた九郎二郎が移動した地点が赤塚です。
あまり見てくれる人はいないでしょうが、一応、ここで補足しておきます。

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日次記です。

20日(水)
夜、島津晴久氏(重富島津家当主)より電話あり。
18日に江戸東京博物館で、関係者・招待者だけによる「篤姫」展の事前内覧があり、それに参加された報告を聞く。じつはさるお願い事をしており、その結果を伝えていただいた。
何と、その場に、ゲストとして宮崎あおい、瑛太の主役2人も来ていたとか。
事前に知っていたら、何とか潜り込んだのに。

21日(木)
南日本新聞の連載「さつま人国誌」で、しばらく小松帯刀の連載をすることにした。
5月下旬の講演会もあり、その前宣伝の意味と、やはり小松の知られざる面を多くの人に知ってもらいたいためである。
今週土曜日が1回目掲載で、5回つづける予定。

同じく上記連載の新ネタ。
宮崎方面のある史跡写真をブログで知りあった方から送っていただく。
前から関心があった事件だったが、写真がないために書けずにいた。
いい写真をたくさん送ってもらった。
これで書けるメドがたった。
まことに有難い。
最近、ブログを通じたステキなネットワークが構築できているのを実感する。

幕末京都のこの間の懸案事項。
中村武生氏のブログでも話題になっている件。
とある近世朝幕関係史に詳しい研究者に思い切ってお尋ねすることにした。
朗報があればいいな……。

夕刻、「兼見卿記」輪読会。
神保町の某女子大にて。
今回は参加者が多かった。
天正15年(1587)を読んでいるが、なかなか面白い。
ある遠州の僧侶が、霊夢を見たとして賜ったという正親町天皇の古い御製を持参して、そのお墨付きを得ようとした、一種の詐偽事件の記事あり。
けちくさくて面白い。
といっても、読んでいる当人たちでないと、ブログでは伝わらないかもしれない。

新書の初校ゲラの校正が滞ったままである。
早くやらないといけないが、他の仕事があってなかなか手をつけられないでいる。
歴読の連載もすぐ締切が来る。急いで書かねば。
桶狭間合戦に入るかどうか、迷っているところ。

どの仕事も中途半端で、なかなか収拾と区切りがつかない。このどっちつかずの状態を早く何とか立て直したいが、やるっきゃないだろう。

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太田牛一筆『信長記』諸本の調査を再開。

本日早朝、東京国立博物館に行き、所蔵の『信長公記』と甫庵『信長記』を閲覧、撮影。
応対してくれた研究員のTさんはとても親切な方で、いろいろ便宜を図っていただいた。多謝。

『信長公記』は黒川真頼所蔵のものか。
一部虫損があったが、とても保存状態がよかった。

全撮だったので、夕方までかかる。
初めて東博の研究部門に入館した。セキュリティも厳しい。スペース的には、以前お邪魔した京博のほうが広かったような気もする。

昼食は時間がなく、向かいの東京芸大の学食でとった。いかにも昔風の学食で非常に懐かしかった。

閉館まで1時間ほど余裕があったので、特別展の「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」 を駆け足で鑑賞した。さすがに1000年の歴史を誇る藤原北家・近衛家である。「御堂関白記」など目もくらむばかりの展示品だった。
ただ、織豊期は冷遇されていた感じ。書の三藐院流として知られる近衛信尹の書がとても多かった。信尹は前久の嫡男。先日、南日本新聞連載コラムにも薩摩への配流を書いたことがある。

明日もまた調査。
東急の五島美術館である。早起きしなければならない。
風邪気味の体にはこたえるなあ。

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