歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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日次記です。

24日(火)
19:00から日比谷で「てらこや」講座に出講。
今回は「保古飛呂比」14回目。
テーマは「兵庫開港問題とパークス一行伏見通過事件」。
英国公使パークス一行が伏見を通過したのをきっかけに、朝廷で議奏・武家伝奏4名が罷免された一件はこれまであまり検討されていないのではないだろうか。
『中山忠能日記』『続再夢紀事』などから、この事件を少し詳しく見た。
とくに会津藩・秋月悌次郎はこの事件を画策したのは小松帯刀だと、越前藩に訴えている。
これについては、連載「さつま人国誌」第218回(ここです)で、ちょうどこの事件を報告した小松書簡を紹介したことがある。
パークスにはパークスの思惑があり、一方で小松も四侯会議を前に、朝廷人事刷新を訴えているという微妙な関係にある。上記書簡では、小松はこの事件の事情はよく知らず、あとからわかった」と釈明している。さて、真相はいかに?

25日(水)
午前中は国会図書館に史料閲覧・複写に行く。
新システムになってから初めて。
慣れていないせいもあるが、やはり何となく使いづらい感じ。
PC端末での蔵書検索・閲覧申し込みもちょっと具合が悪かった。
利用者再登録を早くやらないと、以前の登録が取り消されてしまうみたいだ。それと、利用者登録するとしないとでは利用条件が雲泥の差になるようだ。登録しないで当日の臨時カードで入館すると、閲覧はできるが、複写などのサービスは不可のようだ。要注意です。
いずれにしろ、従来より規制が強化された感じだ。同館では以前、利用者の閲覧履歴をよそに提供した過去もあるからな。


午後から霞会館に行く。
時間が押していたので、地下鉄永田町駅から赤坂見附駅までの地下連絡通路を歩いたら、長い長い。寒いのに一汗かいてしまった。
大久保利泰氏(利通曽孫)を訪ねる。
用件は霞会館の関連団体である尚友倶楽部からの講演依頼についての打ち合わせ。
大久保さんは尚友倶楽部の世話人もされている由。担当者Uさんを紹介される。何と、水野勝成のご子孫とか。
演題は「龍馬暗殺―薩摩黒幕説の背景―」となる。日にちは来月14日。
尚友倶楽部は、旧伯爵・子爵と旧貴族院の勅選議員が会員とか。
当会は明治~昭和期のいい史料集を刊行している。
いろいろ見せていただいた。個人的には『山県有朋関係文書』『品川弥二郎文書』が興味深かった。

26日(木)
午前中、東京駅から新幹線に乗る。
名古屋の中日文化センターで講座「信長公記を読み解く」に出講。
今回は第6クールの第1回。通回だと、31回目か。
今回のテーマは「雑賀攻めと松永久秀の滅亡」
ようやく天正5年(1577)に入りました。
雑賀衆とは何ぞやという話をしました。フロイスの有名な記録や武内善信さんの論文などを紹介。
雑賀一揆(惣郷集団)と雑賀一向宗は組織原理が異なり、分けて考えたほうがよいことを話す。
あと、雑賀には本願寺門徒だけでなく、浄土宗(鎮西派と西山派)、新義真言宗など諸宗派が混在していることも話す。
結局、また盛り込みすぎで、松永久秀の最期については次回まわしとなりました。

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【2012/01/28 20:33】 | 日次記
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日次記です。

1日(月)
雑誌連載の単行本化にあたり、入稿のため拙稿の構成変更や大幅な手直しを何とか終了して送稿。
でも、これからがまだ大変なのだ。何せ初校ゲラが出てくるのはこれからなんだから。

2日(火)
夕方、神保町へ。
小学館の古文書特別講座「てらこや」に出講。

佐佐木高行の『保古飛呂比』の7回目。
今回は、佐佐木がまとめた長文の土佐藩幕末前史を読む。
「おこぜ組」や「新おこぜ組」、「五十人組」などをおさらい。
土佐藩の内部抗争史を見ていると、主義主張というよりは、門閥派と藩主の後押しを得た「改革派」(どちらかといえば、門地家柄が低い)の対立で、前者が後者を押しつぶすことがくり返されているような印象。

とくに「おこぜ組」の首領、馬淵嘉平の「心学」を軸とした結社の秘密性、閉鎖性が党派としての台頭をもたらす要因になると同時に、門閥派や反対派から「伴天連」などとレッテルを張られて攻撃されるきっかけも与えたように思われる。
馬淵の「心学」とは果たしてどんなものだったのだろうか? 石田梅岩の「石門心学」と違うのか否か? 馬淵が「心学」に独自の工夫をしたと佐佐木が書いているから、だいぶ違うものだったのだろうな。不勉強で知らないが、先行研究はあるのだろうか?
幕末のトンデモ本に「フリーメーソン」ネタがあるけど、馬淵の「心学」こそそんな風に見えるけどなあ。

3日(水)
一昨日送稿したはずの拙稿、編集部からwordファイルがおかしいとの連絡。
改行などの処理がすべて吹っ飛んでいて、テキストデータみたいになっているとのこと。
一太郎文書をword文書にコピーしたせいかと思ったが、いままでそんなトラブルはなかった。
あるいは、wordのヴァージョン違いではないかと思ったら、どうやら当たりだった。

4日(木)
南日本新聞の連載原稿の単行本の初校ゲラ校正を先週からやっているが、なかなか終わらない。
ようやく参考文献の注記が終わった。
前作の反省点として、参考文献の注記が中途半端だったので、なるべく多く付けようと思い、やりはじめたら大変だった。机まわりは史料本が山積みになってしまって、通行もままならない(笑)。
連載56回分を一冊にまとめたが、1回につき、平均して5個程度の参考文献があるので、全部で200以上になる。
出典を忘れていたり、史料番号の確認などに手間どったが、これだけはようやく終わった。
小見出し付けと本文校正はこれから。

5日(金)
午後から新宿で某社の編集長、編プロさんと打ち合わせ。
前回大まかに打ち合わせ済みだったが、正式な決定だとか。
また締切を切られてしまい、今年はじめと同じように、また自分の首を絞めそうな予感。

6日(土)
午前中、南日本新聞の連載原稿を何とか仕上げる。
午後から半蔵門の日本カメラ博物館と併設のJCIIフォトサロンでのトークショーを拝聴。
古写真研究者の石黒敬章さんと井桜直美さんが「幕末・明治維新を生き抜いた人々」について語るというもの。
開始の直前に行くと、会場は満員だった。
井桜さんは古写真に写る人間(とくに日本人)の顔色がなぜ黒っぽいのかを多くの古写真を比較しながら追求された。黒く写るのは室内で素顔のせい、戸外だったり、白粉を塗ると白く写るそうで、男性も白粉を塗って撮影した可能性大という話だった。
最初にあったジョセフ彦など漂流漁民の写真がとくに面白かった。

石黒さんは秘蔵写真から、龍馬、勝海舟、西郷隆盛などの写真・肖像画の解析。
とくに興味深かったのは、松木弘安こと寺島宗則の若い頃の坊主頭の写真。はじめて見た。寺島がまだ医者だった頃に撮影したものだろうか。
石黒さんがあんなにダジャレを飛ばす方だとは知らなかった(笑)。

会場には、M川さん、M重さん、K持さん、S木さんなど知り合いの方々もおいで。
釣洋一さんにも久しぶりにお会いした。お元気そうで何より。
終了後、近くの喫茶店でM重さんが入手した某薩摩藩士の古写真と古文書を見せてもらう。古写真は注目すべきものだった。そのうち、ご本人が何らかの形で公表されることだろう。
新聞連載のゲラ校正が残っていたので、早めに失礼した。

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【2011/08/07 21:05】 | 日次記
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松木弘安の写真
森重和雄
桐野さま

先日はまたいろいろとご教授くださいまして、どうもありがとうございました。
お礼申し上げます。

さて、先日、桐野さんが日本カメラ博物館でご覧になった松木弘安の写真は、一番古い写真の一枚で、松木が蕃書調所教授手伝に復職後の、文久元年(1861年)12月の第一回幕府遣欧使節で、傭医師兼翻訳方の資格で随行した際にで撮影された有名な写真です。
撮影者はディッキンソンという写真師です。


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7月15、16日

上洛した。
いつもはこの時期、酷暑の洛中に行くのは避けているのだが、今回は目的があった。
以前、大久保利通寓居跡近くに「紙商西村」という薩摩藩とゆかりの商家があり、建物とともに子孫の方も現存されていることを紹介したことがある。ここの2階には黒田清隆が下宿し、坂本龍馬も訪ねてきたという面白い所。
しかも、その方、中川さんは私の講座を受講されている。

「紙商西村」は禁門の変で焼失したが、すぐさま再建され、そのまま母屋や土蔵が現存している。
すぐ近くの同志社大学が幕末の京都の町屋を活用しようと、「でまち家」という同志社セミナーハウスに変身した。
ここの土蔵には幕末前後の古文書がかなり眠っており、中川さんが独力で整理されている。
今回、その披露があり、中川さんのお誘いで同志社大学の関係者とともに閲覧の栄に浴した。

丹波屋という屋号をもっていた同家は界隈の町人たちとともに、天皇の行幸の鳳輦を担う駕輿丁(かよちょう)という特別な役をつとめていた。
その関係の史料が残っている。
とくに幕末になると、孝明天皇や明治天皇が遠方に行幸するようになる。
明治元年の大坂行幸、そして江戸行幸である。
その道中日記も残っており驚いた。街道筋の宿泊の様子がよくわかる。駕輿丁の目から見た行幸というのも興味深い。
ほかにも官務の小槻家の手になる駕輿丁の補任状とか、商家らしく大福帳や算用帳、証文の類が多数あった。
同志社大学のほうで、この古文書の活用を検討するそうである。

「でまち屋」では同大学の歴史資料館や文化史学科の先生、職員、院生の方々にご挨拶した。
とくに、中川さんのお勧めで、浜中邦弘さん、小枝弘和さんと宴席を囲み、懇談して多くの示唆や情報を得た。有難い限りである。
また小枝さんからは北海道の有名なクラーク博士についての研究書『William Smith Clarkの教育思想の研究』(思文閣出版、2010年)を頂戴した。記して御礼申し上げます。

翌日、いくつか史跡めぐりをしたが、洛中は祇園祭りの宵山で、四条通り界隈はすごい人出だった。
あちこちに山鉾があり、壮観な眺めだった。
祇園祭、宵山の時期に在洛していたのは、じつに大学時代以来だと記憶している。だから、初めてではなかったが、とても新鮮だった。代表的な鉾である舩鉾と長刀鉾の写真を載せておきます。

舩鉾

長刀鉾

その後、寺町の京都市歴史資料館に、ある古絵図の閲覧に出かけたが、あいにく土曜日は閲覧は不可とのことで残念。もう少し事前に調べておくべきだった。
その代わり、当日からテーマ展「二条城 -そのはじまりと周辺-」が開催されており、拝観した。聚楽第図なども展示されていて、これまた面白く拝観した。

それから寺町通りを下ると、同志社の創立者、新島襄記念館があるのを覚えていたので見学。
二階建ての瀟洒な洋館である。新島襄・八重夫妻の写真や襄の書斎などがあった。
さすがに再来年の大河ドラマだけに、見学者が多かった。

新島襄記念館

暑さのため、史跡見学は早めに切り上げて帰ることにした。

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【2011/07/18 19:47】 | 日次記
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このところ更新がままなりません。
ご恵贈いただいた論著もたまっています。早く紹介してお礼を述べないと。

簡単に日次を。

4月21日(木)
新出の西郷隆盛書簡を某古書店より購入。
『西郷隆盛全集』にも収録されていないし、西郷の生涯でも重要な転機となった一件に関わるものだけに貴重な史料だと思う。
もっとも、大した散財でございました、はい。
そのうち公表したいと思うが、なかなか読みづらい(汗)。

夕刻、新刊拙著『江の生涯を歩く』(ベスト新書)の見本届く。
編集担当者のYさんとささやかな一献。

4月23日(土)
11:00から目白の学習院大学で、大久保利泰氏(利通曽孫)の講演を拝聴。
同大学講座主催だったにもかかわらず、多くの受講者。そのために、教室が変更になったほど。
とくに、甲東が明治初年に政府の揺るがぬ方針を厳守する建白三カ条草案の写真版を初めて見た。甲東の筆は読みやすい(西郷と比べるととくに)。また先日の展示で見損ねた明治20年代の甲東の墓(青山墓地)の古写真も拝見。ほんとに洋風な神式墓地である。

終了後、利泰さんにご挨拶。
その後、新旧の研究者仲間とお茶。古写真研究の大家である石黒敬章氏もお見えで、ご挨拶。

4月26日(火)
午前中に佐倉の歴史民俗博物館に木戸孝允家写真の展示会を見学。
相変わらず佐倉は遠い。

4月28日(木)
午前中、新幹線で名古屋へ。
午後から中日文化センターの講座「信長公記を読み解く」に出講。
もう第4クールの4回目。つまり、22回目である。
相変わらず多くの受講者がおいでで感謝するばかり。

今回は薄濃と蘭奢待と賀茂競馬について。
とくに信長の蘭奢待切り取りに時間をかけた。
蘭奢待については、近年の金子拓氏の研究がある。
それに拠りながら、傍若無人な信長、天皇を圧迫する信長という従来のイメージがいかに史料に基づかないフィクションであるかを強調。
とくに金子氏が「内侍宣」と名づけた宮廷女官の文書を詳しく読み解く。
正親町天皇の非難が信長ではなく、藤氏長者の関白二条晴良に向けられていることを確認。

終了後、上洛。
友人の研究者中村武生氏の紹介により、京都新聞のS記者とお会いする。
新刊拙著について取材を受ける。有難い。

その後、中村氏の研究室に行き、彼のグループの方々と懇談、宴会。
スーちゃん追悼のため、キャンディーズの曲が流れるなか、夜が更けた。

29日(金)
これまで積み残していた史跡や新たにめぐりたい史跡を終日見て回る。
京都の友人に貴重な情報を教えてもらって、某寺址で豊臣秀次・秀勝兄弟の父、三好吉房の墓発見。松永久秀もあった。
また某寺某塔頭の見事な宝筐印塔群を参拝。
おそらく豊臣完子(江の一女)の正式の墓はここにある。
鳥羽伏見の戦いで戦死した長州藩兵士の墓も見学した。
おそらく10キロ以上歩いたはず。とくにアップダウンが多くてつらかった。おかげで、足が棒のようになり、ふくらはぎに乳酸が溜まりました。
帰りの新幹線は爆睡でした(笑)。

4月30日(土)
南日本新聞「さつま人国誌」の原稿執筆。
当初考えていたテーマを形を変えて書くことに方針変更。
正しい判断だと思うが、その代わり、作業量が増えてあたふた。
その間、出入りもあり集中できず、ようやく夕方に送稿。

5月1日(日)
朝、身内の法事のため、埼玉県某市斎場へ。
以前行ったときはすごく遠かった記憶があるが、湘南新宿ラインのおかげですぐ着いた。
久しぶりに甥と姪に会う。
雑誌記事の校正はかどらず。
マツノ書店より新刊復刻の『回天艦長甲賀源吾伝』『維新史料編纂会講演速記録』一~三をご恵贈いただく。感謝。
詳しくは同店サイトのここをご覧下さい。関心のある方はお問い合わせ下さい。

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【2011/05/02 09:51】 | 日次記
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日次記です。

10日(木)
早起きして羽田に向かう。
早起きしすぎたためか、2時間近くも待ち時間があった。

鹿児島空港に着くと、県庁の方(青少年男女共同参画課)がお出迎えで恐縮する。
車で鹿児島県資料センター黎明館まで送迎してもらう。

イベントは「かごしま地域塾推進大会」というもので、地域で活動している諸団体の報告や実演などがあった。
私の講演はイベントの最後に組まれていた。
演題は「幕末薩摩の人々に学ぶ」というもの。
主催者が青少年教育の担当部署だが、もともと教育寄りの話はできないので、歴史上の出来事や人物から教訓をくみ取るというスタンスでお話しさせてほしいとお断りした。

事前にお話をいただいたときには、郷中教育にも触れてもらいたいとのことだったので、新納忠元が制定したとされる「二才咄格式定目」(にせばなしきゃくしきじょうもく)について、その成立背景や目的・趣旨などを簡単に説明し、そのなかに盛り込まれている「穿儀」という言葉に注目すべきだろうという話をした。

郷中教育は前近代の産物で、忠孝の倫理と武士道の実践を眼目にしているだけに、現代では受け入れがたい面があるのを踏まえつつ、「山坂達者」(山岳歩行による鍛錬)などの体育面と、「僉議」(詮議)という横のつながり(相互批判による判断力涵養)は今日的に読み替え可能ではといった趣旨である。

あと、幕末薩摩の人々として、島津斉彬、西郷隆盛、大久保利通の3人の逸話を紹介した。3人とも超有名人だが、どれもあまり知られていない逸話を披露したので、少しは意外性があったかもしれない。

夜は加治木家の当主島津義秀氏のお招きで、薩摩ISHIN祭の方々との懇親会に参加。
黒豚しゃぶしゃぶを堪能しながら懇談した。
とくに島津義弘の評価、第17代当主なのか否かについて私見を述べる。納得していただいたかどうかはわからない。

そうそう、参加のお一人から「天吹」(てんぷく)という薩摩独特の笛を頂戴した。私のためにわざわざ作っていただいたそうで、感謝することしきりである。
尺八を短くしたもので、穿穴の数も少ない。唇に上面をあてて吹くものらしい。実演をしていただいたが、帰宅してから吹いてみたけど、さっぱり音が出ない(汗)。何せ音を出すだけで3カ月かかるというから、どうしたものか。

3次会まであって、アルコールに弱い私は大変でした。でも、最後にいただいた赤ワインはおいしかったです。

11日(金)
翌朝、弟家族の車で出水の実家に帰省。
母の一周忌の法事をおこなった。
親戚や友人の方々をお招きして小規模な懇親会。
最近、親戚とも冠婚葬祭でしか会わないなと思う。

法事終了後、母のあとに亡くなった伯母に焼香のため、いとこの家に行く。
県境を越えて水俣にある。
懇親会で、そのいとこに徳富蘇峰・蘆花兄弟の生家はどの辺なのか、たまたま尋ねていたため、いとこがわざわざ兄弟の生家に連れて行ってくれた。
私は郊外にあるのかと思っていたら、町中にあるのがわかって少し意外だった。
兄弟の生家はもともと豪農だったが、回船業と造り酒屋で財をなしたらしい。
生家もほぼそのまま建物や内庭が残っていて、内部は見学可能な展示スペースになっていた。
兄弟の父一敬(かずたか、淇水と号す)は横井小楠の高弟にして相婿。
坂本龍馬が慶応元年(1865)に薩摩から北上して熊本の小楠を訪ねたとき、一敬も居合わせ、龍馬の様子を書き記している。色の浅黒い大男で、琉球絣を着して薩摩拵の大小を差しており、どれも大久保一蔵から用意してもらったと龍馬が語ったという。龍馬が薩摩武士に扮していたことがわかる貴重な手記である。

残念だったのはカメラを持参しなかったこと。
先月、名古屋での講座のあとに知多半島の大野城跡を見学したとき、手持ちのコンパクトデジカメが不調でシャッターが押せなくなった。おそらくおシャカになったと思う。思えば、2年ほど前一眼レフ故障のときに応急で買ったものだが、初期不良でまったく作動せず、あとで交換してもらった、いわくつきのカメラ。手ぶれも多かったし、まったく未練はない。
まあ、天下のニコンの名が泣く粗悪品だわな。金輪際ニコン製品は購入しないことにした。
かといって、一眼レフを持参するのは大げさだったので、カメラを持って行かなかったのである。
再訪の機会があるかどうかわからないので、唯一の心残りである。

その後、いとこの家で焼香。
子どもの頃、よく遊んだ家で懐かしかった。

それからリムジンで空港に向かう。
21時過ぎに羽田着。

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【2011/02/13 12:43】 | 日次記
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リンクさせていただきました
古瀬 徹
初めて失礼します。

先日の南日本新聞の貴稿拝読し、「島津義久」読みました。

このことを
拙ブログ「大隅国高山郷の歴史」K0138に書きました。

今日は、貴ブログのことをtwitterで知り
ランクさせていただきました。K0144

鹿児島へは5年前に来ました。
4月で70歳です。
歴史はまったくの素人です。


上川路 直光
先日の夜は貴重なお話ありがとうございました。
天吹は音が出るまで苦労しますが、
どうぞ鹿児島の文化を堪能されてください。

またお会いできることを楽しみにしております。

なんと
岩剣石塁
講演があったこと、今知りました(泣)


164go
出水に帰郷されておられたのですね。
武本、それから熊本水俣には
従兄弟がおります。

徳富蘇峰の生家、機会があれば
行ってみたいと思います。


すみません
桐野
岩剣石塁さん

お久しぶりです。
講演の告知ができず、すみません。
おそらく関係者だけの会でしたので、外部には告知できなかったと思います。

すでに予定されているのでは、今年9月25日(日)、宝山ホールでの講演があります。
ぜひご参加下さいませ。

ブログ拝見
桐野
古瀬 徹さん

はじめまして。
ご紹介有難うございます。
ブログも拝見しました。
拙著読んでいただき、有難うございました。
今後ともよろしく。


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