歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先週の話題ですみません。

7月8日(木)、明治大学のリバティアカデミーの特別企画講座「幕末維新 志士の手紙を味わう」
その第8講「天璋院篤姫書簡―実家島津家への愛憎こもごもを読む―」に出講しました。

篤姫の史料を扱うのは久しぶりでした。
2年前の展示図録所収の篤姫書簡を中心に読みました。
慶応4年(1867)の徳川幕府終焉のあたりで、

薩藩隊長
輪王寺宮公現法親王
伊達慶邦

に宛てたものです。
とくに後二者宛ては激烈な内容で、仙台・会津両藩に対して徳川家再興を呼びかけるとともに、薩長を「朝敵」「逆賊」扱いしています。

実家をこれだけ糾弾する篤姫の一面はほとんど知られていないでしょう。
2年前の大河ドラマではもちろんそんなシーンはありませんでした。

篤姫の銅像が鹿児島の鶴丸城跡に立つことになりましたが、これらの書簡を読むかぎり、篤姫が喜ぶかどうか疑問ですね。むしろ、旧江戸城本丸あたりか、千駄ヶ谷の徳川邸跡にでも立てたほうがよいのではという気がしてきました。

彼女が完全に徳川家の人になっていたことを再確認した講座でした。

講座はあとひとつ残すのみになりましたが、私の担当分の5回は無事終了しました。
熱心に聴いていただいた受講者の皆さんに感謝です。

次の企画があれば、またよろしくお願いします。

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【2010/07/18 01:07】 | 明治大学リバティアカデミー
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ここに書いている場合ではないのですが……。
また重層的な仕事累積のスパイラルに入っておりまして……。

本日午後、駿河台の明治大学リバティアカデミーの特別企画講座に出講。詳しくはここです。
同大学の駿河台キャンパスといえば、やっぱりこの人ですね。
リバティタワーの道を隔てた正面にあります。
大久保


今日は全9回講座の第1回。私がトップバッターです。
テーマは「小松帯刀書簡―薩摩藩大黒柱の真情を読む―」でした。
小松の書簡3点取り上げました。
堀直太郎、後藤象二郎、そして夫人のお近さん宛てです。
小松の公私の違い、また藩内と藩外の書き方の違いなどを見ました。
例によって、小松の「足痛」がキーワードでした。

受講者も前シリーズよりも多くなった感じです。
またみなさん、熱心に聴き入ったり、メモを取られていました。
質問もいただきました。
詰めこんだレジュメで、1枚すっとばしたものの、何とか5分オーバーで済んでよかったです。

終了後、友人のMさんとお話していて、何げないお言葉にものすごいヒントを得ました。
ある企画なんですが、そうかそういう手があったかという感じです。
まあ、こちらの頭が固いだけかもしれないんですが(汗)。

次回も担当は私で、1週間後の4月15日(木)です。
テーマは「坂本龍馬書簡―国事周旋の決意と暗殺の影―」。
本来は隔週のはずだったのですが、別件と重なってしまい、スケジュールがタイトになってしまいました。

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【2010/04/08 22:52】 | 明治大学リバティアカデミー
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桐野先生 今日はありがとうございました
小林 哲也
桐野先生、小林哲也です。今日は楽しい講義の時間をありがとうございました。先生に久しぶりにお会いできて本当に嬉しかったです。

先生の講義を聞いて、小松帯刀という人物の繊細さと奥深さを再認識しました。

小松の手紙からは大政奉還後の京都政局の混乱や「足痛」のために、動きたくとも動けない小松の歯がゆさ・無念さが痛いほど伝わってくる、そんな風に感じました。

王政復古政変まで、もし龍馬が生き延び、小松が上京していたら2人の交渉力で慶喜がすんなり議定に就任していたかもしれない・・・。

そのような想像さえしたくなってしまいます。

小松の周辺記録を読んでいると小松の京都政局での重要性が浮かび上がってくるような気がします。

それだけにもっと多くの小松研究本が生まれればよいのに、感じています。

お話したブログのアドレス載せておきます。

「龍馬を語ろう~維新雑記」

http://d.hatena.ne.jp/tatewaki09/20090731/1249025120

本当に拙いものですが、お時間のある時にでも、ご覧いただきコメントいただければ大変嬉しいです。

今後とも、よろしくお願い致します。

        小林 哲也



ブログ
桐野
小林 哲也さん、こんにちは。

先日は講座を受講していただき、有難うございました。
ブログも拝見しました。
詳しく書いてますね。
これからも健筆をふるって下さい。

桐野先生、ありがとうございます!
小林 哲也
桐野先生、コメントどうもありがとうございます!本当に、本当に励みになります。龍馬伝の感想や周辺人物について本当にゆっくり自分なりに書いていきたいと思っております。いち幕末ファンですので、人物の膨らまし方・史料の解釈・明らかなまちがいなどアドバイスなどいただければ嬉しいです。これからも(次回以降の授業)でもよろしくお願い致します。
                     小林 哲也

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明治大学リバティアカデミー特別企画
―帯刀・龍馬・晋作・孝允・勇・天璋院の書簡―

4月8日(木)から開講の講座のご案内です。
前回の龍馬企画が好評だったため、続編をやることになりました。
木曜日13:00~14:30です。原則隔週ですが、講師の都合によりそうではないところもあります。

講座の詳細は、同大学サイトのここをご覧下さい。

念のため、記事の部分もアップしておきます。
告知2






お問い合わせ・お申し込みなどはここをご参照下さい。

全9回の講座で、講師陣は宮川禎一氏(京都国立博物館)、福井淳氏(宮内庁書陵部)、久住真也氏(中央大学非常勤講師)など、錚々たる研究者たちです。
不肖、私めも過半数の5回を担当しています。次のような日程・テーマです。

4/8(木)小松帯刀書簡―薩摩藩大黒柱の真情を読む―
4/15(木)坂本龍馬書簡―国事周旋の決意と暗殺の影―
5/13(木)高杉晋作書簡―国事奔走、私事懊悩を読む―
6/10(木)近藤勇書簡―郷里や門弟との親密な交流―
7/8(木)天璋院篤姫書簡―実家島津家への愛憎こもごもを読む―


平日午後で、お勤めの方にはきつい日程ですが、もし都合のよい方で幕末維新史に興味ある方は参加してみませんか。
ちなみに、初めての受講には受講料とは別に入会金もかかるのが申しわけないのですが。

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【2010/02/13 13:54】 | 明治大学リバティアカデミー
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桐野先生、お久しぶりです。 
小林 哲也
桐野先生、こんにちは。東京龍馬会の小林哲也です。いつも楽しく新しい幕末維新や薩摩藩の情報をありがとうございます!
表題の講座、ぜひ受講したいと考えております。今からわくわくしております!

その時にはどうぞよろしくお願い致します!

私事で申し訳ないのですが、龍馬のブログを始めてみました。

本当に拙いものですが、お時間のある時にでもご覧いただきコメントいただければ大変嬉しいです。

まだまだ寒さ厳しきおり、お風邪など召されませぬようお気をつけください。

先生にお会いできる日を楽しみにまた日々を頑張りたいと思います。
             小林 哲也

















受講御礼
桐野
小林 哲也 さま

コメント拝見。
受講していただけるとのこと、有難うございます。

またブログも拝見。
詳しくて正攻法ですね。いろいろ大変でしょうが、頑張って下さい。


小林です。
小林 哲也
ありがとうございます!

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このところ、忙しくてなかなか更新できません。

今週は2つの講座に出講。

ひとつは17日(火)、小学館古文書講座「てらこや」で、「幕末薩摩藩と小松帯刀8」の第4回講座。
テーマは「『失機改図』と坂本龍馬の動向」。

失機改図」とは、慶応3年(1867)9月、薩摩藩の呼びかけにより、薩長芸三藩出兵協定が結ばれましたが、薩摩藩と芸州藩の事情により頓挫してしまいます。
これを長州藩側が「失機改図」と呼びました。捲土重来とか新規巻き直しといった意味でしょうが、どうも長州藩側の冷たい視線も感じられます。

それもそのはず。大久保一蔵が島津久光の密命を帯びて長州に乗り込み、山口の藩庁で毛利父子や重役勢ぞろいのなか、一席ぶった自信満々の構想でした。そのため、大久保はこれで名誉回復できると感激した毛利父子から来国俊の銘刀を与えられる栄誉にも浴しました。
にもかかわらず、薩摩藩兵が期限までに三田尻港までやってきませんでした。薩摩藩の面目丸潰れです。

講座では、このときの薩摩藩の事情とは何なのか、薩摩藩側の史料ではよくわからない、おそらく藩内の倒幕反対派、自重派の抵抗によるものではないかと思うと話しました。一応、薩摩藩士の手記『道島家記』には、このとき動員された諸郷の兵から大砲なしでいくさをするのかと、家老の桂久武に詰め寄ったため、大砲の調達に手間取ったという記述がありますが、これが遅延の理由にはなりえないのではないかとも付け加えました。

そしたら、『史談会速記録』に、その頃の記事があるという受講者からのご指摘。いやはやすごいものです。教えられました。

次回はいよいよ大政奉還です。この講座、8クールめ(約40回)にして、ようやくたどり着きました。
今度は小松帯刀が主役です。


19日(木)は午後から駿河台の明治大学リバティアカデミー講座「坂本龍馬の生涯と死」の第5回講座に出講。
テーマは「薩長同盟論の現在」。
この間、報告や講座で何度か取り上げたテーマ。
いつもと少し構成を変えてみたり、いくつかあまり知られていない史料を紹介した。とくに木戸孝允宛て品川弥二郎書簡。これは薩長同盟がいつ結ばれたか決定的な史料だと思う。すでに三宅紹宣氏も触れていたが、全文紹介という形で紹介できたのは、『木戸孝允関係文書』が公刊されたことが大きい。

あと、今回の趣向としては、薩長同盟が軍事同盟であるという点を、坂本龍馬宛て木戸孝允書簡にある六カ条の約定が第二次長州戦争でどの程度履行されたかという観点から、史料で少し実証を試みた。
とくに薩摩藩が約定の第一条(薩摩藩兵2000人が京坂を固める)をほぼ忠実に履行し、さらに約定にはない長州藩本国まで援軍を派遣しようと考えていたことを指摘。
これらから、軍事同盟としか考えられないのではないかと、一応の結論を示してみた。
いろいろ考え方があるだろうが、約定の第五条(一会桑の妨害があれば決戦する)まで履行する覚悟もあったと見るべきか否か。これは仮定のことなのでわからないが、約定した以上、薩摩側にその覚悟はあったと見るべきだろう。もっとも、双方で明文化していないから、薩摩側が口実を設けて履行しない可能性もないわけではないが、それでは双方の信義に関わろう。薩長も龍馬もそうした信義こそをいちばん大事にしたと思うから。

講座終了後、近くの神保町で久しぶりに兼見卿記輪読会に参加。
先月休んでしまっていた。
幕末から織豊期に、すぐさま頭を切り換えないといけないわけで、それなりに大変だ。
次回は私が報告担当になった。

今週もいろいろありましたが、とりあえずこの辺で。

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【2009/11/21 21:53】 | 明治大学リバティアカデミー
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今月1日(木)から坂本龍馬をテーマにした表題の市民講座が始まっている。
詳しくは、ここをご覧下さい。

決して安くはない受講料のうえ、初めての人は入会金も必要という講座だが、予想を上回る多くの方々においでいただいた。これも来年の大河ドラマという話題性とともに、多彩な講師陣にご協力いただいた賜物だと思う。

第1回は私の担当で、「坂本龍馬と薩摩藩―小松帯刀・西郷隆盛・吉井幸輔―」というタイトルでお話した。薩摩藩士の3人のなかで、私がとくに取り上げたかったのは吉井幸輔である。

坂本龍馬に接触した最初の薩摩人が吉井ではないかと思われること(私は最近別の意見を抱いているが)。
また寺田屋事件が起きたとき、まっ先に京都から伏見に駆けつけたのも吉井、負傷した龍馬を京都の藩邸に護送するときの警固隊長も吉井である。
霧島での龍馬とお龍の、いわゆる新婚旅行に同行したのも吉井である。
さらに龍馬の死の直前、幕吏に不穏な動きがあることを知らせ、薩摩藩邸に龍馬を保護しようと動いたのも吉井である。

わずか4年間だが、薩摩藩のなかで、龍馬ともっとも親密で親身になって世話してくれたのは吉井である。
おそらく来年の大河ドラマには登場しないだろうけど、龍馬の人間関係において、決して忘れてはならない人物だと強調した。

最後のまとめとして、龍馬や中岡慎太郎など脱藩浪士集団が維新変革に果たした役割を論じて終えた。


そして、第2回が台風が関東を通過した8日にあった。
講師は高知県北川村の中岡慎太郎館学芸員の豊田満広氏。
折からの台風のため、講師が上京できるのか、受講者のみなさんは出席できるのか気を揉んだが、杞憂に終わった。
豊田氏招聘については、企画段階で、私がぜひにと事務局のI氏に頼み込んでお願いしていた。
タイトルは「中岡慎太郎から見た坂本龍馬」。

中岡慎太郎の日記「海西雑記」「行行筆記」などを使って、龍馬との関係を説明された。
もっとも、中岡の日記は簡略すぎて、多弁な龍馬の手紙などとは非対称的で、両者の関係をなかなか比較しにくいという史料上の制約もあるというお話もあった。

中岡と龍馬の関係はお互いに信頼するタッグパートナーであったことを力説された。もちろん、考え方の違いは少しあるが、基本的な政治姿勢などは変わらないとも。
受講者から中岡が龍馬を暗殺したという説もあるがという質問に関連して、佐佐木高行の『保古飛呂比』を引いて、龍馬も「砲撃芝居」=武力倒幕を決して否定しておらず、中岡の倒幕路線とは基本的に同じであり。暗殺は考えにくいとの回答で、私も同感だった。

終了後、豊田氏と以前からの知友であるMさんを交えて、飛行機の時間まで歓談した。
私は十数年前、中岡の生家を訪れたことがあるが、その頃はまだ記念館はできていなかった。だから、豊田氏とも初めてお会いしたが、予想したとおりの好青年だった。

第3回は10月29日。
薩長同盟前夜に書かれた龍馬書簡を読み解く」というテーマで、宮川禎一氏(京都国立博物館)が講師です。

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【2009/10/10 10:16】 | 明治大学リバティアカデミー
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