歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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最終回のために、この雑文を書き綴ってきたようなものですが、感想を一言でいえば、あっけない終わり方でした。

岩崎弥太郎が近江屋事件直前に龍馬に会うはずがない。
中岡慎太郎が龍馬を斬りに来るはずがない。
大政奉還直後に小松帯刀・西郷吉之助・大久保一蔵は帰国しており、京都にいるはずがない。
「新官制擬定書」は龍馬ではなく尾崎三良が起草し、そのなかに龍馬の名前が厳然と存在しますから、慎太郎の台詞はおかしい。

などなど、相変わらずのツッコミどころが散見されましたが、もういいでしょう。

どういうわけか、「黒幕」云々というトンデモ世界に踏み込まなかったですね。これまで散々思わせぶりのシーンを見せつけてきたのは何だったのか、その「因循」さには少し困惑しました。

いささか唐突でしたが、市川亀治郎演じる今井信郎に「徳川の恨み」と口走らせただけで十分です。
まさにこの台詞こそ、龍馬の死の背景と理由を暗示してあまりあります。

最後の一線で踏み止まったのは、ドラマ構成的には破綻というか失敗ですが、番組制作者の「見識」だったと思うことにします。
やはり「史実」の重みには敬意を払わざるを得なかったということでしょうか。

余談ですが、亀治郎と香川照之は従兄弟だけに、よく似てましたね。
2人がからむ場面で、頭の形とか顔のつくりがそっくりでした。

さて、来年の大河ドラマも私の守備範囲になりますが、どうしたものやら?

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【2010/11/28 21:49】 | 龍馬伝
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お疲れさまでした
武藤 臼
苦手な幕末の話について
一年間勉強させていただきました。
ありがとうございました。

来年はまあ・・・
だいぶ見えているようにも思いますが^^;

ここは!
というところだけでも有意な話を聞かせていただけると
また違う世界が見られる・・・と思っている人は
私だけではないと思います^^;

いろいろ御礼
桐野
武藤 臼さん

コメント有難うございます。
来年も無視するわけにはいかないと思いますが……。

この間、いろいろ有難うございました。


結構有意義でした。
NAO4@吟遊詩人
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で知った気になっていた私には桐野先生より、史実をお教えいただき、大変有意義でした。

ありがとうございました。

たかが浪人と過小評価する考えにも接したことはありますが、

つくづく考えますと、龍馬は、何でもかんでも龍馬の功績ではないにしろ、周旋の力を発揮した一人の革命児でではなかったかと思っています。


市野澤 永
こんばんわ。

お世話になります。

『龍馬伝』、最終回だけは見ました。

>あっけない終わり方でした

同感です。
まさにそのとおりでした。

>相変わらずのツッコミどころが散見されましたが、もういいでしょう

中村武生氏がブログの2010.11.22「龍馬伝紀行47話をみた」でも同様なコメントを残していらっしゃいますね。

》本編には何もいわない。きりがないから。

個人的には福山さんの龍馬より、今回は中岡役だった上川さんが以前にTBS系で演じられた龍馬の方が私には印象に残ったかな・・・

>来年の大河ドラマも私の守備範囲になりますが、どうしたものやら?

来年もできる限り、お願い致します。
例の講演のテーマとして、3つの候補の内の1つなのです。

前記した中村氏が同日のブログで

》「ほたえな」って、龍馬は本当に言ったのですか。なぜわかるのですか。
》言われた人は本当に部屋の外にいたのですか。出典は何かご存じですか。

というような、鋭いツッコミを来年も期待しております。

ブログを拝見していて、「風林火山」の時のように途中でお止めになりそうな感じがチラホラしていて、
気がかりでした。
一年間、お疲れ様でした。

藤本正行氏の新著、「本能寺の変」(洋泉社)を読了しました。
以前にお尋ねした鈴木眞哉氏が時折、引用している高瀬羽皐氏の翻訳ですが、
これって史料っていえるのでしょうか?原文にあたるべきように感じました。
藤本氏は桐野さんの見解に同感なされる点も述べられていましたが、反論もおありのようで。
これも以前に申しましたが、藤本氏の桐野さんへの桶狭間・長篠、本能寺の一連の反論は腹に落ちないです。

それでは失礼致します。




164go
桐野先生、ありがとうございました。

ブログにも書きましたが
先生と大河ドラマのおかげで
ようやく、ホントにようやく
フィクションの竜馬から
史実の龍馬へふっきれそうです。

そういう意味では
個人的には意義深い一年となりました。

1年間お疲れ様でした!
小林哲也
桐野先生1年間お疲れ様でした! このブログでの桐野先生の鋭い考察を参考にさせて頂いたおかげで(直接お話・質問させていただいたことも含めて)
自分も何とか1年間「龍馬伝」の感想を綴ることができました。ありがとうございました!

福山龍馬がなかなか薩摩へ行かないことや龍馬以外の人物たちのつくり込みの浅さ時系列の無視などなど不安・苛立ちを感じたことも多かった「龍馬伝」ですが最終回を迎えてよかったと思います。

1年を終えて自分が「龍馬ファン」・「幕末ファン」で良かったなあと改めて思いました。

また先生ともお会いできれば嬉しいです。

これからもよろしくお願い致します。

ありがとうございました
tsubu
桐野先生、こんにちは。

私も先生の感想で大変勉強させて頂きまして、ありがとうございました。
そしてお疲れさまでございました。

龍馬伝については、薩摩藩の扱いが粗略極まりないものになっていましたので、
最終回は黒幕関係でかなり心配していたのですが、ほんと案外な終わり方でしたね。
あんな終わり方をするのであれな、わざわざ終盤に大久保を登場させる必要もなかったと思うのですが……。
ともあれ、変な黒幕設定されずに良かったと一安心しております。

有難うございます
桐野
みなさん

激励のお言葉、有難うございます。
感想を書けたのはせいぜい6割程度ですが、読んでいただき感謝です。

来年はどうなるかわかりませんが、これからもご愛読のほどお願いします。

2011年NHK大河ドラマ特別展「江~姫たちの戦国~」
市野澤 永
>さて、来年の大河ドラマも私の守備範囲になりますが、どうしたものやら?

私の勤務する図書館へ江戸東京博物館において、開催される

2011年NHK大河ドラマ特別展「江~姫たちの戦国~」
期間 2011年1月2日(日)~2011年2月20日(日)

の広告が届きました。
私は行きます!桐野さんは行かれますか?

えどはくカルチャー「お市と浅井三姉妹の生涯」
2011年1月27日(木)14:00~16:00
講師は太田浩司氏です。対談は斎藤慎一氏です。

江戸東京博物館のHP ↓

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

情報多謝
桐野
市野澤さん

いろいろ情報を提供していただき、有難うございます。
太田浩司さんとは知り合いなので、見に行けたらと思いますが……。


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第46回「土佐の大勝負」

1日遅れの感想です。
もはや、ずれまくった軌道は修正しようもないのですが……。

龍馬が土佐に運び込んだ小銃1000挺の一件、まったくいただけませんね。

まず基本的なことですが、龍馬は山内容堂と会っていません。というか、会えません。
容堂を説得して大政奉還の建白書を書かせたのは、後藤象二郎の仕事です。大政奉還を龍馬の仕事にしようとしていますが、後藤の手柄を横取りしてはいけないでしょう。
ドラマでは、後藤が容堂に龍馬がねたましかったと告白させていましたが、いえいえ、後藤は薩土盟約といい、大政奉還建白書といい、立派な仕事をしています。

そして小銃1000挺をめぐる一件も、これまで何度か紹介したように、龍馬と木戸の間で合意が図られたものです。
龍馬宛ての木戸書簡(9月4日付)で「狂言」とか「大芝居」という隠語を使って、京都・大坂での薩長芸三藩の挙兵計画を語り、これに土佐藩も合流するようにと木戸が勧めています。
すなわち、「乾頭取」(板垣退助)と「西吉座元」(西郷隆盛)が「此の狂言喰ひ違ひ候ては世上の大笑らひと相成り候」と述べ、土佐藩討幕派の代表である板垣と薩摩藩の西郷がしっかりと手を結び、歩調を合わせることが大事だと述べています。

龍馬はこの木戸書簡と小銃1000挺をもって土佐に乗り込むわけです。木戸書簡はほかでもない、長州藩の態度表明であると同時に、龍馬が自分の立場も木戸書簡によって語らせ、土佐藩の藩論を薩長芸三藩と合流する方向に導こうとしたわけです。

木戸書簡が土佐藩家老の渡辺弥久馬(のち斎藤利行)や大目付の本山只一郎に披露されていることは、龍馬の理解者で、龍馬と共に土佐に帰ってきた岡内俊太郎が長崎駐在の佐々木高行に宛てた書簡(10月4日付)でわかります。渡辺も本山も板垣に近い立場のようです。

「長藩木戸準一郎に薩長間の事情又将来為さんとする処の方策に付き、一之芝居に組み立て、其の者などに薩の西郷吉之助を始め、土佐人をも其の者となすの組み合わせたる手紙を書きもらい、此の手紙に龍馬より添へ手紙を認め、これを渡辺弥久馬殿に宛て届んため、一封となし、これを私携へ弥久馬殿お宅へ参り」云々

とあり、木戸書簡と龍馬書簡を岡内が渡辺弥久馬に届けたことがわかります。その後、本山只一郎宅にも行ったとありますから、本山にも見せたことは間違いないでしょう。

そして、龍馬が前述の木戸孝允書簡に返信を書いています(9月20日付)。
それには、小銃1000挺を土佐に運び込むのは「急々本国(土佐)をすくわん事を欲し」たためだとあります。また、1000挺を自分の一存で購入したのは、薩摩藩の大久保一蔵が長州に来たこと(薩長芸三藩の挙兵計画の交渉が目的)を知ったからだと述べています。
つまり、龍馬は土佐藩も薩長芸三藩挙兵計画に合流させようとし、そのためには武器が必要だと判断したわけです。ドラマとは趣旨が全然違います。

さらに龍馬は土佐に帰ると、「乾退助に引き合わせ置き、それより上国に出候て」つまり、板垣退助に武器を引き渡したうえで上京すると述べ、さらに「後藤庄次郎(象二郎)を国(土佐)にかへすか、又は長崎へ出すかに仕りたく存じ申し候」と注目すべきことを述べています。
龍馬はこの時点で、後藤の大政奉還路線が薩長の支持を得られずに行き詰まったと判断し、後藤を京都から国許か長崎に戻すべきだと述べているわけです。つまり、龍馬は後藤が失脚せざるをえないと判断したわけです。ドラマとはえらい違いです。龍馬としては土佐藩の顔を後藤から板垣に変える、そして薩長芸三藩と合流するという方針で一貫しています。

このことは前述の岡内書簡でも確認できます。

「我が本藩因循もはや一日も油断相成らず、速やかに土佐に帰り、大いにこれらの事情を陳べ(のべ)、是非薩長と事を合するほかこれなし、速やかに土佐に行かんと決し」

なお、ドラマで龍馬が久しぶりに実家に帰っていましたが、これは史実です。
もっとも、岡内書簡には「夜中竊に(ひそかに)上町の自宅に参り、実兄権平にも久し振りにて面会」とあり、大ぴらに帰ったのではなく、夜陰に紛れてひそかに帰ったわけです。脱藩士ですから当然ですね。
このとき、龍馬に同行したのは海援隊の中島信行と戸田雅楽(三条実美家士、のち尾崎三良)、そして岡内の3人です。

また岡内書簡は、在京の後藤象二郎に対して「畢竟(ひっきょう)後藤象二郎殿に説き、薩長と反せぬ様相運ぶ事を主と致し候事情に御座候」と書いています。
これは龍馬の方針とほぼ合致しています。つまり、後藤に土佐藩も薩長(芸)に同調すべきだと説くというわけです。もし後藤がそれを拒絶するなら、龍馬書簡にあったように、後藤を国許か長崎に帰すという段取りだったのでしょう。
岡内がこのように書き、龍馬も後藤の送還をにおわせるほど強気なのは、土佐に帰国しての説得工作により、板垣はむろん、渡辺や本山の同意を得て藩内の討幕派の意志一致ができて薩長芸三藩に合流する道筋ができた(藩論がほぼまとまったかどうかは微妙ですが)という感触があったからでしょう。

大河ドラマの展開と上に述べた史実とはかなり隔たっていることは理解していただけると思います。それと同時に、ドラマの最終盤が史実と大いに乖離するであろうことも予感させます。

なお、上京した龍馬が一転して、後藤に協力し、大政奉還に奔走するのもまた史実です。それにはまた情勢が一転した別の事情が介在しています。それは次回にでも書くことになるでしょう。一言でいえば、薩長芸三藩挙兵計画が(主に薩摩藩のお家事情で)頓挫したからです。

もういまさら何もいいませぬ。
ただ、史実を対置するのみです。

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【2010/11/15 23:47】 | 龍馬伝
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「雨の逃亡者」

お元の一件、そんな風に決着つけたんですねえ。
引っ張りましたねえ。横道に思い切りそれましたねえ。

お元は実在した可能性は高いですが、隠れキリシタンだったかどうかはわかりませんというか、おそらく創作でしょう。

このドラマが長崎での出来事で隠れキリシタンを扱おうとした発想は、ほとんどひとつの理由しかないと思います。
龍馬と親交の深かった土佐藩大目付の佐々木高行の日記『保古飛呂比』に、龍馬がキリシタン=「耶蘇教」に触れていることに想を得たのでしょう。

同日記慶応3年(1867)8月30日条
「夜に入り、才谷(龍馬)来る。終夜談話、止宿す。種々談話の末才谷曰く、此度の事若し成らずば、耶蘇教を以て人心を煽動し、幕府を倒さん。自分曰く、耶蘇教を以て幕府を倒す後害あらん。吾が国体を如何、吾は神道を基礎とし、儒道を輔翼とせんと。才谷曰く、今日かくのごとくにてとても事は成らずと」云々

「此度の事」というのは薩長との武力挙兵計画です。龍馬もそれに関与しているわけです。
そして、もしこの挙兵が失敗したら、「耶蘇教」を煽動してでも幕府を倒そうと龍馬が放言したと、佐々木は書き留めています。むろん、酒の上での戯れ言でしょう。しかし、龍馬が討幕にのめり込んでいた様子はよくわかります。

また、この記事から、龍馬がキリシタンに同情的で理解があったとは読み取れません。むしろ、潜在的な反幕勢力になりうるキリシタンを利用しようというご都合主義的な感じですね。

なお、龍馬が佐々木の役宅を訪ねたこの日、同日記には「風雨」とあります。お元が雨の中、船出したのはそれにちなんだものか。

なお、最後の龍馬紀行で、隠れキリシタンが大浦天主堂の神父に告白したことを紹介していましたが、その顛末を拙連載「さつま人国誌」で少し書いたことがあります。ここです。よかったら、読んで下さい。


龍馬がアーネスト・サトウに会っているのはたしかです。
それも、土佐と長崎で会っていますね。
サトウの著『一外交官の見た明治維新』や、上記佐々木の『保古飛呂比』に記事があります。
イカロス号事件の尋問は最初、土佐で行われ、らちが明かなかったため、その後、長崎に交渉の舞台を移しました。
しかも、土佐から長崎に船で移動するとき、龍馬と佐々木は夕顔丸(船中八策を発案したという)でサトウと同船しています。
サトウは同国人が殺され、しかも海援隊に嫌疑がかかっていたので、龍馬への印象は当然よくありませんでした。
海援隊に嫌疑がかかったのは、事件直後、偶然にも海援隊士が乗り込んだ土佐藩船が長崎港を急いで出航していたことが、怪しいと疑われたのが一番の理由だったような。

なお、ドラマではイギリス人水兵殺害の犯人が筑前福岡藩士だと海援隊の連中が突き止めていましたが、たしか犯人が判明し、すでに自害していたことが明らかになったのは明治になってからだと思います。

イカロス号事件は、龍馬にとっては消耗戦でした。
薩長との挙兵計画を進めなければならないのに、この事件のために2カ月ほど時間を浪費しています。
また長崎奉行所はイギリスの肩を持っていたので、龍馬の矛先は奉行所にも向けられていたと思います。
同年8月下旬頃とされる龍馬が佐々木高行に宛てた書簡(『龍馬の手紙』95号)には「戦争中」とか「戦死」という言葉が出てきます。むろん比喩で、イカロス号事件でイギリスや長崎奉行所を向こうに回して論戦することをたとえたものですが、実際、落命するかもしれないとどこかで思っていたかも知れません。

というのは、この龍馬書簡、遺書めいているのです。

「先ず、西郷(吉之助)、大久保越中(一翁)の事、戦争中にもかたほ(片頬)にかかり、一向わすれ申さず、若しや戦死をとげ候とも、上許の両人の自手にて唯一度の香花をたむけくれ候えば、必ず成仏致し候こと、既に決論の処なり」

もし自分が「戦死」したら、西郷と大久保一翁の二人だけには、自分の墓に香華を手向けてほしい。そうしてくれたら、自分は安心して成仏できるというわけです。
龍馬がイカロス号事件で相当のストレスを抱えていたことを、この書簡は示しています。
それと同時に、龍馬にとって、大久保一翁とともに西郷がどのような存在だったかもよくわかります。
自分の墓にこの人だけには参りに来てほしいとは、どのような意味か。自分の立場になって考えてみたらわかりますよね。あなたなら誰に来てもらいたいですか?

こうした龍馬の「肉声」をまのあたりにすれば、薩摩黒幕説や西郷黒幕説が何やら空々しく見えるのは私だけでしょうか?
あるいは、これは龍馬の片思いにすぎず、西郷の心情は別だよとでも反論されますかね。そうだとしたら、龍馬はよっぽどのお人好しですな(笑)。

イカロス号事件については、以前、小学館「てらこや」の講座でみっちりやったことがあるので、もう少し詳しく書けるのですが、忙しいので割愛します。

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【2010/10/31 22:58】 | 龍馬伝
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市川
桐野先生、こんばんは。

先生のコメントや龍馬を取り巻く周囲を調べると、改めて幕末の志士たちの偉大さを感じます。
同時に龍馬がもっと現実的な革命家であると思いました。
もし暗殺されなかったら、戊辰の役にも積極的に参加したのではないでしょうか。

せっかく出てきた大久保利通も、やはり暗いだけである意味イメージ通り。というか暗いと思います、薩摩藩は。辺境であるが故にそうさせるのか……。



辺境?
桐野
市川さん

ドラマのうえでは、大久保その他は暗いイメージで描かれていますが、史実とは別ニ考えたほうがいいと思います。

辺境とはいい条、ふつうの薩摩や薩摩人のイメージは南国特有の明るく陽気というものだと思いますが……。


市川
辺境とは失礼だったと思います。お詫びします。
いよいよ龍馬伝もクライマックスなので、製作者側の考えるラストを楽しみにしておこうと思います。

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大河ドラマ「龍馬伝」第43回「船中八策」

史実から遊離しすぎていて、もうあまり書きたくないのですが、「船中八策」に関してだけは遅ればせながら、少し触れておきます。

慶応3年(1867)6月、長崎を発して大坂に向かう土佐藩船「夕顔」の船上(船中?)で龍馬が発案し、それを長岡謙吉が書き留めたというのが、通説としての「船中八策」です。

しかし、龍馬の自筆はむろん、長岡が書いたものも残っていません。
というか、おそらくもともと存在しません。
なぜなら「船中八策」は明治中期以降になって創作されたからです。
研究者でも「船中八策」が史実だと信じている人がいるので、ドラマがそう描いてもしかたないと思っています。

ドラマでは、龍馬が大政奉還を主意とする八策を交流のあった師匠や友人から学んだものをまとめあげたという描き方をしておりました。
横井小楠はいいとしても、長州が木戸・久坂・高杉と3人もいるのに、薩摩は1人もなしです。
脚本家が長州出身ゆえの身びいきかどうか知りませんが、薩摩無視は相変わらずですし、ましてや大政奉還をおそらく最初に公にしたと思われる大久保一翁の名前すら出てきませんでしたね。

「船中八策」はそれほど独創的ではありませんし、実際、大政奉還は「船中八策」よりも前に西郷吉之助と大久保一蔵が唱えていることはほとんど知られていないと思うので、特記しておきます。

島津家のなかで、久光から始まる玉里島津家の一大史料集『玉里島津家史料五』1660号が西郷・大久保連名による建白書です。これは「丁卯五月」の朱書があり、西郷・大久保の筆ではありませんが、文面が四侯会議に臨むにあたっての心構えを久光に建言していることから、慶応3年5月に書かれたのは間違いありません。次のように書かれています。

「いづれ天下之政柄は 天朝え帰し奉り、幕府は一大諸侯に下り、諸侯と共に朝廷を補佐し、天下の公議を以て所置を立て、外国の定約におひても 朝廷の御所置に相成候而」云々

龍馬の「船中八策」より1カ月早く、西郷・大久保は大政奉還(徳川家が諸侯の列に下ることや諸侯会議=公議政体)を主張しています。

さて、ドラマでは薩土盟約の場面で、突如としてミッチーの大久保一蔵が登場してきました。
予想以上にかっこよかったですが、でも龍馬をにらみつけたあと、「邪魔だ」とつぶやいていましたね。
近江屋事件への伏線だと誰でも思ったことでしょう。
没後130年たっても、相変わらずこのような描き方しかされないのかと思うと、甲東の孤高に同情を禁じえません。

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【2010/10/30 00:26】 | 龍馬伝
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にぃやん
ドラマなんだから
いいじゃないですか・・・

自己満足ですか?こんなブログ


通りすがり
失礼します。

見た限り長岡謙吉は存在すらしないという設定のようですね。龍馬とその近くの人物以外ほぼ悪役というのもある意味すっきりした感じではありますが、もはや花神にも翔ぶが如くにも遠く及ばなかったと結論出ちゃってますね。

船中八策についてですが木村幸比古さんの『龍馬暗殺の謎』という本を読んだところ、船中八策以外の箇条書き建白書で赤松小三郎の他、宮津藩士の嵯峨根良吉という人が書いたものもあったとのことでした。
ひょっとして当時箇条書きの建白書を書く事が流行っていたのではないかという気がしました。

>にぃやん
影響力の大きい映像メディアなのだから、製作陣は自らの影響力の大きさについてもっと責任感を持つべきではないでしょうか。


-
そもそも大河ドラマをノンフィクションとして観てる人はどれほどいるでしょう?

いちいちドラマの内容を事細かに挙げて事実だ、事実でない、と論ずるのはそれこそ自己満足と思います。

ま、本人のブログなんで何を書こうが勝手ですが。


私は助かっています。
NAO4@吟遊詩人
私は、大河ドラマも見放さずに楽しく見ておりますが、ちょっと辛口ですが史実を語ってくださる桐野先生のブログには感謝しております。

船中八策は、「龍馬のオリジナルではない。」ということは知っていても、それ自体存在しなかったとは意識しておりませんで、明言していただくと助かります。

教科書では、山内容堂が徳川慶喜に大政奉還を進言したことになっていたと思いますが、船中八策はどのように扱っていたか記憶になく、興味深いです。

幕末も「歴史」として勉強しなおす必要があると思っている次第です。

新政府綱領八策
NAO4@吟遊詩人
恥の上塗りになるかもしれませんが、NHK大河ドラマストーリー完結編を見ていたところ、

「新政府綱領八策」(下関市立長府博物館蔵)の写真が掲載されていました。

「慶應丁卯十一月 坂本直柔」と署名があり、本物なら、龍馬が、新政府のプランを持っていたように思えます。また「船中八策」のモデルになったものかなあと思いました。

勉強になります
卯月かいな
西郷・大久保が大政奉還を唱えていたとは知りませんでした。
そうなると、龍馬暗殺の薩摩黒幕説もないわけで……。
大久保ファンとしては、かっこよすぎるミッチー大久保は歓迎しつつも、分かりやすく悪役っぽくて、真の姿が描かれないことは残念ですね。


164go
「龍馬伝」についての解説、気が進まないとおっしゃっていた先生に
敢えて続けて欲しいとお願いしたのはわたしです。

お気に触る方もいらっしゃるとは意外でした。失礼いたしました。
しかし、私と同じように、史実を先生に伺いたい方がおられるのも事実です。

わたしの周囲にも、「水戸黄門」をフィクションと思っている方は多いけれど
NHKの大河ドラマですしフィクションないしはかなり史実に近いと思っている方も、
実は多いのですよ。
このサイトはそういった誤解を解くためにとても重宝しています。

テレビのそれぞれの番組でそれぞれの龍馬さんが登場するがごとく
ネットの中でもいろいろな龍馬さんがおられますよね。
それに
「今回の放送はこうだったけど、本当のところはどうなの?」
ってわたし個人も思ってしまうんです。

そんな稚拙なわたしたちのお勉強だとご理解いただいて、
寛容なお気持ちでお許し願えないでしょうか。


-
龍馬が八面六臂の大活躍で日本を変えていく方が一般受けするんですよね。
世間はかっこよく生きて嵐のように消えていった「英雄」を見たがっているんであって、「ただの一浪士」を見たいんじゃありません。
ノンフィクションの伝記ではなく、エンターテイメント性の高いドラマなんですし。

勿論、こういう「これ違うだろ?」という活動が間違ってるとか、やるべきではないとか言っているわけではありません。
ただ、間違いがあった所でしょうがないんじゃないか、一般向けの娯楽だし。と言いたいだけ。


-
わざわざ、他人のブログに来て捨て台詞を残されるようなことをやってるとは思えませんが。

私も幕末史が好きで、本当の史実がどうであったのかを知りたいので、専門家の桐野氏のこのブログはとても重宝していますね。

民放の娯楽時代劇とは違って大河ドラマに期待されるのは「本当の史実の『隙間』を創作」してほしいということですね。史実で知られていることがあっても、その史実の間にはやはり「飛び」がある、そこを創作してほしい、と。そして史実に創作をプラスして面白くしているのだったら、大河ドラマとして素晴らしいのですが。その創作が上手ければ、大袈裟に言えば、史実は変わらずとも、新しい見方を提示することができると思うのですが。「そういう解釈があったのか、そういう見方があったのか」と。
でも、史実を最初から無視して書き変えたり、歴史の時系列まで変えては「歴史上の人物にそんなに魅力がないのかな?」と突っ込みたくなりますね。

特に坂本龍馬については歴史の捏造が堂々とまかり通る風潮があるので、特に警戒しています。史実の坂本龍馬も十分魅力的であるが故に、真実の坂本龍馬がどうであったのかを知る機会を失うのは、すごく勿体ないですね。

これは、マスコミの責任も大きいのではないでしょうか。はっきり言って、日本のマスコミはかなりレベルが低いと思います。

新政府綱領八策
桐野
NAO4@吟遊詩人さん

「船中八策」と違って、「新政府綱領八策」は本物ですね。
2点現存していますが、少なくとも1点は龍馬自筆です。2点ともそうじゃないかと思いますが、断定しているかどうか、私もよく知りません。

同じものが少なくとも2点現存しているということは、もっとあった可能性もありますね。おそらく龍馬が各方面に配布したんでしょう。有名な○○○が誰なのかも問題ですね。

「新政府綱領八策」が混同されて「船中八策」と呼ばれたこともあります。
 おそらく当初「船中八策」を創作しようというとき、「新政府綱領八策」が出てきて、これだと飛びついて、「八策」の形式になったのだと考えられます。

ですから、仰せのように、「船中八策」のモデル(形式上の)になったといえそうです。


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第41回「さらば高杉晋作」

高杉が他界したわけですが、長州ではなぜか高杉だけが龍馬の理解者です。
高杉の描き方についても、書きたいことがないわけではないですが、面倒なのでスルーです。

相変わらず、龍馬は大政奉還一本やりですねえ。
木戸孝允とも対立しているように描かれています。
しかし、木戸と龍馬はこの年、慶応3年(1867)9月まで、武力討幕でピタリと息を合わせていることが、その往復書簡で明らかなんですけどね。

とくに有名なのが、木戸が龍馬に宛てた9月4日付書簡。
武力討幕を「狂言」とか「芝居」と隠語で表現し、「乾頭取」(板垣退助)と「西吉座元」(西郷隆盛)とが「狂言喰ひ違ひ」がないよう息をぴったり合わせることが大事だ、つまり薩土の討幕派の連携が重要だと、龍馬に忠告しています。

一方の龍馬もその返信(9月20日付)で、「大芝居の一件」は面白くてよくわかった、自分も「憤発」すると答えています。そして、武力討幕のための小銃1000挺購入して土佐に運び込み、板垣らに引き渡すこと。それと同時に後藤象二郎を更迭させ、土佐か長崎に帰すことを告げています。さらに、「薩土及云云」(当年6月の西郷らと板垣・中岡らの薩土討幕密約)に従って、本国土佐を救うと述べています。
つまり、龍馬は木戸や西郷や板垣と協力する、バリバリの武力討幕派なのですよ。

龍馬のこの考えと行動の背後にあるのは、この頃、薩摩藩の主導で進行していた薩長芸三藩挙兵計画であり、龍馬は土佐もこれに乗り遅れてはいけないという危機意識から、小銃1000挺を購入して土佐に運び込むという行動に出たわけです。

これのどこを叩いたら、龍馬が大政奉還一本やりの不戦平和論者という評価になるのか、理解に苦しみますね。
余計なお世話かもしれませんが、これに限らず、基本的な史実無視や史実背反がドラマの流れに不自然さを生み、そのぎこちない龍馬像が視聴者に違和感を与え、視聴率低迷の一因になっているのではないかと憶測しているのですが、どうなんでしょうかね?

龍馬の理解者とされる高杉が死に、大政奉還の舞台には長州藩が直接関わることはできませんから、龍馬の考え方に反対する木戸も関与できない。となると、龍馬の大政奉還に反対する勢力ないし人物は誰か、もう決まったようなものですね。その線で近江屋事件になだれ込むのでしょう。ドラマ終盤になって、なぜ大久保利通が登場してくるかも、この文脈からよく理解できます。

以上のようなことについて、2回講座をやります。
「龍馬暗殺―近江屋事件の背景と真相―」と題したものです。
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【2010/10/10 23:08】 | 龍馬伝
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忍っこ
桐野先生こんにちは
今年、龍馬伝が始まった時こんなことを言ってましたね
土佐藩の上士と下士の対立について、
福山龍馬は「憎しみからは何も生まれない」と
そしてなんと高杉晋作が大政奉還の理解者?
どれだけいい人なんでしょう
逆に憎しみ以外になにがあるのかと問いたいです。
あいも変わらず史実無視してますね


164go
龍馬さん、いい人すぎですよね。
いつも事件に巻き込まれ、その中心にいるけど、
それを運と実力で円満に解決してしまう。
黄門さまと同じ感じがしてきました。

大型娯楽時代劇『水戸黄門』と同じくして観るべきでしょうかね。


丸義
桐野先生、お早う御座います。
先生のブログが大変勉強になっております。

史実の龍馬とドラマの龍馬の、あまりにも大きな違い・・・
これでは、視聴者が違和感を持つのも仕方ないと思います。
龍馬の魅力が全く伝わってきません。
いくら「ドラマ」といえど、脚本に力が無さ過ぎて残念です。


憎しみだけでなく
桐野
忍っこさん

「憎しみからは何も生まれない」……ありましたねえ。
当時の時代世相を考えれば、迷文句でしょうね。

もっとも、明治維新は「憎しみ」だけでなく、「理念」や「ビジョン」もあったと思います。

高杉については、大政奉還より半年前に亡くなりますから、どうとでも描けるということでしょうね。
それは創作としてはありだと思いますが、それならば、木戸と高杉はそんなに意見が違うはずがないという反論もただちにできますけどね。

なお、前回のドラマでいえば、慶応3年はじめ、木戸などが明確に討幕を考えていたかどうかは不明です。そこまでの構想と決意はまだなかったと思います。
長州は何より藩主父子の復権と藩の名誉回復が最大の課題でしたから。

水戸黄門との違い
桐野
164goさん

「龍馬伝」と「水戸黄門」の対比ですか。
なかなかユニークなことをお考えになりますね。

でも、私は次の一点において、「龍馬伝」は「水戸黄門」と同じではないと思います。
それは時代考証の有無です。

ドラマ「水戸黄門」は、誰でも創作だという前提で見ています。ですから、時代考証も置いていません。

ところが、「龍馬伝」はじめ大河ドラマは時代考証がいます。
この点、むしろ反作用が大きいと思います。つまり、時代考証がいるから、ほとんど史実なんだろうと視聴者に思わせてしまいます。
その「刷り込み」の有無が大きいのではと思います。

史実以前の問題も
桐野
丸義さん

私も同じような感想をもちます。
今年のドラマは、史実と脚本家の創作が全然かみ合わず、不自然で流れが悪いですね。
要は史実どおりに作ったほうがなんぼかましだと思います。

まあ、史実といっても、解釈が分かれるところがありますから難しいのですが、それを踏まえながらも、納得できる筋書きをひねり出すのが脚本家の腕だと思いますけど、去年も今年もダメなんなんじゃないですか。

あの時代、武力なき不戦平和主義者がいるなんて、だいだい嘘くさいし、空々しい限りですよね。これは制作する側の見識や歴史観の問題です。私はその一点です。




猿山
 龍馬伝のノベライズ版が、すでにNHK出版から刊行されています。それで見る限り、「黒幕」は存在しなかったことにされています。龍馬は普通に、今井、佐々木らに暗殺される。ただそれだけです。

 その前段で、西郷が中岡に「坂本さんを生かしておいたのは間違いじゃった」などと語らせたり、用もないのに近藤勇が出てきて「坂本は生かしておけん」などと語らせたり、いかにも黒幕説につながりそうな、思わせぶりな布石を打っているのですが、最後まで読んでみたらまったくの拍子抜けです。
 もちろん、黒幕説を採らなきゃいけないわけではありませんし、安直な黒幕説は興ざめなだけですが、あれだけプロデューサだかなんだかが「黒幕説」をほのめかしておきながら、このザマです。
 視聴者は、あのプロデューサーに一杯くらわされたというわけですね。

 もちろん、収録の土壇場で脚本を変えてしまい、ドラマの本編は黒幕説で撮影した、という可能性はありますが、まあ常識的には考えられないでしょう。

 繰り替えしますが、龍馬伝の結末、黒幕説ではありあませんでした。

ゲタを預けた?
桐野
猿山さん

ノベライズの結末紹介有難うございます。
ネタバレ気味ですが(笑)。

もしノベライズに忠実にドラマが制作されるならと仮定しての話ですが、辛うじて「此岸」に踏み止まったといったところでしょうか。「彼岸」が何を意味するか、あえて申しませんが。

150年前の明治維新が、そして龍馬や西郷や木戸が、手厳しい歴史の評価に晒されるように、大河ドラマ「龍馬伝」も同様です。
10年後、20年後にどのように評価されるのか、語り継がれるだけのものを描けるのか、そのあたりに思いを致せば、興味本位の黒幕説はとれない、あえて見解を示さず、視聴者に判断のゲタを預けるという趣向でしょうか?


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