膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
先日いただいた柴辻俊六『信玄の戦略』(中公新書)に、有力な武田家臣の実名がこれまでの旧説とは異なっていることが明らかになったと書かれていた。
『山梨県史』や『戦国遺文 武田氏編』の刊行により、多くの家臣団の文書も収録されたことで、そうした解明が可能になったようである。最近、武田氏研究の最前線にはご無沙汰なもので、大変勉強になった。

柴辻氏によると、次のような家臣たちの実名が判明したという。
( )内が旧説。

馬場信春(信房)
内藤昌秀(昌豊)
真田幸綱(幸隆)
小山田虎満(昌辰)
小山田昌成(昌行)
武田信堯(信光)
両角虎定(昌清)
横田康景(綱松)
秋山虎繁(信友)
土屋昌続(昌次)
三枝昌貞(守友)

柴辻氏はこれも一部だと書いているが、それでも、武田四天王の二人まで含まれているじゃないか。とくに馬場信春については、古くはそう呼ばれていたのに、いつ頃からか、誰の説でどんな根拠かによるものか不明だが、信房が正しいというすり込みが一時期盛んに行われたが、あれは一体何だったのだろうか?

先日、小生も執筆した共著『「風林火山」の古道を往く』で、真田幸綱を幸隆と旧説で書いてしまったなと後悔している。

人物の実名・通称・官途名などの確定は歴史研究の基礎的な作業である。これを間違えると、学説構築にあたりさらに大きな間違いさえ冒しかねないから、あだやおろそかにできない。

信長家臣団研究も従来、かなりいい加減だったが、谷口克広『織田信長家臣人名辞典』が刊行されてから、そうした状況はだいぶ改善されたように思う。