友人からとても珍しい史料集を拝借した。
長州藩の御典医、李家氏(りのいえ・し)に伝わる幕末期の書簡集(受給文書)である。
差出人は前原一誠・山県有朋・野村靖・木戸孝允・杉孫七郎・伊藤博文など、幕末期長州藩の錚々たる著名人たちである。とくに前原一誠の書簡が18通と飛び抜けて多く、次いで山県有朋の8通、野村靖の7通である。
李家氏とは、その変わった名字から察せられるように、朝鮮系の渡来人が祖である。豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、全羅北道の南原城(ナモンソン)攻防戦において、城を死守した全羅道兵馬節度使忠壮公、李福男の末子慶甫(のち元宥)が毛利軍に捕らえれて長州萩に連れてこられた。この元宥が李家氏の祖である。
『萩藩諸家系譜』によれば、李家氏は李氏朝鮮王族の支族という家柄の高さにより、寄組500石の家格で遇され、典医、侍医として藩主に仕えた。
前原・山県らから書簡を受け取ったのは、十代目の当主、李家文厚である。文厚も御典医で、馬関戦争では野戦病院長となり、四境戦争でも従軍医として活躍した。とくに高杉晋作が重篤に陥ったとき、藩主からの見舞医としてその最期を看取ったといわれる。
そのような経歴から、名だたる長州藩士たちとの交流があったのだろう。書簡の内容も病気の相談事などが多い。
なかでも面白かったのは、前原一誠のある書簡である。前原は文厚に悩みを打ち明けたり、北越戦争の苦戦の様子を報告したりと、単に医師と患者という関係を超えて親交があったようだ。
それでも、やはり病気の話が面白い。前原は湿疹系の病気が多かったらしい。たとえば、
「面部一面ニ発疹、格別粒立候様ニも無之候共、極而痩而御座候、脊之辺へも少々吹出し候様ニ御座候」
という具合で、顔や背中に湿疹ができていたようである。
とくに噴き出したのは次の一節。
「二白 弟、淋病再発、大ニ困窮難儀仕候得共、未施薬餌如何仕候而宜御座候哉」
と、文厚に再発した淋病の治療法を尋ねている。
前原は別の書簡で次のような告白もしている。これが淋病の原因か。
「彦太、(中略)内情欲ヲ恣ニシ、陰ニ登楼、妓抔愛シ、其罪井林ニ不下」
李家氏の歴史は数奇なものである。とくに長州藩では萩焼の歴史とも重なっていよう。
ちなみに、薩摩焼の陶工として著名な沈寿官も、李家氏と同じく南原城から連行された陶工の末裔である。
『幕末維新名士書簡集―李家文書―』
李家正文編
木耳社
1981年