膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
今晩から新しい大河ドラマ『風林火山』が始まった。
しばらくは井上靖の原作から離れたオリジナル脚本だという。

第一回の感想。
一言でいって、藤木久志氏の「乱暴狼藉の世界」と「雑兵たちの戦場」が全開である。
凶作・飢饉論、乱取、雑兵、村落論など、最新の研究成果がそれなりにちりばめられていた。ただ、字幕で「乱取」を「乱捕り」と表記していたのはいかがなものか。

それでも、戦国期の村落や百姓の様子がヴィヴィッドに描かれており、黒澤明の「七人の侍」の世界などフィクションであることを、よく示していたと思う。
ただ、こうした視点を最後まで貫けるかどうか。たとえば、上杉謙信の関東侵攻はまさに冬の端境期における乱取目的、つまり生きるための略奪が目的だったと言われている。
一方、謙信が信州で信玄と対決した理由を、単に信州の反武田の国人たちの支援要請に応じた「義戦」だと描いたら、あまりに落差がありすぎて上滑りすることになるかもしれない。まだ先の話だが、そのあたりをどのような設定にするのか、見極める必要がある。

山本勘助については、まず「大林勘助」という名前で登場していた。これはおそらく、『甲斐国志』下の山本勘助の条に由来するものか。

「源助貞幸年十二参州牛窪牧野右馬允ノ家令大林勘右衛門ノ養子ト也、改名勘助」

これに従ったものか。
なお、勘助に「陣取・城取、軍配の道を極めるのだ」と言わしめたのはなかなかで、脚本家も勉強しているように思えた。
余談ながら、勘助の相手役、百姓の娘ミツを演じた貫地谷しほりは藤谷美紀によく似ていた。貫地谷は「かんちや」と読むらしい。珍しい名字だ。

また天文四年(1535)の籠坂峠の合戦という、あまり知られていないマイナーな合戦をかなり史料に忠実に描いていたのも面白かった。討死した勝沼信友を演じた辻萬長は好きな役者である。次回からはもう登場しないのかと思うと、少し淋しい。
そういえば、寺島進も一回だけの登場で殺されてしまった。もったいない気がする。

武田信虎のいくさ好きや暴虐の兆候、そして板垣信方が学問好きの勝千代(のちの晴信)に期待していることも描いてあり、すでにクーデターの伏線は張られている。

ともあれ、一回目だけの印象だが、昨年の大河よりは期待がもてそうだ。
今後の期待も込めて「風林火山」のカテゴリーを追加してみよう。

 
中央公論

ちょっと場違いな一般誌に記事を書きました。タイトルは、

「戦国軍師の虚像と実像―山本勘助はどのようにつくられていったか―」

一番言いたかったことは、戦国時代に「軍師」という名が付いた者は存在しなかったという点です。戦国時代には「軍師」という言葉が使われていなかったからです。私たちが「軍師」としてイメージしているのは、作戦の立案に関わる参謀型の側近のことですね。竹中半兵衛とか直江兼続、島左近といった連中です。彼らを「軍師」と呼ぶには無理があるというのが、拙稿の趣旨です。

戦国時代、「軍師」の代わりにいたのは「軍配者」です。この「軍配者」がどのような役割を果たしたのか、「気」と「日取」をキーワードにしてまとめてみました。
はっきりいって、陰陽五行思想など専門外なので、一知半解のことを書いているかもしれません。それでも、「軍配者」の雰囲気だけでも味わっていただけたらと。

心残りはサブタイトルにある山本勘助の逸話を分量の関係で割愛せざるをえなかったことです。『甲陽軍鑑』に登場する勘助はその実、奇をてらわない、真面目な「軍配者」です。信玄が彼を信頼していたというのは何となくわかるような気がします。