今日から、小学館アカデミーてらこや
「幕末の日記を読む2」の講座が始まった(詳しくは
ここ)。
今回は前回よりも受講者が多く、新人の方も何人かおいでだったので、前回受講しなかったハンデを感じさせないようにと気をつけたつもりである。
前回に引き続いて、土佐藩重役の寺村左膳の『寺村左膳道成日記』慶応三年(1867)分を読んだ。
今日のテーマは、六月の薩土盟約だった。
大政奉還や王政復古とくらべて、あまり知られていないだけに、なるべく詳しく、かつ多角的に見られるよう、史料も取り揃えた。
とくに焦点となったのは、「政令二途」体制(朝廷と幕府の権力分散状態)の克服をどのように行うのか、土佐藩、薩摩藩、そして幕府という三者三様の処方箋の違いを押さえることにした。
土佐藩:後藤象二郎の「大条理」=大政奉還→王政復古
薩摩藩:二条城・大坂城・兵庫港を同時に襲撃する計画
幕府:将軍慶喜の摂政兼任策
同じ時局認識から出発しながら、立場や利害の違いから、それぞれ方針と行動が異なっていたことを理解してもらえたのではないかと思う。
面白かった史料は、『伊達宗城在京日記』に出てきた伊達宗城と島津久光という殿様同士のやりとりである。
二人は、後藤象二郎の薩土盟約に賭ける意気込みが空回りするのではないかと見ており、結局、山内容堂が後藤の策に同意しないだろうという点で二人は意見が一致する。殿様仲間で容堂の性格を知り抜いたうえでの冷徹な観察眼が興味深かった。
なお、同日記に出てくる「
簡兄」が誰かを時間不足でちゃんと調べられず、おそらく久光のことだろうと推定した。それは「
簡兄」が「
双松」にいるからであり、「二本松」つまり、薩摩藩の京都藩邸を意味する隠語ではないかと考えたからである。
帰ってから調べてみると、久光は雅号をいくつか持っており、そのなかに「
大簡」と「
双松」が含まれていた。「
簡兄」は「
大簡」を略した敬称だった。「
双松」は二本松藩邸を指す隠語ではなかったものの、久光が二本松からとった雅号であることは間違いないだろうと思う。
久光はほかにも、「
頑古道人」「
無志翁」といった雅号をもっていたようだ。老荘思想っぽい感じがする雅号である。
講座のあとの反省会で、ロシアに渡った薩摩の漂流民ゴンザが編纂した「露日辞書」がその実「露薩辞書」であり、露日交渉上ではほとんど実用性のないものだったという話をたまたましたら、受講生のみなさんに受けて、このブログで「ゴンザの露薩講座」をやったらどうだという提案があったので、少し具体化してみようと思っている。