膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
7日、日帰りで桶狭間古戦場に取材に出かけた。

現地の地理や史跡に詳しい畏友の橋場日月氏にわざわざ泉州から来ていただき、ガイド役をお願いした。また橋場氏の友人で歴史好きのH氏も同道してくれた。

折からの好天気で、日中は気温も20度近い暖かさだった。日頃の行ないがよいためか、これ以上ない史跡探訪日和だった。

まず、名古屋駅で上記お二人と合流して名鉄線で、桶狭間古戦場跡に行く。今川義元戦死の地である。中京競馬場駅で降りて、まず太子ヶ根に行く。大将ヶ根ともいい、織田軍がこの丘陵の陰から義元の本陣を襲撃したともいわれている。史跡も碑も何も残っていないが、地名が現在も残っていることを随所に確認できた。

その後、反転して、義元の墓のある桶狭間古戦場と高徳院に行く。ここに来たのはじつに十数年ぶりだろうか。あたりの景観がまったく変わっていて、なかなか思い出せなかったほどである。
桶狭間古戦場跡

(豊明の桶狭間古戦場跡の碑)

高徳院の境内の真ん中に、以前、義元本陣跡という碑が立っていたが、碑こそ残っていたものの、だいぶ景観が変わっていた。橋場氏が、お寺裏にある松井兵部少輔の墓に連れて行ってくれた。兵部少輔は義元の部将で、義元を救援しようとして討死した。以前、来たときはこの墓の存在は知らなかったから、教えてもらって有難かった。

その後、桶狭間山をめざす。ここは義元の本陣が置かれたところである。『信長公記』には「御敵今川義元は四万五千引率し、おけはざま山に人馬の息を休めこれあり」と書かれている。
山といっても、標高は65メートル足らず。あたり周辺で一番の高所を探し回った。ようやく見つけたが、何の変哲もないところである(下写真参照)。
桶狭間山


この付近にもうひとつの今川義元戦死の地がある。桶狭間古戦場公園になっている。戦死の碑と供養塚があった。近くには今川義元の重臣、瀬良氏俊の陣所跡とされる「セナ藪」や、長福寺がある。同寺には義元供養のための阿弥陀如来像が安置され、境内には戦死者供養塔や義元首検証の碑もあった。

その後、バスでいったん名鉄線に戻り、鳴海城址をめざした。この城は今川方の最前線で、岡部元信がこもっていた。この城を監視・圧迫するために、織田方は丹下・善照寺・中嶋の付城を築いた。
鳴海城は当時を偲ぶものは碑以外なかった。橋場氏によると、以前は切岸が残っていたというので、その場所に行ってみたが、宅地造成の真っ最中で、完全に姿を消していた。

善照寺砦は織田方の最大の前線拠点だった。ここにジャングルジムがあったので登ってみたところ、鳴海城はビル・マンションに遮られて見えなかったが、大高城方面を望むことができたのは収穫だった。

善照寺砦から、その支砦といってよい中嶋砦に移動する。ここは扇川などの河川が合流する三角州にあり、陸海双方の交通路を扼していたように思われる。
善照寺砦まで進出した信長は家臣たちの制止を振り切ってこの砦までやってくると、折からの豪雨の中、敢然と義元の本陣を攻撃するのである。
信長がなぜそんな大胆というか無謀とも思える決断をしたのか、その地に立って見たかったのである。しかし、当時を偲ばせるのは、碑と河川の三角州だけである。大高城方面は建物に遮られてまったく見えなかったのは残念無念。

その後、鳴海駅まで戻ってタクシーで大高城に行く。ここも今川方の拠点で、松平元康(のちの徳川家康)が兵粮入れをしたことで知られる。
この日めぐった城砦の中で、もっとも中世城郭の風情を残している城跡だったので、とてもうれしかった。大きな曲輪が三つも四つもあった。そしてその突端からは、織田方の付城である鷲津・丸根の両砦がよく見えた(下写真参照)。
鷲津・丸根

(写真奥の丘陵の左手のマンションあたりが鷲津砦、同じく右手の高層マンションの裏あたりが丸根砦)

取材はこれで終わりだろうと思っていたところ、橋場氏が鷲津・丸根にも行こうという。時刻はもう4時を回っていた。冬場の取材は午後4時が限度だと思っていたし、大高城からはるか遠くに見える両砦だったので、とても行けないと思っていたが、案外近かった。両砦まで見て回れて、桶狭間古戦場の関連史跡は日帰りにもかかわらず、ほぼ全部回ることができた。望外の喜びである。
鷲津砦

(鷲津砦跡の碑)

一人ならとてもこれほど効率的には回れず、下手をすれば鳴海城あたりで終わっていたかもしれない。名ガイドの橋場氏に感謝、感謝である。また、全行程が徒歩20キロ以上に及ぶ取材とはゆめにも思わずに同道したH氏は途中で、私たち二人にあきれ顔ながら、最後まで同行してくれた。さぞやお疲れだったろうと思う。

古戦場めぐりは久しぶりだったが、20キロ以上歩いたにもかかわらず、翌日もとても元気だった。まだまだ史跡取材がやれそうだという自信も取り戻せた気がする。取材後、名古屋駅の某タワービルで飲んだ生ビールがうまかったことはいうまでもない。
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ゴンザの露薩語講座」第13回です。
前回出題分「ヤキモチ」の解答は「ビスケット」でした。きなみんさんとまいたけ君さんは連想法はよかったですが、ちょっとはずしましたね。

第13問:ダクマ

ヒント:これは鹿児島の人なら知ってますね。