膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
大河「風林火山」第7回。

創作部分がつづく。
今川から北条へと渡り歩き、氏康からも体よく追い払われて間者となって信州に入った勘助。

そこで出会ったのが、真田幸綱である。従来、幸隆とされていたが、どうやら幸綱の名乗りが正しいようである。
演じるのは佐々木蔵之介である。
武田晴信の初陣となる海ノ口城の戦いがあった年なので、天文五年(1536)にあたる。幸綱は24歳という設定になる。

さて、武田軍が国境を越えて信州佐久郡に侵入したというので、真田幸綱らは武田軍の進出に危機感を示し、勘助を海ノ口城に使者として派遣するというところで今回は終わった。

しかし、海ノ口城は国境に近く、小県郡の松尾城に拠る真田氏からは相当遠い。果たしてこんなに危機感を抱くものなのか。それより、真田氏にとっては隣接する村上義清のほうがよほどの脅威だと思うが……。
まあ、五年後の天文十年、海野平合戦で、真田氏を含む海野一族が敗北して、幸綱らも上州に逃亡することになるから、その伏線的な意味合いもあろう。

真田幸綱の居城を松尾城としていた。城の遠景が出てきたが、どうも松尾新城ではなく、古城のように見えた。そして同城の櫓から幸綱が勘助とともに村上方の支城である戸石城を望むシーンがあったけれども、それは無理だと思う。

昨夏、真田庄の取材に行ったから地理的な感覚がわかるが、古城からだと、新城(真田本城)の山並みが邪魔して戸石城は見えないはずだ。だから、あのシーンは本来、新城からの眺望にすべきだろうが、あの時期、真田氏はまだあの地に城を築くだけの実力はなかったはずだ。新城が築かれるのは、幸綱が上州から復帰して以降だと思う。

一応、新城(真田本城)から見た戸石城の写真を掲げておく。うっすらと見える中央の市街地は上田市街。市街の手前にある右手の山並み(端が切れている山)が戸石城址。
戸石城