膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
大河ドラマ「風林火山」第11回。

ようやく武田家中が信虎追放に向かって動き出した。
板垣・甘利・飯富らの譜代重臣が密談している場面があった。そのなかで、飯富が天文5年(1536)の前島一門処断の件で武田家奉行衆が退転したことを他人事のように述べていたが、本来なら家中を揺るがす一大事件のはずである。

奉行衆というのは、武田家の職制では両職(当該期は板垣信方と甘利虎泰か)に次ぐ重職で、公事奉行と勘定奉行の二つがあるが、この一件の場合、訴訟沙汰に関わる公事奉行が該当するのではないか。

不勉強で、このとき退転した奉行衆が誰だか知らないが、これら奉行衆は武田氏屋形である信虎の側近衆であり、本来、甲斐武田氏の根本被官のうちの有力者がつとめるはずである。
わかりやすくいえば、跡部氏とか長坂氏などに代表される人々ではないかと思われる。
彼ら奉行衆の退転は、信虎が代表する大名武田家の「公儀」が公正を担保できないことへの強烈な不信感の表明だと思われる。
自家の根本被官にさえ、このような実力行動に出られるのだから、武田家中の内部危機は相当深刻だったはずである。

そのあたりの家中の内紛を描いたならば、ドラマにもっと迫真性が生まれたはずである。また信虎がそうした家中の矛盾を外に転化するために外征に熱心で、その勝利の果実によって家中を慰撫するという、なりふりかまわぬ方法をとったとしたほうが、譜代老臣たちの信虎追放への合意形成により説得性が出たのではないかと思うが、例によって、父子相剋に事態を矮小化、単純化したのが惜しまれる。

前回の海ノ口城の戦いで、山本勘助がまったく必然性のない軍師的役割をつとめたあたりから気になっていたのだが、ドラマのメインストーリーにおいて、勘助が関与する必要のない場面でも、無理やり関わらせようとする傾向が目立つようになった気がする。

今回の真田幸綱との別れもそうだし、次回の追放された信虎の出迎え役に勘助が任命されるという噴飯事もそうである。今川家はしかるべき家臣を出迎えさせないと、礼を失すると思うのだが……。勘助は牢人だぞ。

以前、といっても20年以上前だろうか。「黄金の日日」という大河ドラマがあった。これも堺衆の視点から戦国時代を描くという面白い作品だったが、いつも重大な場面で、主役の呂宋助左衛門がからんでくるのである。
金ヶ崎の退き口で秀吉に玉薬を届け、杉谷善住坊の狙撃も邪魔し、安土城の青瓦を製作したり、干殺しにされている鳥取城に潜入して無駄に兵粮を食いつぶしたり、細川ガラシャを助けたり、挙句は本能寺の変でも信長に会いに行こうとしたり……という具合である。あまりにも同じパターンがくり返されるので、途中からイヤになった。

私は、この手の必然性のないパターンの連続を、主役の出しゃばり症候群と呼んでいて、とくに史料が少ない主役の場合にとられる手法で、致し方ない面もあるものの、思わず「おいおい」と言いたくなるような、ドラマのリアリティを極端に削ぐ逆効果をもたらしてくれる。

近年の大河では、「利家とまつ」にその傾向が顕著だった。何せ、清洲会議に前田利家が登場するし、富山城にこもる佐々成政を説得するために、まつが豪雪の中、一人で!出かけるのだもの(大笑)。

勘助も史料が少なく、その足跡がわからない点が多いだけに、この症候群が発症する可能性がかなり高くなるだろう。
これが、このドラマの死命を制することになるかもしれない。