膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
NHK大河「風林火山」第13回。

いよいよ勘助が武田家に仕官することになった。
しかし、板垣信方を駿河に行かせてからの成り行きは、勘助よりも脚本家が策に溺れて破綻しているように感じられたけど、それはさておいて。

気になったのは、勘助が晴信に対面したとき、晴信から「我が一字を与え、山本勘助晴幸と名乗るように」と告げた場面。
これに対して、板垣が将軍足利義晴からいただいた一字を与えるのはいかがなものかと諫言する。まことにもっともだ。
ところが、晴信はその直前に「諫言してもダメなら、自分の首をすげ替えよ」と言っていたくせに、その舌の根も乾かぬうちに、その誓いを翻す。食言も甚だしい。

板垣が諫めたように、将軍の一字を家来、それも正体不明の新参に与えるというのは常軌を逸しているし、当時の主従儀礼に鑑みてもおかしすぎる。
晴信から一字もらった家来は馬場信春はじめ多数いるが、みな「信」の字で、「晴」の字は誰一人としていない。

あと、年代がおかしいのは、諏訪頼重に嫁いだ禰々の没年である。
「武田系図」(『群書系図部集』第三)によれば、禰々の没年月日は天文12年正月19日である。
これに対して、勘助は同じく天文12年3月に、板垣信方に推挙されて晴信に仕えたことになっている(『甲斐国志』)。
つまり、勘助が晴信に仕えたとき、禰々はすでにこの世の人ではないということになる。まあ、頼重と禰々の対話の場面は信虎の駿河追放の話題だったから、まだよしとしよう。おそらく次回か次々回くらいに亡くなると思われる。

そこで気になるのが、勘助がミツに与えた摩利支天の彫り物の行方だ。
たしか、ミツの死後、それが晴信の手に渡り、さらに妹の禰々に渡っている。
そして禰々がなくなるとどうなるのか。おそらくその臨終間際、禰々が義理の娘の由布姫に形見として渡すんだろうな。

そして、晴信が頼重を攻めて、勘助が隠れている由布姫を見つけたとき、この摩利支天の彫り物を見て、由布姫にミツの面影を見て、運命の出会いを感じるという塩梅だろう、きっと。