昨日、豊臣秀吉関係の研究会に出席。
豊臣政権から近世初期の対外関係史、とくに日朝関係史に詳しい米谷均氏の報告が表題のようなテーマであった。
秀吉の朝鮮侵略が失敗に終わり、文禄の役末期に講和を探る動きが出てくる。小西行長と沈惟敬の画策により、秀吉を日本国王に冊封することになったのは知られている。
その冊封のプロセスを細かく追った報告だが、これまで見たことのない明や朝鮮側の史料を見て驚くことが多かった。
とくに、このときの冊封は秀吉だけでなく、徳川家康以下十数人の大名も一緒に冊封されていた事実に驚く。家康は右都督だそうな。
古代の奴国王や卑弥呼から、懐良親王や足利義満など、国王冊封の事例はいくつかあるが(実際は倭五王を含めて15例だけとか)、陪臣まで一緒に冊封された事例は秀吉のほか、卑弥呼と倭王珍の事例があるようである。
秀吉は明らかに明から日本国王に冊封されたことを確認するとともに、明使の日本派遣から秀吉がこの冊封を否定するまでの動きも大変興味深かった。
先行研究では、徳富蘇峰の『近世日本国民史』がもっとも史料を網羅していて、現在でも基本論考になっていることも意外だった。
メンバーも豊臣政権に詳しい山本博文・曽根勇二・堀新の諸氏、日明関係史に詳しい伊川健二氏など、錚々たる研究者ばかりで、こちらは議論を拝聴するばかりだった。それでも、大変ためになった。
ちょっと分不相応な参加だったかもしれないが、研究の最前線の雰囲気が味わえた気がする。