膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
先日の上方上洛の報告。

【初日】
まず吉野に行く。
京都から近鉄に乗り、橿原神宮前で乗り換える。ここで友人の和田氏と合流し、一緒に吉野へ。
某財団法人が太田牛一『信長記』の写本を所蔵している。その閲覧が目的だった。年2回だけ一般公開され、所蔵史料の閲覧が許可されるので、この機を逃すと、半年は見られなくなる。

このような山中になぜこんな団体があるのかよくわからない。創設者の地元なのだろうか。とにかく、多くの古文書や古典籍を所蔵しているのである。

昼前に目的地に着く。駅から吉野川沿いの道を暑い中、20分近く歩いた。
来館者は私たちだけかと思ったら、先客があった。若手研究者らしき人が太平記の写本を一心不乱に閲覧していた。

私たちもあらかじめ用意してもらった『信長記』15巻を閲覧。
最初は2人で見ていたが、どうもペースを上げないとすべて見られないとわかって、巻を分けて別々に閲覧した。
事前に下調べしていたのと、ほぼ同じ結論を得られた。

帰路は館員の方に車で駅まで送ってもらった。疲れていたので、とても有難かった。
閲覧はできるが、撮影・紙焼などは不可とのことで、いささか消化不良だったものの、一応、最低限の成果は得られたと思う。

【2日目】
この日は、伏見に下る。
寺田屋関連の史跡をめぐる。
伏見の薩摩藩邸跡が某酒造会社になっているが、親切な社員の方から敷地内の見学を許される。多謝。
薩摩藩邸の前には濠川が流れている。人工の運河だと思うが、予想以上の水量と急流に驚く。
慶応2年(1866)正月、寺田屋に宿泊していた坂本龍馬は幕吏に襲撃され、間一髪で逃れる。お龍から急報された薩摩藩邸では、大山彦八(巌の兄)が濠川から舟で救援に向かい、龍馬と三吉慎蔵を救出する。

この濠川なら、舟もすぐ下れただろうと納得する。
濠川沿いに歩く。窮地を脱した龍馬たちが潜んでいたという材木置き場跡などを見学する。
途中、豊臣政権時代の伏見城下ゆかりの地名がたくさん残っているのに気づく。
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伏見から京阪電車で北上し、東福寺駅で下車。
東福寺塔頭の即宗院を訪れる。
即宗院は島津家の京都での菩提寺である。
昨年、初めてお伺いして、ご住職にいろいろお話をうかがった。
今回も事前に連絡してこの日の来訪をお知らせしてあったので、手際よくお迎えしていただく。

ご住職から、せっかくだから東福寺の名所をご覧下さいと、無料のチケットをいただいたので、ご好意に甘えることにした。
まず、東福寺でおそらく一番有名な通天橋と、その先にある開山堂(常楽庵)を見学。この開山堂の建物は一風変わっている。入母屋式でその中に閣を上げてある。閣の部分を伝衣閣と呼ぶらしい。
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東福寺開山堂。伝衣閣と庭園


次に、方丈庭園を見学。「八相の庭」と呼ぶそうな。
方丈の四方に庭園があり、南庭は「枯山水の庭」、西庭は「井田市松の庭」、北庭は「市松の庭」、東庭は「北斗の庭」という。

友人たちと、苔や低灌木でつくられた「市松」模様を見て、どのような意味なのか議論になる。「八相の庭」は釈迦が衆生救済を示した八相成道にちなんでいるそうだから、悟りを開いた成道を示しているのだろうか。

見学後、ご住職と歓談。
「採薪亭」という、人々に向けた新しい試みをされているそうで、あまり抹香臭くないことをやりたいというご趣旨らしい。とくに人間関係をテーマにされているようで、来年の催しで小生にもひとつ話をしてくれないかという依頼あり。これまでの講師の方々を見ると、とても私の柄ではないと思ったが、信長と光秀の関係でもいいとのことだったので、一応お引き受けする。予想外の展開で、とんだことになったと思った(苦笑)。

その後、一番の目的である墓所を見学させてもらう。
即宗院は島津家の菩提寺だけあって、江戸中期の元禄前後からの薩摩藩士の墓がたくさんある。なかでも有名どころは、

田中新兵衛(人斬り新兵衛)
奈良原喜左衛門(生麦事件)
道島五郎兵衛(寺田屋事件で有馬新七と串刺しにされた人)
中井弘(薩脱藩士、のち滋賀県・京都府知事)
などである。

今回はとくに、有馬新七の父、有馬正直の墓、文久2年(1862)に京都で病死した樺山孫次郎の墓を見学・撮影。

有馬正直は、関白近衛忠熈に嫁いだ興子(島津斉興一女)のお付きの家来として在京し、京都でなくなっている。有馬新七の日記には、父の墓参のため、即宗院を訪れた記事が書かれている。

樺山孫次郎については、それほど知っているわけではないが、樺山資紀が孫次郎没直後に、橋口家から樺山家の養子に入っていることと何か関連があるのかもしれないと思っており、もう少し詰める必要がある。

即宗院を辞去したのち、河原町に向かう。三条を下った先斗町にある中華の「風南」で宴席となる。
京都国立博物館の宮川禎一氏や友人の研究者中村武生氏や東京龍馬会関係者の方々などと歓談。
賀茂川沿いの川床での宴席で、いかにも夏の京都らしい風情。賀茂川からの涼風でとても快適だった。

【3日目】
二本松の薩摩藩邸跡周辺を見学。
近衛殿跡、今出川の近衛邸(桜木御殿)、朔平門外猿が辻(姉小路公知暗殺地)、石薬師の大久保利通邸跡などを見て回る。

その後、黒谷に行く。
今春他界された近江屋主人の井口新助氏の墓参のため。昨春お会いして貴重な話をうかがったのに残念である。献花・焼香した。
上田藩士赤松小三郎(中村半次郎に殺害)の墓、会津墓所なども見学。

昼食後、大雲院を見学。
日頃非公開だが、この時期は一般公開されていたばかりか、織田信長・信忠父子の画像も公開され、祇園祭の山車の形をした祇園閣にも登れるとあって、これを見逃す手はない。
大雲院は信忠の法号にちなむ。戦後に寺町から移転してきたが、戦前は大倉喜八郎の別荘だった。大倉家の別荘が今も残っているし、祇園閣は喜八郎がつくったという。
祇園閣の上に登ると、京都の市街と東山が一望に見渡せる。
東京龍馬会の方々は、霊山墓地が見えると、いたくご満悦だった。
霊山観音や知恩院、京都タワー、清水の三重塔などもよく見える。
一般公開はしばらく続くので、未見の方にはお勧め。
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祇園閣の上から境内の信長・信忠の墓、島津以久の墓を見下ろす

その後、京都国立博物館に行く。
昨日お会いした宮川さんに迎えていただく。
宮川さんには、昨年井口家文書、なかでも海援隊士佐々木多門書状の閲覧でも大変お世話になった。
今回も寄託史料を見せていただく。昨年閲覧できなかった史料も見られたのがうれしかった。

今回も充実した上洛だった。
関係者のみなさんに御礼申し上げます。