膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
南日本新聞連載「さつま人国誌」第18回
―島津本宗家が権限奪還―

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今回は、島津忠恒による伊集院幸侃(忠棟)の上意討ちを取りあげました。
いかにも唐突で荒っぽい事件に見えますが、秀吉が死去し、豊臣政権が分裂・混乱している機をとらえた事件で、島津本宗家としては確信的な行為だと思います。
忠恒の舅、義久も一枚噛んでいたかどうかは微妙なところです。義久が上方から帰国して数日経ってから起きていますので、「アリバイ」はありそうですが、かといって事前謀議の可能性を排除することはできない気もします。

豊臣政権によって太守権を実質的に換骨奪胎されたいちばんの被害者は義久ですから、動機なしとはいえません。
この事件は、豊臣政権に奪われた大名権力を取り戻す目的があったのではないかと結論してみました。

島津本宗家の最大の関心事がそこにあるかぎり、中央政局の権力闘争→関ヶ原合戦からは一歩引いており、あまり関心がなかったといえそうです。

幸侃にとっては、秀吉の死が大きかったと思います。
幸侃自身がそれほど恣意的な政策を行ったとは思えませんが、太閤検地と朝鮮出兵のために、家中の多くが苦労し、禄高を減らされるなかで、ひとり大禄を得て、秀吉−三成ラインと結びついたことに家中の反発が大きく、それほど同情が集まらなかったのかもしれません。

それでも、島津本宗家を相手に1年近く戦った嫡男忠真の健闘は特筆すべきかもしれません。ただ、豊臣公儀の代表である徳川家康が島津本宗家に味方した以上、政治的に勝ち目がなかったのもたしかですね。