すでにネットニュースでもリリースされている。
これとか
これ。
表題の記事、京都の友人が京都新聞などの記事を送ってくれた。有難い。多謝。
丸瓦の表面に「能」(異体字)の字を刻んだものが大きく写真に載っている。まことに印象深い。
現在の本能寺が「ヒ」=「火」を避ける意味で、この字(右側が「ヒ」2つではなく「去」のような字)を使っている。たしかその理由づけが本能寺の変で伽藍が焼失したので、その縁起かつぎというものだったような記憶があるが、この丸瓦の出土で、焼ける前からこの字を使っていたことになるのか。
あるいは、天文法華の乱で焼けたときの縁起かつぎだったのか?
あるいは、本能寺の変後から寺町移転までの間に再建されたものではないのか?
それはともかく、「無防備イメージ一新」という新聞見出しは大げさすぎないか。
今谷明氏がコメントで触れているように、二条御新造を誠仁親王に譲った信長は本能寺を新たな居館にするにあたって、所司代の村井貞勝に本能寺の普請を命じている。御殿その他の付帯施設が作られたわけで、堀や石垣もそれに含まれるだろう。
また、もともと洛中の法華宗寺院、それも本能寺のような門流寺院はある程度の防御施設をもっている。堀や石垣があってもおかしくない。中世の寺院は武装しており、現代のような開放的な寺院をイメージすることじたいがおかしい。
「無防備イメージ」はそうした物理的な施設がなかったことに由来するのではなくて、信長の御供衆が少なかったことに起因する。どんなに堅固な城郭でも、わずか数十人では守りきれるはずがないだろう。
仮に信長が数千人の軍勢を引き連れて本能寺に宿泊していたら、決して「無防備イメージ」にはならなかったはずである。
その意味で、この新聞見出しには違和感を覚えた。