膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
富山弥兵衛

先日、南日本新聞「さつま人国誌」に書いた富山弥兵衛の記事について、いくつかコメントをいただいた。

そのなかで、富山の諱(実名)について板倉丈浩さんから「忠全」とか「豊国」といった説があることをご紹介いただき、京都の戒光寺墓地にある高台寺党の墓石にも「豊国」と刻んであると教えてもらった。御礼申し上げます。

考えてみれば、つい昨秋、戒光寺墓地を訪れて、富山の墓の写真を撮影したことを思い出した。何ともうっかりな物忘れで愕然としている。連載でもこの写真を使えばよかったと少し後悔している。せっかくなので、富山の墓の写真を紹介しておきます。

これだと、実名は「豊国」、通称も「四郎」になっていますね。最初、「四郎太」だったので、それに戻したということでしょうか。
余談ながら、名字も「冨山」に見えます。

なお、前述のコメントでも書きましたが、ほかにも実名が「正利」という説もあるようです。

 
これまで常識だと信じて疑いもしなかった事柄に疑問を呈されると、驚くものである。些細なことかもしれないが、表題の件がそれだった。

いささか旧聞に属するが、『歴史読本』8月号の戦国特集で、島津義弘の合戦を担当した山口研一氏の論考を読み返していて、はたと気づいた。島津忠恒にルビが振ってあって、

ただひさ

となっていた。私はこれまで

ただつね

だと疑いもしなかったから、意表を衝かれた。
山口氏が「ただひさ」とする根拠は何なのかはよくわからない。きっと何か典拠があるのだと思うが……。

ちなみに、山口研一氏は薩摩島津氏について、いくつか優れた論文を書いている。とくに、次の論文は、伊作島津家の本宗家家督獲得についての通説に疑問を呈し、ライバルの薩州島津家の実久が一時守護職を相続したことを明らかにしている。

「戦国期島津氏の家督相続と老中制」(『青山学院大学文学部紀要』28号、1987年)

薩州島津家については、私も少しまとめたいと思っている。