膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
小学館古文書塾てらこや特別講座「大河ドラマ『篤姫』の見方」第5回

昨夜の講座で今次の最終回である。
前回までに篤姫についての主要部分を終えていたので、今回はその周辺の主要な人物として表題の2人を取りあげた。

島津斉彬文書は嘉永2年(1849)正月29日付、側近だった吉井七郎右衛門宛てで、薩摩藩家老・調所広郷の死去を伝えながら、藩主斉興を支える調所派の動揺を詳しく述べたもの。
調所の死因を「吐血」とか「胃血」と書くのみで、服毒自殺とはっきり書いてあるわけではないのが少し気になった。

この書簡で一番面白いというか、異様なのは、お由羅など何人かの人物をローマ字表記の隠語にしている点である。この書状が他に洩れることを警戒しての密書であることは間違いない。
また、宛所の吉井もその返書で、同様に人名をローマ字表記しているのを確認。じつをいうと、吉井は蘭学者杉田成卿(玄白の孫)に学んでおり、斉彬のローマ字の先生でもあった。2人は機密を要する事柄・人名をローマ字表記するほどの親密な間柄だったのである。

そういえば、以前の講座で、水戸斉昭が老中阿部正弘に宛てた神発文字の密書を取りあげたことがあった。これは初歩的な暗号文で、書簡の文字を乱数表に従って読み替えるものである。内容に幕閣批判が含まれていたので、暗号にしたのだろう。
水戸藩内外の抗争の凄まじさを示すものだったが、斉昭がこの暗号を、神州の元気を奮発するという意味で「神発文字」と名づけていたのが、いかにも水戸学の家元だけあって面白かった。

一方の斉彬はローマ字による密書で、斉昭よりもオシャレかも(笑)。一橋派の盟友同士の思想の違いの一端が表れている。
また、斉彬の密書やその言動の激しさから、薩摩藩も水戸藩に劣らず、内部抗争が凄まじかったことを理解してもらえたと思う。

もうひとつ興味深かったのは、斉彬がお由羅派の呪詛を本当に信じ込んでいたことである。斉彬は国許の諏訪明神の神官に、自分と三男・四男の衣服を形代として送っている。お由羅派の呪詛に対抗する祈祷のためである。また斉彬自身も呪詛返しの不動尊祈祷などを真剣に実践していたこともわかった。

お由羅派の呪詛があったかどうかは不明である。仮にあったとしても本当に効力があったとは思えないのだが、斉彬の数人いた男子がすべて夭逝しているのはたしかである。長男と次男を立て続けに亡くした斉彬が呪詛のせいだと信じたくなったのも親心かもしれない。
それはさておき、開明派で合理主義者として知られる斉彬の意外な一面をかいま見たような気がした。

余談ながら、西郷もまたお由羅派の呪詛を信じていた一人である。心酔する主君斉彬が信じ込んでいたのだから、西郷が生涯信じ込んでいたというのもわかる気がする。

小松帯刀文書はまず、「薩道」(英国外交官アーネスト・サトウ)に宛てたもの。
早稲田大学が所蔵している2点の小松文書のうちの1点。新出文書ではないと思うが、永らく一般に公開されいなかったようで、私も初めて見た。ネットでも閲覧できる。ここです。

せっかくなので、釈文を作ったうえで、年次や大意の検討を行う。
キーワードは「御帰港」「下坂」「公使」「病人」「御医師」など。
小松が在京しており、サトウが京都から大坂ないしは兵庫に帰るところで、小松が別れの挨拶をできなかった非礼を詫びるとともに、「御医師」の在京延長を頼んでいる内容である。

外国人禁制の京都にサトウが一時滞在しているわけで、それは慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦い以降しかありえない。実際、薩摩藩の負傷者の手当てのために、英医ウィリアム・ウィリスが朝廷の許可を得て入京し、サトウも通訳として付き添ったことは知っていた。「御医師」はウィリスではないかと思った。
だから、第一感で書簡はこのときのものだろうと推定した。そのウラをとるために、『小松帯刀日記』『元帥公爵大山巌』などで傍証を積み上げた。まず年次は慶応4年で間違いないだろう。

ただ、釈文については、疑わしいのが一、二あった。とくに私が「主人よりも申聞」と読んだ一節で、「主」が違うのではないかというご指摘。たしかに私も疑問に思っていたのだが、では何という字だか思いつかなったので、とりあえず留保するしかなかった。

もう1点の小松文書は元治元年(1864)11月19日付、大久保一蔵宛て書簡。
小松が「ジョン万」こと中浜万次郎を薩摩藩で雇用することを伝えている。小松はジョン万の能力、とくに航海術を高く評価していることが書かれていた。
このあたり、小松と蒸気船・海軍方・開成所などとの関わり方をもっと深める必要があると感じた。

5回にわたる講座、お粗末でしたが、熱心に拝聴していただいた受講生のみなさんに感謝します。
次期もパート2をやる予定でいます。大奥のことや、慶応期や江戸開城前後の様子を詳しくやりたいと思っております。