膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
明日22日発売の歴史読本11月号。

先日紹介した朝日新聞の安土城天主倒壊についての史料紹介と解説記事が掲載されます。執筆者は和田裕弘氏。
興味のある方は読んでみて下さい。地域によっては、店頭に並ぶのが若干遅れるかもしれません。

なお、小生も関連記事として「一乗院門跡尊勢得度と織田権力」を書いております。併せてご覧いただければ幸いです。
記事は、前関白近衛前久の長男尊勢(尊政とも)が興福寺の門跡寺院・一乗院に入室・得度・受戒したいきさつと、織田権力の関わり。とくに明智光秀とその妹「ツマ木殿」の役割についてが中心です。ほかにも九鬼水軍の大船や天正十年閏月問題にも少し触れています。

先日の朝日新聞記事で書かれていない史料の概要をもう一度ご紹介しておきます。

「松雲公採集遺編類纂 記録部」
 金沢市立玉川図書館近世史料館「加越能文庫」所蔵。
 同史料「記録部」第86冊が「東大寺大仏殿尺寸方并牒状奥ニ私之日記在之」という長いタイトルで、このなかに安土城天主倒壊の記事があります。
東大寺云々とあるので、東大寺の記録かといえばそうではなく、興福寺の僧侶が書いた私日記の写しです。松永久秀に東大寺が焼き打ちされたため、当時でも、その再建工事が続けられていました。東大寺が古代からの国家鎮護の寺院なので、興福寺もその再建に協力したときの記録だと思います。

先日、みなさんからいろいろご意見をいただきましたが、私が疑問に思っているのは、考古学的な検証は果たして可能なのかという点です。
 朝日新聞の記事では、木戸雅寿氏が文献と考古学の双方の見地から(倒壊は)ありえないというコメントを寄せています。
 しかし、安土城発掘の現状から見て、考古学的にありえないと断言できるでしょうか。
 現・安土城天主では、天守台の中央、礎石のない部分がわずかに発掘されただけで、天守台内部の全面的な発掘が行われたわけではありません。そんな状況で、考古学的にありえないと断言できるのかどうか。また天主の上部構造物の部材である木材や瓦なども、再建のために片づけられるか再利用されるはずで、痕跡が残るとは思えません。
 また、今後発掘が進展したとしても、倒壊したか否かの痕跡を見出すのはとても難しいのではないかという気がします。

とりあえず、文献上の検討が重要ではないかと思っている次第です。