膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
玉里邸

島津久光が晩年住んだ玉里邸の庭園

南日本新聞サイト本日付の記事。
詳しくはここです。

重富島津家(越前島津家)は島津一門家(四家)のひとつ。
徳川御三家に相当する。
島津久光が一時期、養子入りして当主(当時、忠教)になったことがある。

久光の2代前の当主忠貫の時代、文化年間(19世紀初め)の奥祐筆の日記が、鹿児島大学附属図書館の玉里文庫から見つかった。久光所蔵の書籍の裏打ち紙になっていたという。

玉里文庫は久光の玉里邸にあった文庫のこと。貴重な古文書や古典籍を所蔵していた。『玉里島津家史料』全10巻でも有名。現在は鹿児島大学の所管。

さっそく、重富島津家の現当主晴久氏に電話したら、まだご存じなかったので、記事を送る。
晴久氏によれば、重富島津家の奥向きがわかる史料は皆無だったので、貴重ではないかとのコメントあり。近いうちに帰鹿したら見てきたいとのこと。

 
ジメサア1

南日本新聞連載「さつま人国誌」第27回
―歴史の敗者の心情投影―

連載コラムが更新されました。
左下のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

拙コラムも何とか折り返し点まで到達しました。これから来年3月まで後半戦です。

今回は、昨日がジメサアこと、亀寿(島津義久三女、同家久夫人)の命日だったので、この話題を書きました。
ジメサアの伝承の裏側にあるものを史実から拾い上げてみました。伝承がおそらく史実からデフォルメされた形で形成されたのではないかと思っております。

なお、写真はジメサアの写真を使うつもりだったのですが、他の紙面で恒例のお色直し写真が掲載されるらしく、記事ではそちらに譲りました。
ご覧になれない方のために、2年前の写真ですが、掲載しておきます。

次回から京都の即宗院のことを3回連載くらいで書こうと思っているのですが、今月下旬の妙円寺詣り関連も書こうと思っていて、バッティングしているため、スケジュールが調整できていません。