膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
本日、都内某所で織田信長研究者の谷口氏と会う。
先月にも会ったので、1カ月ぶりである。
来月初め、安土でイベントがあるので、それに合わせての上京である。

比較的最近会ったばかりだが、それでも、話し出すと止まらない。気づいたら、アッという間に4時間たっていた(苦笑)。

例の安土城天主倒壊の一件について、谷口氏の意見をうかがう。
結論からいえば、「ありえたかもしれない」とのこと。
その理由として、通説では安土城天主完成まで時間がかかりすぎていること。天正4年正月に安土城の普請が始まって、1カ月で岐阜から安土に移ったほどなのに、天主完成まで3年以上というのは長すぎると、かねがね思っていたとのこと。
また、陽明本『信長公記』巻9に「安土山御天主の次第」がなぜ入っているのか。このことは必ずしも天正4年に天主が完成したことを意味しないが、『安土日記』が天正7年に入っているのと、なぜ異なるのか、その違いは検討するに値するだろうとのこと。
一概に全面否定する必要はないだろうという意見だった。

余談だが、先日、藤田達生氏と話したときも、この史料は面白いというご意見だった。

谷口氏は現在、織田一族について執筆中とか。
いろいろ苦労話をうかがう。とくに信長以前について説明を受けたが、相変わらず私にはよくわからなかった(爆)。

私の方からは、織田権力のいわゆる「一職支配」のありようについて、具体的に話を聞く。
原田直政の山城守護と一職支配の関係とか、近江を譜代重臣たちが一職支配しながら、外様国人が信長から所領安堵の朱印状を与えられていることの意味など教えてもらう。
また与力・寄子という用語の違いをはっきりすべきで、概念を明確にして用語の混乱を是正すべきだとのご意見には、私も全面的に賛成だった。ぜひこの問題についても論文を書いてもらいたいものだ。

ほかにも、いろいろためになる話をうかがった。