行列の最後尾から。正面に館入口が見えるが、行列は館右手裏まで延々続いている。先日の上方出張の報告。
2泊3日の旅。メインは2日間の大阪での史料調査。
その前に京都に立ち寄り、京都国立博物館で
狩野永徳展を見学。
昼前に着いたが、すでに長蛇の列。入口の案内板に待ち時間130分とあるのを見たときには驚愕した。土日ならともかく、平日なのにこれである。いやはや凄まじい人気だというしかない。
しかも、11月とは思えない暑い日差し。館側で用意してくれていた黄色の日傘の数が足りず、そのまま待ち続けるが、頭がクラクラしてきた。
館の入場口はすぐそこに見えるから、大したことないじゃないかと思ったが、じつは右手から館の裏側までヘビのようにくねった行列が続いていることがあとでわかった。
並んでいるときに救急車が2回も来て、体調の悪くなった人を搬送する光景まで目撃。
結局、90分待ちで入館できたので、少し得した気分になったのが不思議だ。
私が並んだときが最盛期だったみたいで、その後、行列はだいぶ短くなっていた。
もしこれから出かけられる方は、朝早く行かれることをお勧めします。また京博のサイトで待ち時間案内もしています。
展示はまことに素晴らしいものだった。
ただ、事前の行列でやや疲れて目にも影響が出て、細部を鑑賞するのが少し辛かった。
上杉本「
洛中洛外図屏風」は、会場のほぼ中央あたりの大きな部屋に単独展示。黒山の人だかりである。
写真ではおなじみだし、図録ももっているが、初めて本物を見た。
写真ではわからなかったことがある。
人物描写がじつに細かいこと。とくに人物の身体や衣裳・道具などの輪郭を少し太く線刻してあるため、人物がくっきりと浮かび上がっている。いまにも動き出しそうだし、語り出しそうといっても過言ではないくらい見事だった。
これを2000人以上も手抜きすることなく、書き込んであるのだからすごい。
隣には、昨年だったか新発見された「
洛外名所遊楽図屏風」も初公開されていた。
じつは、この新聞記事を見たとき、永徳の作品とは少し作風が違うのではないかという印象があった。
あくまで素人目だが、間近で見てみて、人物の造形が上杉本とそっくりであることがわかった。このあたりが永徳筆と特定する決め手だったのだろうか。時期的にはこちらが上杉本より少し先行するらしい。将軍義輝が永徳に目をつけて、上杉謙信に贈る屏風絵を依頼したのもわかる気がする。
あとは、教科書にも載っている「
唐獅子図屏風」。宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵しているもの。
噂に違わぬ大作で、見る者を圧倒する大迫力である。
屏風になっているが、もとは大坂城か聚楽第に飾られていた障壁画を切り取ったものではないかといわれている。
上杉本などの細密な風俗画との対照的な作風が、同一人物に同居しているのは、まさに天才の天才たる所以だろう。
館正面のパネル。待ち時間が長かっただけに、それ以上の眼福を得た思いだった。
夜は、研究者中村武生氏や永年の友人であるK藤氏と宴を囲む。二次会は中村氏とスナック「R馬」に行き、A尾氏やお龍さんに再会。旧交を温める。