膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
新暦と旧暦の違いはあるが、昨日は坂本龍馬・中岡慎太郎の140回目の祥月命日だった。
そのせいだろうか、こんなネット企画を見つけた。ここです。

右側に「坂本龍馬を暗殺したのは誰だと思いますか?」という投票コーナーがある。その結果だけをのぞいてみたところ、

京都見廻組隊士 39%

薩摩藩士 32%


が群を抜いて多かった。

この現状を何と見るか。
近江屋事件への理解はこの程度なのだろうか。所詮、歴史と伝奇は別物と割り切ってもいいのかもしれないが、何ともやるせない結果だといわざるをえない。

常識的に考えても、見廻組の誰がやったかはすぐ具体名が上がるだろう。何よりその隊士の一人、今井信郎が自らやったと告白しているではないか。そしてその証言や記録はおおかた信頼できると、多くの研究者が指摘している。

では、薩摩藩士は誰なのか、ぜひ具体名をあげてほしいものだ。
中村半次郎だとでもいうのだろうか。
彼の『京在日記』を見てほしい。近江屋事件当日、中村は藩邸の長屋に午後8時頃に帰宅している(事件は午後10時頃)。また龍馬周辺の人物ともとても仲良しだ。

あるいは、西郷・大久保が命令したというのか。
西郷は近江屋事件当日、まだ西国の海上にいる。大久保は当日入京したばかりだったが、事件を知ると、土佐藩の真相究明に積極的に協力しつつ、坂本・中岡が暗殺されたことに義憤を表明し、(新選組が下手人だと信じていたので)近藤勇はその暴虐ゆえに自滅するだろうとまで言い切っている。

吉井幸輔に至っては、近江屋は無防備で危ないから薩摩藩邸に避難するよう、龍馬に忠告までしている。

このような史実や史料の全体を概観してみて、果たしてどこから薩摩藩士説が出てくるのか、私にはとても信じられない。

おそらく、史実を無視した某大河ドラマあたりからこの傾向は強まったと思っているが、まったく困ったものだ。

泉下の坂本・中岡の両人こそ、我々の国事周旋が果たして何のためだったか、まったく理解してもらえていないと、一番困惑し嘆いているのではないか。