膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
年末年始進行のため、明日(29日)の連載コラムは1回休みです。次回は1月5日です。

なお、南日本新聞では正月特集として、大久保利通没後130年特集企画があります。
1月3日朝刊で、1面全部使った特集になります。
小生も「さつま人国誌」特別編として、幕末京都の大久保利通邸にあった茶室「有待庵」をめぐる出来事を書きました。有待庵での西郷との密談、討幕の密勅秘話、近江屋事件などを中心にまとめています。通常の2倍の分量ですから、読み応えがあると思います。
なお、利通子孫の利泰氏への特別インタビューもあるそうです。

ご覧になれる環境の方はぜひご覧下さい。
 
先日、鹿児島の某財団から小松帯刀についての講演依頼があった。
しかも、会場が小松家の屋敷跡というか、小松の銅像が建っている場所(県文化センター=宝山ホール)である。

最近、小松を調べているし、何かと縁があると思っているので、お引き受けした。
とくに小松銅像の場所で話をさせてもらうというのに惹かれた。

本日、担当者の方がわざわざ上京されて、日程その他を打ち合わせした。

5月27日(火)午後6時30分〜

と一応決まる。


小松をメインテーマとした講演会が開かれるとは感無量である。従来、とても考えられなかったことだ。
来年の大河ドラマの影響が大きいが、それはともあれ、小松への注目が県民の間でも高まるのはうれしいことだ。

先日、地元メディアで篤姫のアンケート結果が公表された。
それによれば、篤姫を名前だけでも知っているという人は、県民でも50%程度だった。
大河ドラマの主役である篤姫の知名度さえも、かくのごとし。ましてや県外ではこの数字はもっと低くなるだろう。いわんや、小松においてをや。

不安は会場のキャパ。
果たして、あの大会場を埋められるのか。
こればかりは、瑛太君の熱演に期待するしかない。他力本願だ(爆)。

 
歴史読本08年2月号
連載第2回:軍事カリスマの原点

そろそろ店頭に並んだ頃だと思います。
よかったらご覧下さい。

今回は10代後半の信長のよく知られた「大うつけ」ぶりを解釈し直してみました。
かなり憶測が入っておりますが。とくに「肉体派・信長」を強調しております。

それと、守護代家(大和守家)の奉行にすぎなかった信秀の覇権がもたらされた理由は何だったのか、また信秀が信長に残した遺産は何だったのかを考察してみました。

この時期は史料が少ないだけでなく、文書の年次比定が難しかったり、史料同士で矛盾していたり、人名比定がよくわからなかったりといった大変な困難が伴います。一つの史料の年次なり解釈を間違えただけで、全体に影響してきます。実際、間違えているかもしれません。
下村信博氏をはじめとする優れた先行研究を参考にさせていただきました。
 
一昨日(22日)、共同研究の太田牛一『信長記』調査のために、共同研究のメンバーとともに大阪・吹田市のK氏宅を訪問。
先々月の丹波市、先月の大阪歴史博物館、今月の富山県文書館に引き続いて、今月2度目の調査。
すごいペースでの調査が進んでいる。どこでも、新しい知見が出てきている。

これまでは公共機関所蔵史料が対象だったが、今回は初めて個人所蔵の史料調査。K家は近世に太田牛一の子孫家と姻戚関係になっている。
郊外の庭の広い立派な邸宅だった。あいにくの雨だったが、庭にたわわに実っていた黄色の花梨のほのかな甘い香りがした。

品のよい令夫人の出迎えともてなしに一同恐縮する。K家が高松・小豆島から吹田に移られた経緯などをうかがう。この史料も先代当主が隠居された小豆島に保管されていたために、戦災を免れて現存しているとのこと。貴重な来歴だと感じ入った。

さっそく客間の一室をお借りして調査・撮影となる。
「信長記」のほか、近世文書や絵図などもあり、目的外だったが、まことに興味深かった。K家は近世の庄屋だったようである。

「信長記」そのものもなかなか記述に興味深い点があった。
また貴重な体験をさせてもらった。

来月もまた都内で調査があるらしい。
これも楽しみである。



 
南日本新聞連載「さつま人国誌」第38回
―信長に対する不満一因―

小生のコラム連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」からアクセスできます。

今回は織豊期の関白太政大臣・近衛前久を取り上げました。
前久は天正3年(1575)暮れから翌年にかけて、半年ほど薩摩に滞在しています。
とくに薩州家の島津義虎の所領、出水に長期滞在して、その痕跡を今に残しています。
私の郷里だということもあり、ぜひそれを紹介したいと思い、地元の歴史民俗資料館から、前久の揮毫の写真を拝借することができました。

サブタイトルが少し誤解を招くかもしれません。
信長と前久が対立するようにみえてしまいますが、それは本意ではありません。
将軍義昭との不和で出奔した前久は本願寺や丹波に在国しますが、義昭を追放した信長の帰洛要請に応じていったん帰国しました。
それからしばらくして、九州に下向するわけですが、コラムにも書いたように、信長への所領の不満を書いているのは事実です。ただ、それは織田権力内での近衛家の立ち位置が信長との間で一時的に調整できなかったというだけのことで、長期にわたる対立というわけではありません。

個人的には、『歴史読本』誌本年11月号に書いたように、近衛家の家督を信基に継がせたい前久に対して、将軍義昭がそれを認めないという状態が長く続いており、信長との間でもそれがすぐには解決していなかった点が重要ではないかと思っています。

その傍証として、前久が再帰洛すると、信長は信基を自分の二条御新造で元服させて、家督とするとともに、前久には新たに山城普賢寺1500石を与えるという大盤振る舞いをしています。家督問題と所領問題に対する信長の処置によって、前久の不満はすべて解消されたといってよいでしょう。

また、前久の九州下向には信長の暗黙の了解があったのではないかと思います。

次回は、前久の息子、左大臣信尹(旧名信基、信輔、のち関白)の坊津配流を取り上げたいと思います。
親子して薩摩に下向するという変わった摂関家です(笑)。
 
久品仏

一昨日(19日)、世田谷奥沢の九品仏(九品仏浄真寺)で、表題の法要に参列した。

広郷の子孫である調所一郎氏のお誘いによるもの。
じつは昨年も誘われていたが、折悪しくノロウィルスにやられたときで欠席したので、今年は何としてもと思い、参列できてよかった。

九品仏は都心に近い立地ながら、境内が広くて閑静なところである。
増上寺の別院らしいが、じつに風情がよい。近場にあったら、散歩コースにしたいくらいだ。

参列者は調所さんのご家族や、友人知人の方々。
僧侶による読経ののち、墓所での焼香をとりおこなう。

そのあと、控えの間で懇親会となった。
なかには自顕流の関係者も何人かおいでだった。マイミクの秘剣さんもおられた。また作家の上城恒夫さんにもご挨拶する。私の高校の先輩もおられて話がはずむ。拙著「島津義久」を持参された方もおいでで、有難かった。
上城さんのご紹介の餃子屋さんがおいしいらしい。ニンニクを使わない餃子とか。
新年会をそこでやろうということになった。

調所さんのお話によると、来年の大河「篤姫」で調所広郷を演じる平幹二郎さんから丁寧な挨拶状が届いたとのこと。出番は初回と二回目だけで、すでに収録も終わっているそうだが、注意深く演じられたそうな。
どんな調所像になっているのだろうか。今から見るのが楽しみである。

調所広郷は島津久光、川路利良とともに、不当な評価を改める必要がある人物だと思う。
 
小学館古文書塾「てらこや」の新しい講座が来年1月から始まります。
大河ドラマに合わせた内容になっています。
興味のある方は参加してみませんか。

■ 特別講座「天璋院篤姫と小松帶刀」

講師:桐野作人(歴史作家)
日程:全5回(1/15、1/29、2/12、2/26、3/11)火曜日、19:00〜20:30(1回90分)
会場:小学館アカデミー
    〒101-0051 東京都千代田区神保町2-14,SP神保町ビル1F
    交通:都営地下鉄・東京メトロ半蔵門線「神保町」駅より徒歩約1分、JR「水
道橋」駅より徒歩約12分
    会場案内図はこちら(別ウインドウで表示されます)

【講座内容】
大河ドラマ「篤姫」の関連シリーズ3回目ですが、今回は趣向を変えて、薩摩藩家老の小松帯刀をメインに取り上げます。
小松は西郷隆盛・大久保利通と並び称された人でしたが、あまり知られておらず、知名度も低いです。ここでは、篤姫の相手役として、今回はじめて大きくクローズアップされる小松の事績を詳しく見ていきます。
小松のわずかに残っている日記や、200点以上現存する小松文書を中心に進めていき、小松のことだけでなく幕末薩摩藩や幕末政局への理解を深めたいと思います。

【講師からひとこと】
現在、私が一番関心をもっている人物です。
史料もそれなりに収集しておりますので、その成果の一部を受講者のみなさんに還元し、小松の人物像をより深めていけたらと思います。
幕末薩摩藩の美男の大立物の魅力を味わいましょう。

【申込先】
小学館アカデミーのサイトにあるフリーダイヤルでお問い合わせ下さい。こちらです(ただし、講座内容はまだ更新されていません)。
 
南日本新聞連載「さつま人国誌」第37回
―義弘食ったぼっけもん―

小生の連載が更新になりました。
左側のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

前回まで、幕末の”ぼっけもん”桐野利秋でしたが、今回は戦国の”ぼっけもん”といえる中馬大蔵です。
ご存じの方もおいでかもしれません。
よく知られた逸話を中心にまとめました。じつは、関ヶ原以外のことも書いたのですが、分量オーバーのため、削除せざるをえませんでした。
以前に撮影していた中馬の墓の写真も活用できた。この墓を探すのに苦労した覚えがある。

余談ながら、小生の縁者に中馬の子孫がいる。
古文書や系図などがあるらしい。一度、拝見したいものである。

次回は、親子して薩摩に下向した近衛前久・信尹の逸話か、あるいは幕末に設置された薩摩藩の開成所のどちらを取り上げようかと迷っている。


 
本日午前10時より、西新宿の京王プラザで、表題の講演会に出講。

事前に受講者500人以上と聞かされていた。
主催者は折からの雨のため、受講者が減るのではないかと心配していたが、結局、杞憂に終わったそうだ。

講演は、重富島津家の当主島津晴久氏と、不肖小生が講師となった。
まず、晴久氏が島津本家の歴史を手際よく紹介され、合わせて、重富島津家の成り立ちと、現在までの流れを貴重な古写真も使って解説された。
とくに、鹿児島の本家を囲むように、一門四家(重富・加治木・垂水・今和泉)と、一門を含めた八家の残り四家(日置・花岡・宮之城・都城)が配置されていることを、地図を使って解説された。受講者にもわかりやすかったと思う。

晴久氏が重富島津家と篤姫の実家である今和泉島津家の関係を最後に解説されて、その後を小生が引き取るという形になった。事前に打ち合わせをしていなかったが、晴久氏の巧みな段取りは有難かった。

私は相変わらずレジュメ枚数が多かった(爆)。
与えられた時間は1時間だったが、結局、20分ほどオーバーしたのではないか。時計を最後見なかったので、よくわからない。
島津家と徳川家が関ヶ原以来、良好な関係にあったこと。
竹姫(浄岸院)―茂姫(広大院)―篤姫(天璋院)という3人の女性から、島津家と徳川家を見ていくという形にした。

○島津斉彬が篤姫をどう評していたか?
○篤姫の体格はどうだったか?
○慶応4年(1868)2月、篤姫が薩藩隊長(西郷隆盛の目に触れることを想定)に宛てた徳川家存続を求める嘆願書
○勝海舟と篤姫

などを中心に話す。
あとで聞いたところによると、篤姫の嘆願書が長文にもかかわらず、よかったという声が多かったそうな。

講演終了後、分不相応なサイン会と相成る。
多くの方々に拙著を買っていただき、まことに有難かった。
とくに、私の高校時代の2年先輩という方が2人でおいでになっていたのはびっくりした。要するに同時期に同じキャンパスにいたのである。
とくに鹿児島出身者から声をかけていただいた。

多数の受講者もあり、どうなることやらと思ったが、みなさんに熱心に聴いていただき、何とか終えることができて、ホッとした。


 
これまで何度か紹介した週刊朝日の連載「週刊司馬遼太郎」の「翔ぶが如く」編が今週発売号(12/21号)でいよいよ最終回です。詳しくはここ

先週号で小生の出番は終わったと思っていたのですが、今週号でもまたコメントを取り上げていただきました。小生のコメントは2カ所あります。

○大久保が征韓論後、西郷との関係修復を試みたこと。
○榎本武揚らの釈放に見せた西郷の国際感覚。

とくに、トリのコメントにしていただいたのは光栄でした。
何度も取り上げていただき、有難いかぎりです。
担当編集者の方との呼吸や問題意識が共鳴したのかもしれません。

東京は本日発売です。
よかったら、読んで下さいませ。

 
南日本新聞連載「さつま人国誌」第36回
―野村忍介との因縁話も―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」にアクセスすればご覧になれます。

今回は桐野利秋編の最終回です。
これまでの連載でもっとも長い5回の連載でした。
それだけ書くことがあるのと、個人的な思い入れもあるからですが、今回は西南戦争で、西郷軍の内部対立、とくに桐野と野村忍介の意見の食い違いについて書きました。

西郷軍の挙兵は、戦略的に見ると、その補給能力からして短期決戦であるべきで、機動力を活かして速やかに九州の外に出て、長州や土佐の反政府士族と合流したり、農民一揆との結合を実現することが勝利への道だったと思いますが、いかんせん、熊本城攻撃と決したことにより、政府軍有利の長期戦へと引きずり込まれてしまいました。
それは、西郷暗殺計画を問責するという挙兵目的(万を超える大軍の挙兵の名分としてはいかがか)に規定されていたともいえましょう。
西郷や桐野は自分たちも参画したがために、明治政府の打倒を呼びかけることができず、それでも挙兵しながら、かつ他の広範な反政府勢力と結合しない(できない)という自己撞着に陥ったようにも思います。

そうした西郷軍の特性(長所・短所)を知り尽くして、短期決戦に活路を見出すという比較的理にかなった戦術眼をもっていたのが野村忍介だったと思います。
野村の献策が実現していたら、西南戦争はもっと違った展開になっていたかもしれません。でも、それは西郷軍の勝利というよりも、さらに泥沼の内戦状態に陥った可能性もあります。
果たして、どちらがよかったのか、歴史の見方に関わる問題かもしれません。

次回は中馬大蔵を書こうかと思っているところです。
 
本日昼過ぎ、富山での史料調査を終えてから帰京。
東京駅に着くと、その足でホテルオークラへ。

菊池寛賞授賞式(文芸春秋社)に出席のため。
マツノ書店の店主松村久氏の受賞に駆けつけた。
マツノ書店は拙ブログのリンク先でもあり、また度々紹介し、復刻本に何度か推薦文を書かせていただいた。

作品陳列

(受賞したマツノ書店の作品群、隣は小沢昭一氏分)

贈呈式には間に合わなかったが、パーティには間に合った。
着いてみると、ホテルの大広間は立錐の余地がないほど。1.000人以上はいただろう。

会場

人混みのなかを探して、すでに贈呈式から来ておられた大久保利泰(利通ご子孫)、勝田政治(国士舘大学教授、大久保利通研究者)、皆川真理子(東京龍馬会)の諸氏とようやく巡り会う。
そこへ、贈呈式を終えた松村氏も見え、お祝いの言葉を述べる。記念撮影もする。

立食形式だったので、フルコースでたくさん頂戴しました、はい。

大手出版社の文芸春秋社だけに、有名人も多かった。

受賞者では、

小沢昭一、市川団十郎、阿川弘之、桂三枝の諸氏を間近で見た。

作家・評論家は覚えているところで、

立花隆、保阪正康、半藤一利、宮城谷昌光、猪瀬直樹、椎名誠、大沢在昌、西木正明

などの諸氏を見かけた。

江夏豊氏もいた。

とにかくミーハーして、食べてました。

 
本日から1泊で北陸に出張するため、更新ができません。
大雪のようなので、多少心配です。
 
週刊朝日今週発売号(12/14号)の連載「週刊司馬遼太郎」の「翔ぶが如く」編に小生がコメントしています。

西南戦争の開戦経緯や西郷隆盛の真意が奈辺にあったかを語っています。
私の冗長なしゃべりを担当記者の方がよくまとめてくれました。多謝。

なお、インタビュー記事には山口のマツノ書店店主の松村久氏が登場しています。復刻出版の舞台裏がよくわかります。
マツノ書店は今年の菊池寛賞を受賞しました。明後日(7日)は授賞式です。

関心のある方は読んで下さいませ。
 
歴史読本08年新年号(現在発売中)から、表題の連載を始めました。
詳しくはここです。

信長の戦争を、戦術・火器全般・軍事組織のあり方から見ていこうというものです。また他の戦国大名のそれと、どこが異なるのか、あるいは同じなのかを具体的に検証していければと考えています。

1回目は総論的なことを書きました。信長の戦争を「軍事革命」という観点から見ていこうというものです。
すでに、言い尽くされているではないかという指摘もあるでしょうし、また近年の織豊権力論や戦国大名論とは異なる部分もあるかもしれません。

何よりも史料と能力の不足から、どこまで書けるかはなはだ心細いかぎりです。
しかも、2年という長丁場、何とか完走できればと思います。
関心のある方は読んで下さいませ。
 
南日本新聞連載「さつま人国誌」第35回
―龍馬暗殺の究明に奔走―

連載が更新になりました。
左下のリンク欄「さつま人国誌」をクリックしたらご覧になれます。

桐野利秋シリーズの4回目。
今回は近江屋事件と中村半次郎の関わりについて書きました。
中村半次郎実行犯説もあるようですが、史料を見るかぎり、むしろ逆で、中村は真相究明に奔走しています。強調したいのはその点です。
薩摩藩も大久保利通を筆頭に、龍馬・中岡暗殺の犯人を捜そうとしている土佐藩に全面的に協力しています。薩摩藩黒幕説はどう考えても成立しないと思います。

なお、ブログ凍結中に連載その3も掲載されました。これは「人斬り」の虚実について書きました。
「人斬り」という言葉はおそらく明治以降の造語で、幕末当時は一般的ではなかったと思います。むしろ「天誅」という言葉で正当化したのではないでしょうか。
また、桐野が「天誅」を加えたのは、赤松小三郎だけで、しかもその行為は桐野の日記「京在日記」が公表されてから初めて明らかになりました。
ですから、桐野が「天誅」を実行するような人物だとは知られていなかったわけで、「人斬り半次郎」という呼び方は比較的新しく、同時代にはありえなかったフィクションといわざるをえません。
できれば、今回と前回、合わせてご覧下さい。

じつは、桐野利秋編は4回連載のつもりでしたが、予定変更で5回に延びました。次回が桐野編の最終回で、野村忍助との因縁を書く予定です。

ついでながら、凍結が長かったため、人気ブログランキングもすっかり落ち込んでしまいました。よろしかったら、リンク欄のそれをクリックして下さいませ。