膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
本日午前10時より、西新宿の京王プラザで、表題の講演会に出講。

事前に受講者500人以上と聞かされていた。
主催者は折からの雨のため、受講者が減るのではないかと心配していたが、結局、杞憂に終わったそうだ。

講演は、重富島津家の当主島津晴久氏と、不肖小生が講師となった。
まず、晴久氏が島津本家の歴史を手際よく紹介され、合わせて、重富島津家の成り立ちと、現在までの流れを貴重な古写真も使って解説された。
とくに、鹿児島の本家を囲むように、一門四家(重富・加治木・垂水・今和泉)と、一門を含めた八家の残り四家(日置・花岡・宮之城・都城)が配置されていることを、地図を使って解説された。受講者にもわかりやすかったと思う。

晴久氏が重富島津家と篤姫の実家である今和泉島津家の関係を最後に解説されて、その後を小生が引き取るという形になった。事前に打ち合わせをしていなかったが、晴久氏の巧みな段取りは有難かった。

私は相変わらずレジュメ枚数が多かった(爆)。
与えられた時間は1時間だったが、結局、20分ほどオーバーしたのではないか。時計を最後見なかったので、よくわからない。
島津家と徳川家が関ヶ原以来、良好な関係にあったこと。
竹姫(浄岸院)―茂姫(広大院)―篤姫(天璋院)という3人の女性から、島津家と徳川家を見ていくという形にした。

○島津斉彬が篤姫をどう評していたか?
○篤姫の体格はどうだったか?
○慶応4年(1868)2月、篤姫が薩藩隊長(西郷隆盛の目に触れることを想定)に宛てた徳川家存続を求める嘆願書
○勝海舟と篤姫

などを中心に話す。
あとで聞いたところによると、篤姫の嘆願書が長文にもかかわらず、よかったという声が多かったそうな。

講演終了後、分不相応なサイン会と相成る。
多くの方々に拙著を買っていただき、まことに有難かった。
とくに、私の高校時代の2年先輩という方が2人でおいでになっていたのはびっくりした。要するに同時期に同じキャンパスにいたのである。
とくに鹿児島出身者から声をかけていただいた。

多数の受講者もあり、どうなることやらと思ったが、みなさんに熱心に聴いていただき、何とか終えることができて、ホッとした。