膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
歴史読本08年2月号
連載第2回:軍事カリスマの原点

そろそろ店頭に並んだ頃だと思います。
よかったらご覧下さい。

今回は10代後半の信長のよく知られた「大うつけ」ぶりを解釈し直してみました。
かなり憶測が入っておりますが。とくに「肉体派・信長」を強調しております。

それと、守護代家(大和守家)の奉行にすぎなかった信秀の覇権がもたらされた理由は何だったのか、また信秀が信長に残した遺産は何だったのかを考察してみました。

この時期は史料が少ないだけでなく、文書の年次比定が難しかったり、史料同士で矛盾していたり、人名比定がよくわからなかったりといった大変な困難が伴います。一つの史料の年次なり解釈を間違えただけで、全体に影響してきます。実際、間違えているかもしれません。
下村信博氏をはじめとする優れた先行研究を参考にさせていただきました。
 
一昨日(22日)、共同研究の太田牛一『信長記』調査のために、共同研究のメンバーとともに大阪・吹田市のK氏宅を訪問。
先々月の丹波市、先月の大阪歴史博物館、今月の富山県文書館に引き続いて、今月2度目の調査。
すごいペースでの調査が進んでいる。どこでも、新しい知見が出てきている。

これまでは公共機関所蔵史料が対象だったが、今回は初めて個人所蔵の史料調査。K家は近世に太田牛一の子孫家と姻戚関係になっている。
郊外の庭の広い立派な邸宅だった。あいにくの雨だったが、庭にたわわに実っていた黄色の花梨のほのかな甘い香りがした。

品のよい令夫人の出迎えともてなしに一同恐縮する。K家が高松・小豆島から吹田に移られた経緯などをうかがう。この史料も先代当主が隠居された小豆島に保管されていたために、戦災を免れて現存しているとのこと。貴重な来歴だと感じ入った。

さっそく客間の一室をお借りして調査・撮影となる。
「信長記」のほか、近世文書や絵図などもあり、目的外だったが、まことに興味深かった。K家は近世の庄屋だったようである。

「信長記」そのものもなかなか記述に興味深い点があった。
また貴重な体験をさせてもらった。

来月もまた都内で調査があるらしい。
これも楽しみである。