膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
NHK大河ドラマ「篤姫」第1回「天命の子」

冒頭、タイトルの「天命の子」は少し大げさなと思い、お気に入りの奈良岡朋子のナレーションながら、篤姫が江戸を救った云々もさすがに言い過ぎではないかと思ったが、主役ゆえ致し方あるまい。

第1回は顔見世興行的に主だった人物総出演で、徳川家祥(のち家定)まで登場していた。もっとも、本丸表での将軍による大名引見の場面で、西ノ丸に居住している将軍世子があんな形で出てくるとは考えられない。まあ篤姫の未来の夫で、しかもエキセントリックな面を見せないといけないという制作側の苦肉の策もわからないではないが。
家祥の性格を象徴的に示すには、烈公徳川斉昭が暴露した、家祥がアヒルを追いかける逸話のほうが面白いと思うが、それでは宮崎あおいちゃんのCMへの皮肉が効きすぎるか(爆)。

全体の印象としては、予想よりも期待がもてそうだと思った。
何より、島津一門の今和泉家の視点で描いていることが、これまでの幕末薩摩藩ものと異なり、新鮮な印象を与えたように思う。従来のドラマなら、島津斉彬など藩主側か、西郷や大久保など精忠組か、といった上下いずれかの視点で描かれることが多かった。今回はそれと違い、その中間的な存在から描いており、幕末薩摩藩の別の一面が見られたのではないか。
島津家一門という、これまで注目されなかった存在がクローズアップされたことで、薩摩藩の身分制や家格制への理解が深まるのではないかと思う。

もっとも、幼い篤姫の断食や、若き西郷の嘆願書提出は、いわば儒教的仁政主義への安易な寄りかかりで、少しやりすぎではないかと思う。支配階級は支配階級らしく描いたほうがよいのでは。

個別的な点について。

1,モリソン号の山川寄港
 アメリカ船モリソン号は天保8年(1837)、篤姫が3歳のとき、日本人漂流民送還の名目で浦賀に着いたが、幕府に砲撃されて退去、その後、7月10日に薩摩の山川港に停泊したのは事実である。このとき、漂流民2人を降ろしたようだが、ドラマのように乗組員まで下船したかどうかは不勉強で知らない。今度調べてみたい。
 山川は今和泉から近いといえば近いが、3歳の幼児の足では無理だろう。まあ、時代背景を理解させる挿話としてはありか。

2,今和泉島津家の家来たち
 家老の栗川孫六、側用人の詫間治通が出ていた。『薩陽武鑑』の今和泉家の系譜に、栗川孫六と詫間勘兵衛が「役人」として記載されている。孫六はそのままだが、治通は勘兵衛と同一人物か、その父という設定だろうか。一応、史実を踏まえている。

3,調所広郷と島津忠剛
 勝手方家老の調所広郷に島津一門の今和泉家がいじめられる構図で描かれていた。調所の悪役ぶりを際立たせる狙いだろうが、実際は、今和泉家の当主島津忠剛の窮状を訴える嘆願に対して、調所らが実情を調査して同家の財政再建に協力したというのが史実であり、むしろ、調所と今和泉家の間には信頼関係が構築されたと見るべきだろう。
 それも、調所が恣意的に手心を加えたというのではなく、今和泉家の産業基盤の育成による剰余の蓄積まで面倒を見ている。調所の財政改革が合理的で、血も通っていたことをむしろ示している。
 そうした視点で描かなかったのは、次回のお由羅騒動の伏線として、悪役の調所(その裏返しとして正義の味方の島津斉彬)を強調しておかねばならなかったのだろうが……。調所については、なお固定観念から脱しきれていないのが惜しまれる。

4,肝付尚五郎(のち小松帯刀)
 う〜ん、少し軟弱すぎるのではないかい。全然いい所がなかったような。

ほかにも気づいた点があったが、今回はこれくらいで。
「風林火山」も第1回は意気込みが感じられたが、尻すぼみに終わっただけに、「篤姫」には頑張ってもらいたいものである。