NHK大河ドラマ「
篤姫」第10回「御台所への決心」
本日、ようやく再放送を見る。
1週間遅れの感想です。
ドラマ進行時点は、ここ数回、ずっと嘉永6年(1853)。
篤姫が今和泉家から鶴丸城に入ったのが同年6月。
江戸へ向かうため、鹿児島を発するのが8月。
そのわずか3カ月弱をずっとやっているわけで、停滞感がある。
だから、こちとらもあまり書くことがないというのが正直なところ。
相変わらず、時系列の乱れがある。
今回、ようやく二条家からの御簾中申し入れを幕府が断ったと、斉彬が幾島に話していた。
しかし、これは前回か前々回に書いたように、斉彬が江戸から鹿児島への帰国の途中、京都あたりで知らされたものである。
家祥の御簾中はこれまで鷹司家と一条家から迎えたが、相次いで早世している。そのため、家祥は「
京都はお好み遊ばされず」(「摂関家の姫はもうこりごりじゃ」と読むべし)という意志を表明していたし、首席老中阿部正弘もすでに斉彬とともに篤姫入輿工作に加担していたから、そもそも二条家からの申し入れが成功する見込みはなかった。
番組では、この一件を斉彬は鹿児島で阿部からの知らせで聞いたことになっていた。
ようやく前回あたりから、篤姫の入輿工作を明らかにしていたから、このタイミングじゃないと、この一件は活かせないだろうなという気はするが……。
まあ、幾島と篤姫のその後の結束のための下地づくりや、篤姫の御台所を決意するまでの動揺・困惑や覚悟のほどを描いて、後半への伏線をつくる必要があるから、このダラダラも致し方ないか。
気になったのは、斉彬が幾島の進言により、入輿の一件を明らかにしたときの篤姫の反応。
斉彬に利用されるのではなく、
自分の意志で決めたい云々というセリフがあった。
当時、政略結婚では、当人とくに女性の意志などほとんど考慮されない。だから、篤姫の啖呵はおかしいけれど、それをあげつらうつもりはない。
のち、大奥入りした篤姫に対して、斉彬の密命が伝えられ、篤姫は将軍継嗣問題で斉彬の意に沿う形で動こうとするが、たちまち、家定生母の本寿院にぴしゃりとやり込められる。残念ながら、「母は強し」で、嫁の篤姫には出る幕がなかったというのが真相。
それだけではない。その後、篤姫は斉彬の意に反する方向に動き出す。紀州慶福の承認であり、明らかに斉彬を裏切る形になる。
その意味では、篤姫は斉彬に利用されたのではなく、まさに「
自分の意志」で嫁いだことになる。
このあたりを史実に忠実に克明に描いたら、篤姫は本寿院側に取り込まれ、極端に言えば「洗脳」されてしまい、為す術もなかったということになってしまう。そうすると、「幕末のスーパーファーストレディ」という番組のコンセプト自体が脆くも崩壊してしまうことになる。
だから、史実通りには描けないだろうし、むしろ、史実とは逆に描かざるをえないだろうな。養父斉彬の密命と夫への愛の板挟みになって、後者を選択するというあたりが落としどころか?
制作側にはなかなか苦しいところである。
篤姫の啖呵に込められた意図は、まさか、そんな伏線ではなく、私の妄想だろうなとは思うが……。
あまり書くことがなくて、先走ってしまった点、失礼。
余談
家祥がアヒルを追いかけるシーンにはあおいちゃんの有名なCMを思い出して笑ってしまった。
アヒルの色が白じゃなく茶色というところに制作側の苦労が察せられた。
篤姫を掴まえられない家祥という暗示じゃないと思うが……。
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