膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
NHK大河ドラマ「篤姫」第11回「七夕の再会」

なかなか江戸へ行きませんねえ(笑)。
ようやく来週は行くようですが。

篤姫が肝付尚五郎と再会したとき、「半年ぶりですね」と言っていましたが、そんなに長くないはず。
前回も書いたように、篤姫が鶴丸城に登ったのは、嘉永6年(1853)6月5日。
江戸へ向けて出発する日は8月21日。

篤姫と尚五郎は篤姫の初登城の日に、お守りの見せっこをしているし、今回の時点で、出発まであと1カ月と言っていた。つまり、今回のドラマ進行時点は同年7月20日過ぎ頃。
2人が別れてから、まだ1カ月半しか経っていないのだが……。
だけど、「七夕の再会」だとすれば、またちょっとずれるが……。

まっ、いいか。
ある程度時間が経過していないと、再会の感動が盛り上がらないし。
尚五郎を篤姫と対面させたのは、斉彬の粋な計らいにみえるが、その実、家祥のことを篤姫にわざと明かしていない後ろめたさと篤姫の不憫さを思い遣ってという設定なんだろうな。一応、ドラマでの筋は通っている。

尚五郎が島津斉彬と対面したとき、西郷吉之助の名前が出てきた。
これはほぼ史実に近いだろう。
斉彬が藩主になって初めてお国入りしたのが同年6月21日。
同年後半、斉彬は精力的に領内の巡見をしている。その過程で、西郷の意見書が目に触れたのだろう。
西郷は同年5月頃に郡方書役助という地方支配の下級役職になっている。
そして翌安政元年(1854)正月、西郷は中小姓に抜擢され、斉彬の参勤出府に随行する。
その途次の休憩時、斉彬が「西郷吉之助はおるか」と、じきじきのお声がかりで、西郷を引見したのは有名な話。
だから、時系列はピッタリ合う。

お近のやっている香道もなかなか興味深いが、門外漢なので論評できない。
ただ、のちに小松帯刀夫人となるお近が香道を嗜んでいたという史料はあるのだろうか? あるいは小松家の遺品のなかに残っているのか? 個人的にはそれを知りたいが。

最後の「篤姫紀行」が、一見、ドラマ内容と関係ない坊津だったが、鑑真和上と沈香の輸入の話になって、納得。
今年の5月、同所にある資料館「輝津館」に初めて行けそうだ。
じつは、昔の大河ドラマ「翔ぶが如く」(1990年放映)の雑誌取材で、坊津に行ったことがある。
でも、その頃はまだ輝津館はできていなかったと思う。行くのが楽しみだ。
近衛信尹の寓居跡も行けたらいいな。信尹については、ここを参照して下さい。

補足
前回、将軍世子家祥(のち家定)がアヒルを捕まえようとするシーンがあった。
創作ではないかという書き込みをどこかで見たが、そうではない。史実だと思われる。

公家の三条実万(実美の父)の史料『三条実万手録』一(日本史籍協会叢書)に、水戸斉昭が太閤鷹司政通夫人(水戸斉昭の姉)の用人石河徳五郎に宛てた書簡があり、そのなかで、将軍家定の行状を次のように書いている。

「御庭の鵞鳥(ガチョウ)・家鴨(アヒル)など追っかけ給ふ哉、または御側にて豆などを煎り、または菓子などを製して下され候位が御慰のよし」

なお、斉昭書簡は安政3年(1856)9月16日付だから、家祥が将軍になってからのこと。ドラマ進行時点から3年後のことであるが。

なお、書簡の続きには、「異国船などの事はいっさい御分りもなく候て恐入事のみなり、徳川の天下は御失にあい成るとも、やむなく候」云々ともあり、将軍家定の不甲斐なさに、斉昭の嘆きが聞こえてくるようだ。

斉昭といえば、篤姫入輿一件でも、仇の外様大名の娘に、御三家が頭を下げよというのかと激怒した逸話も有名だが、近いうちにドラマでも見られるだろうか。
いまの江守徹のキレ具合からすれば、確実にありそうだが。

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