膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
日次記です。

3月28日(金)天晴のち雨
歴史読本の連載「信長」、次号分ようやく脱稿。
いつもは当月号の掲載誌が送られてくる前に脱稿できているのだが、今回はもう3日前に掲載誌が届いていた(汗)。桶狭間合戦に入るようで、なかなか入らない。
次回のメインは岩倉城攻防。

やりながら思ったのは『武功夜話』の評価の是非だ。
前野長康が信長に仕えたことはちゃんと『信長記』にも出てくる。『武功夜話』とそれほど矛盾していない。岩倉城攻防あたりの同書の記述は活かせるのではないだろうか?
斎藤道三が長良川合戦で討死したとき、信長が救援に出かけるが、間に合わなかったことはよく知られている。このとき、斎籐義龍方の追撃を受ける部分、陽明本と天理本で記述が少し異なっていた。文章が前後している部分がある。天理本の方が面白い。

3月29日(土)天晴
井の頭公園

桜が都内各所で満開だとニュースで知り、近場の井の頭公園に出かける。
近場といっても、往復10キロある。気分転換も兼ねて久しぶりに歩いた。
昼頃だったが、桜は満開、人ごみも凄まじい。平らなところには一面に青色のシートが敷いてある。夜になったら、すごいだろうなと思った。
せっかくのなので、写真を紹介しておきます。

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南日本新聞連載「さつま人国誌」第51回
―養子へ「英語より和漢」―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

小松帯刀を6回にわたって連載してきました。今回が小松の最終回です。
小松の家族について書きました。
おそらく意外なことが書かれていると思われたのではないでしょうか。
話の中心は小松の養子となった町田申四郎への訓戒状です。
英国留学生として渡欧し、西洋文明に接した申四郎に対して、小松が和漢の学の重要性を説いています。
少し舌足らずな書き方だったかもしれませんが、小松が言いたいことはおそらく、英語がダメで和漢が大事というのではなく、英語だけではダメだ、和漢もやらないといけないという趣旨だろうと思います。

藩営の洋学校である開成所の創設に関わり、アーネスト・サトウとも親交のある小松ですから、外国語の重要性は十分認識しているわけで、ただそれだけでは足りないということでしょうね。

ちなみに、申四郎はのちに養子縁組を解消しています。小松に実子安千代がいたからです。
その後の申四郎はどうなったのか、不勉強で知りません。もしご存じの方がおいでなら、ご教示願えたら幸いです。

次回は篤姫関係を少し書きます。
また、寺田屋事件の余波として、日向細島での悲劇についても近いうちに書く予定です。

なお、小松帯刀については、来る5月27日に鹿児島市の宝山ホールで講演を行います。
鹿児島方面で興味のある方は足をお運び下さい。入場無料です。
詳しくは、ここにあります。

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