南日本新聞連載「
さつま人国誌」第52回
―篤姫見送った渋谷屋敷―連載が更新になりました。
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今回は江戸にある薩摩藩邸を書いてみました。
その実態は、正直なところよくわかりません。
江戸切絵図に現代の地図を重ねた『
復元 江戸情報地図』(朝日新聞社)という本がありますが、これには、諸藩の屋敷の広さを示す坪数が表示されています。これが何に基づく数字なのかわかりませんが、重宝なので使っています。
ただ、今回のメインになった薩摩藩の
渋谷屋敷については、その本と『
鹿児島県史料 斉彬公史料』の数字が食い違っていたので、後者のほうが信頼できると思い、そちらを採用しました。
ことほど左様に、不正確さを免れませんので、あくまで目安ということにしていただければと思います。
渋谷屋敷はおそらく4万坪を超える敷地があったと思います。薩摩藩邸のなかでは、一番広く、芝本邸(上屋敷)の倍ほどあります。安政大地震後は渋谷屋敷が上屋敷の役割を果たしたといえるかもしれません。
なお、渋谷屋敷は現在の国学院大学や青山学院初等部あたりにありました。
分量の関係で拙稿には書きませんでしたが、お由羅の方は桜田屋敷に住んでいたらしく、安政の大地震後、渋谷屋敷に避難してきています。
ですから、篤姫とも同居していたわけですね。どうやら、この同居の事実をドラマの中に取り入れるようです。さて、どのように描くのでしょうか?
あの篤姫のことですから、ストレートに「呪詛をしたんですか」と聞きそう(爆)。
それと、
大井にも屋敷があったことが史料に見えます。
しかし、江戸切絵図には大井は入っていません。おそらく当時は江戸じゃなく、大井村という在だったからでしょう。もっとも、渋谷も村だし、品川も宿場で、本来の江戸の領域には含まれませんが、一応、切絵図には載っております。
『斉彬公史料』その他、薩摩藩の史料を精査すれば、何か書いてあるのかもしれませんが、残念ながら手が回りませんでした。
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