大河ドラマ「篤姫」、以前幾島のことで宿題がありました。
ここです。
ドラマで存在感を発揮する老女幾島ですが、どのような人なのか、越前藩の記録『昨夢紀事』二に詳しい記事がありましたので、紹介します。
書かれたのは安政4年(1857)12月14日です。
西郷吉兵衛(のち隆盛)が薩摩藩の老女小の島宛て幾島書簡を越前藩の中根雪江に見せたもの。中根はそれを全文写し取っています。
そして、幾島の大奥での活動の様子を解説してくれています。貴重な情報だといえるでしょう。
「この人薩摩殿の密旨を受て、御台所の御上はとりすべてまかないものすれば、後宮にてはいみじき勢ひなりけり、其上女丈夫とかいへる類にて、心逞しく胆太とき本性にて黄白を湯水のごとくつかひしものして、後宮の古へより宮仕へする人の権柄を傾け尽したるほどの婦人なり、何処には宿瘤のある故、皆人ものかげにては瘤/\とのみ唱へて恐れ憚る事なりとぞ」幾島は「
薩摩殿の密旨」を受けているとあります。島津斉彬の密命ということですね。「
とりすべて」は「執り統べて」でしょうか。すべてを取り仕切るという意味でしょう。
大奥での勢いが盛大で、しかも「
女丈夫」であり、「
心逞しく胆太き本性」だとあります。何となく、ドラマの幾島像に近いですね。
注目すべきは「
黄白湯水のごとくつかひものにて」という部分。
「
黄白」とは
黄金と
白銀、つまり金銀のことですね。湯水のように使って、それをもとに「
権柄を傾け尽した」とあります。往年の春日局みたいな権勢にたとえられているのでしょうか。
また、以前幾島を紹介したときの宿題だった「
瘤」と呼ばれていたという出典はこれだったのですね。
「
宿瘤」とありますから、ほとんど生まれつきの瘤が「
何処か」にあったようです。場所が特定されていません。
幾島が金銀を湯水のように使ったというのは、決して私腹を肥やしたり、自分の権力欲のためではないでしょう。大奥は水戸嫌いで知られていましたから、将軍継嗣問題で一橋慶喜を支持する勢力は少なく、多数派工作のためには金銀を多量に使わざるをえなかったのだと思います。
それもこれも「薩摩殿の密旨」のためだったのですが、ドラマでは、最近、篤姫と幾島の間にすき間風が吹いていますね。
幾島の無念が察せられます。
幾島はその後、大奥からの退去を願い出ますが、使命を果たせなかったからでしょうね。
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