歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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本日は投票日。
さっそく済ませてきました。

さて、このところ、時の流れが速く感じられてしかたありません。
ようやく25日(火)の講座報告です。

小学館アカデミー古文書講座「てらこや」特別講座「小松帯刀と幕末薩摩藩7

第3回講座に出講。
今回のテーマは表題のとおりです。
小松帯刀からはやや離れた内容になりました。

薩摩藩では慶応3年(1867)6月頃に、いわゆる討幕派が形成されます。
その一方で、多数派工作も続けられ、とくに土佐藩との連携が重要な課題となりました。
というのも、同藩では後藤象二郎が参政に就任して上京してから、国事周旋に熱心になり、とくに長崎で種々の情報に接したからか、大政奉還による政令一途をめざすようになります。
今回は薩摩藩と土佐藩が交わった薩土盟約と、それに坂本龍馬がどの程度影響を与えたのか検討しました。

薩土盟約については、2点の文書があり、「大綱(旨主)」と「約定書」に分かれます。佐々木克氏の説に従い、「大綱」が土佐藩の原案、「約定書」が薩摩藩との協議によって修正され具体化された最終案という位置づけで読みました。

このうち、「約定書」に「船中八策」がどの程度反映しているのかという観点から検討してみましたが、結果として、船中八策は龍馬が関与したか否か、またいつ成立したかよくわからないというしかありません。

それと、「船中八策」という呼称はいろいろな点で不都合だと思います。
まず日付がおかしい。6月15日付になっていますが、その日は龍馬も長岡健吉も後藤もすでに入京していて、夕顔丸の「船中」ではありません。
それと、近年指摘されていますが、「船中八策」と呼ばれるようになったのは同時代もしくは明治初期ではなく、大正年間の後半だと思われ、おそらく坂崎紫瀾あたりの命名ではないかと思われること。それを世間に広めたのは、さらに時代が下って、平尾道雄氏ではないかと思われます。

また、「船中八策」とほぼ同じ趣旨のものがすでに、龍馬の縁者、弘松宣枝によって明治中期に紹介され、「建議案十一箇条」(ただし、9,10,11の3カ条は不詳)と呼ばれています。
このことから、「船中八策」は龍馬伝説を形成するツールとして、意図的に作為された可能性が濃厚だと思います。

結局、講義内容は明確な結論が得られず、消化不良で終わりましたが、受講者のみなさんからたくさん質問があり、議論が盛り上がったことが大きな収穫でした。
それにしても、みなさんはお詳しい。驚きました。

次回は、西郷の「討幕」論あたりをやろうと思っています。

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【2009/08/30 10:59】 | てらこや
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昨日、小学館「てらこや」講座出講のため、レジュメ作りであたふたとしていたが、今日もまた同じ光景がくり広げられた。
明日、名古屋の栄・中日文化センターの講座「信長公記を読み解く」のレジュメを作るのに、バタバタしてしまった。

今回が2回目。織田信秀の死や斎藤道三との出会いあたりをやることになっている。でも、史料で不明な点が多く、思いのほか時間がとられてしまう。相変わらずの自転車操業である。もしインフルエンザにでもかかったら、大変だなあという思いが頭をかすめる。

別件で講演のお話を2ついただく。
有難いことである。
ひとつは鹿児島、もうひとつは滋賀である。
鹿児島は島津氏の奄美・琉球侵攻のことで。
滋賀は先日、木之本町の講演に来られたのか、また同様のテーマでやってほしいとのこと。会場は草津のほうです。どうやら、これが今年の大河関連の最後の仕事になるか……。
詳細はまた追ってお知らせします。

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【2009/08/26 22:39】 | 雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第119回
―戊辰戦争で東北を転戦―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

堀直太郎のつづきです。
慶応3年後半の激動期と戊辰戦争で、堀がどのような動きをしたか書きました。
注目すべきは、堀がやはり薩摩藩武力討幕派の中枢にいた一人だということです。

薩摩藩は、土佐藩主導の大政奉還建白より以前に、長州・芸州両藩と示し合わせて、一気に三藩の大軍を京坂に送り込んで京都政局を転覆させようと計画しました。
しかし、肝心の薩摩藩内でなかなか意見が統一できず、期日までに長州の三田尻への軍勢集結ができませんでした。
そのため、長州藩はまた薩摩に裏切られたかという思いを抱いたようです。
期日に数日遅れて、ようやく薩摩藩兵400人が三田尻に到着しますが、その隊長の一人が堀でした。
堀はその後、長州と大坂の間を往来しながら、挙兵計画を支え続けます。

戊辰戦争では、平潟上陸作戦の参謀として参戦しています。
この平潟口の戦いはあまり知られていませんが、奥羽越列藩同盟の脆弱部分を急襲した作戦で、東北の戦況を変えた戦いだといってよいと思います。

これと関連するかどうかわかりませんが、西南戦争で黒田清隆が衝背軍を率いて肥後八代・日奈久に上陸作戦を敢行して、戦況を一挙に変えてしまったことがありました。黒田は平潟上陸作戦を参考にしたのではないかと、個人的に思っていますが、さて……。

堀は蝦夷地へ出航しようとする榎本艦隊を追って石巻まで出張しましたが、一足遅れてしまいました。もしこのとき捕捉しておれば、箱館戦争はなかったか、違った展開になっていたかもしれません。また同時に、堀の名前ももう少し知られたかもしれません。

堀は明治2年(1869)10月に他界します。享年40の若さでした。
死因は曾孫の貞義氏から肺結核だったとうかがいました。
また、堀の死から数カ月後に小松帯刀も同じ病名で亡くなっています。
堀は小松と相当親しかったようですから、どちらかが他方に病気を移したかもしれないと、貞義氏は仰せでした。

【お知らせ】
次回は総選挙報道のため、また休載です。
文化面も総選挙特集にあてられるようです。

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【2009/08/24 14:28】 | さつま人国誌
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私のまわりでも龍馬企画が増えてきました。
本日はシンポジウムの案内です。

昨年の「篤姫」でもお世話になった京王電鉄の文化探訪事務局が来年の大河ドラマに向けて、さまざまなイベントを企画しており、その第一弾として年末にシンポジウムを開催します。

主催者からコーディネーターを依頼されたので、この企画にふさわしい方々にパネリストをお願いしました。その4人は、

坂本登氏(坂本権平玄孫)
龍馬の兄権平の子孫の方です。坂本家に伝わる龍馬の秘話などを語っていただきます。

山村竜也氏(歴史研究者、大河ドラマ「龍馬伝」時代考証担当)
数年前の大河ドラマ「新選組!」の時代考証も担当されました。大河ドラマ制作の興味深い裏話を語っていただきます。

植松三十里氏(作家、本年度新田次郎賞受賞)
龍馬の妻お龍の伝記『お龍』を刊行。お龍の話とともに、幕府海軍の実情を描いた受賞作『群青』にちなみ、勝海舟と龍馬の関係などを語っていただきます。

中村武生氏(歴史地理史学者)
京都在住のユニークで気鋭の研究者。『京都の江戸時代をあるく』で寺田屋事件や寺田屋再建問題を鋭く問題提起。龍馬とお龍の出会いや結婚式など秘話も発掘。知られざる龍馬の逸話を語ってもらいます。

桐野作人(歴史作家、歴史研究者)
コーディネーターとして、錚々たるパネリストのお話を交通整理しながら、薩摩産という関係から、龍馬と薩摩藩の知られざる関わりなどを語ります。

シンポジウムの正式な告知はまたのちほどアップしますが、
現時点での情報をお知らせしておきます。

日時:12月8日(火)11:00~13:00
会場:東京新宿・京王プラザホテル5Fコンコードボールルーム
主催:京王電鉄広報部・京王文化探訪事務局

会場は800~1000人収容の大きなホールです。
この文化探訪はリピーターが多いため、募集してすぐ満員になることが予想されます。
来月初めに京王沿線のニュースで告知がありますので、そのときにまた応募要領などお知らせします。

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【2009/08/21 21:09】 | イベント
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しらお
ご無沙汰しております。
素晴しいメンバーでのシンポジュウムですね。
田舎暮らし(薩摩)の身が残念でなりません。。
薩摩代表^^として、先生の素晴しい熱弁を期待いたします。

さて、龍馬つながりで一言。
9月23・24日に、南洲神社大祭に合わせて提灯行列もやります。鹿児島の龍馬会の皆さんのご協力で盛大に行います。
このように龍馬ファンは各地で熱く活躍されてますよね。。
皆さん大河を楽しみにされていますよ。
これからも、先生からの大河情報も楽しみにしております。
いつもありがとうございます。


ご無沙汰しています
桐野
しらおさん、こんにちは。

お久しぶりです。

南洲神社の大祭で、鹿児島の龍馬会が協力しているのは存じ上げていました。盛会をお祈りします。
おそらく東京からも、私の友人たちが何人か来鹿すると思います。
10月初めには帰鹿予定です。

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南日本新聞本日のニュースです。
詳しくはここ

天璋院篤姫の銅像が鹿児島に建つことになりそうですね。
場所の候補地は3カ所あげられていますが、さて、どこになるのでしょう?
常識的には生誕地である今和泉島津家の城下屋敷跡か。

主体は昨年、鹿児島で長く開催された「篤姫館」の実行委員会で、余剰金4.000万円を投入するそうです。
ほかにも、榎木孝明氏製作の映画「半次郎」にも助成するようです。

篤姫館といえば、昨年度終盤に、「さつま人国誌」掲載の拙稿「篤姫とミシン」もパネル展示していただき、実際に観てきました。
懐かしいです。

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【2009/08/19 10:08】 | 篤姫
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候補地
岩剣石塁
「など候補地9カ所」の、名前が挙がっていない他の場所が
どこなのか気になりますね。
 石橋公園周辺も今和泉島津家浜屋敷が近くにあった
ということなので、候補地なのでしょうか?
 ドラマと関連付けるとなると西郷隆盛・小松帯刀と
仲がよかったということになっているので、両銅像の
真向かいの中央公園という場所もありますが、
家格的に鶴丸城内の黎明館あたりになるのではないかと
勝手に想像しています。

鶴丸城内?
桐野
岩剣石塁さん、ご無沙汰しておりました。

篤姫銅像はどこに建つんでしょうね。
ゆかりの地はいくつかありますから、どこになるのか今後注目ですね。
何か地元情報があったら教えて下さいませ。

もっとも、鹿児島は銅像が多い土地柄で、ますます増えてしまいそうですが(笑)。



酩酊
はじめまして。
桐野さんのお名前を知ったのは大河の徳川慶喜の時に、「孤高の将軍 徳川慶喜」を買って読んだときです。
あれ以来、ちょっと歴史熱が冷めましたが、大河ドラマ「篤姫」を放送していた時に、ひょっとしてサイトでも作っているかなと思って検索したところ、ここを発見しました。
篤姫ブーム、凄かったですね。個人的には幕末物が好きです。
天地人は…あまり見ていません(笑)。兼続の子役だった子が、トヨタのCMに出てますね(笑)。
これからもお体に気をつけて、たまに心霊写真でもUPしてください。楽しみにしております。

御礼
桐野
酩酊さん、はじめまして。

私の古い拙著、読んでいただき有難うございます。
心霊写真?の一件もご覧になったのですね。
その後、新ネタは見つかっておりませんが、また面白い写真や話があったら書きたいと思います。
今後ともよろしく。


トンちゃん
彼女は当時の写真が残ってるから、写実的な像できますね
ただもう少し大きめの銅像にした方がいい気がします…
ゆかりの地に建立されるといいですね

モデル
桐野
トンちゃんさん、はじめましてでしょうか。

コメント有難うございます。
篤姫の晩年の写真が当然、基本になるんでしょうね。
もっとも、ドラマのファンあたりでは、どうせなら、あおいちゃんをモデルにして作ったらどうかという意見もあるそうで(笑)。

個人的には、菅野美穂のほうが薩摩の女性に見えましたけど。

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南日本新聞連載「さつま人国誌」。

昨日は通常なら掲載曜日でしたが、お盆で休刊日となったため、休載となりました。
お知らせするのが遅くなりました。

ちょっと夏バテ気味でしたので、私も少し休養になりました。
また巻きなおしです。


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【2009/08/18 09:35】 | さつま人国誌
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お風邪にご注意
寛永寺幼卒人
休養された事 何よりです 昨年は殊の外お世話になりまして有難う御座いました また今年も
10月墓参を 予定して居りますが 一つ齢を重ねましたので 間際になりませんと 解かりません
希望はforeverです 篤姫像には お目にかかれませんが 是非来年にも望みを掛け墓参を楽しみに
今は暑さも何のそのです 桐野様には何卒 時々の休養を計画予定して 益々のご繁栄を祈ります 


お気をつけて
桐野
寛永寺幼卒人さん、こんばんは。

暑い日が続きますが、お元気でしょうか?

10月、また鹿児島に行かれるのですね。
お気をつけて。


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武蔵野大学生涯学習講座(三鷹サテライトキャンパス)の秋期分のご案内です。

前回、直江兼続をテーマにやりましたが、今回からは本筋に戻って、信長をやります。
テーマはこの間、個人的にも取り組んできた太田牛一の『信長記』を取り上げたいと思います。今回は信長の上洛以前を描いた首巻を読みます。
タイトルは表題のとおりです。

名古屋の中日文化センターでも同趣旨の講座を先月から開始しましたが、そちらのタイトルは『信長公記』としてしまい、不統一です(爆)。
やはり、『信長公記』という呼称は止めたほうがいいかなと思っています。
『信長記』は太田牛一本。首巻も独立したものとして、「泰岩事旧記」と呼べばいいかも。
一方、小瀬甫庵『信長記』は先達に一歩譲って、『甫庵信長記』とでも呼ぶべきかもしれません。

それで、今シリーズは全10回です。
10月14日から始まり、来年3月10日まで。ほぼ月2回ペースです。
水曜日15:00~16:30が開講曜日と時間帯です。
平日の午後なので、お勤めの方は難しいかも知れません。
場所は三鷹サテライト教室(JR中央線三鷹駅北口前)、駅から徒歩30秒ほどと至便です。
告知のチラシを載せておきます。
チラシの色が薄いため、不鮮明ですみません。

武蔵野大学・大
武蔵野大学2






もし興味があってお時間もある関東方面の方、参加してみませんか。
8月30日(日)に朝日・読売の朝刊(中央線エリア)に告知が出るそうですが、正式の募集はそれ以降だと思います。

問い合わせ・申し込みはここをご覧下さい。
正式の募集が始まったら、また告知します。

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【2009/08/15 23:58】 | 武蔵野大学社会連携センター
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昨12日お昼時、霞会館(霞が関ビル内)に出向く。

お隣に文科省の新庁舎ができたため、地下鉄虎の門駅構内から外に出ずに会館近くまで行くことができる。
暑い日だったので、暑がりには有難い。

大久保利通の曾孫、利泰氏と久しぶりに会食懇談。
今年の甲東祭は他用のため、不義理をしていた。
相変わらずお元気そうで何より。

来年は甲東こと大久保利通(1830~78)の生誕180年。
そのため、来年の甲東祭は少し規模が大きくなりそうで、どのような中身にするか、雑談であれこれうかがった。面白い方向性が出てきたように思う。個人的にも興味があるテーマになりそう。

雑談の中で、小松帯刀の話題になり、大久保家に小松から大久保宛て書簡の包紙が10点以上残っているとうかがう。
『大久保利通関係文書』には、小松書簡が160点以上収録されているから、当然といえば当然だが、包紙までちゃんと保管していた甲東の几帳面さに改めて思いを致す。

そして、大久保さんから小松に関してまったく意外な言葉が出てきて驚く。
「まさか」と思ったが、やはりそのようだ。
う~ん、う~ん。
やはり、ある所にはあるものだと感慨しきり。


本日(13日)。
坂本龍馬に関して、新しい発見あり。
さっそく公表の機会を得た。

そういえば、龍馬については別の新発見もある。
こっちがもっと重要だが、ずっと寝かしたままだ。
そろそろ動き出したい。
でも、他用が多く、なかなか踏み出せないでいる。
一段落したら、何とかしたいものだ。

何だか、よくわからない書き方で申しわけありませぬ。
近いうちに書いたり、公表したりできると思います。

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【2009/08/13 21:30】 | イベント
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第118回
―不遇の勝海舟と交流も―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は、前回の小松帯刀書簡の宛所となった堀直太郎(1830~69)を取り上げました。
1回では書ききれなかったので、次回も書く予定です。上下か上中下になるかは未定です。

堀直太郎といっても、ほとんど知られていませんが、西郷や大久保とほぼ同世代の人で、家柄も同じ御小姓与でしょう。精忠組には加盟していないと思います。若い頃から藩政中枢近くにおり、むしろ出世は早いほうだと思います。

堀の履歴で少し疑問に思ったのは、軍賦役への就任時期です。
略伝などによれば、文久3年(1863)、薩英戦争前に任命されています。

しかし、軍賦役は二度目の島流し(元治元年)から帰還した西郷が任命されたり、ほかにも伊地知正治や黒田嘉右衛門(清綱)なども任命されていることを考えると、堀の就任は時期が早い気がします。その後、堀は江戸留守居の補佐役(添役か)になりますが、軍賦役よりは低い役職のように思われます。
とすれば、堀の軍賦役就任は慶応末年くらいではないかなと推測していますが、史料がなくてよくわかりません。

堀と親しい人物の一人は勝海舟です。海舟の日記慶応元年条には堀の名前が何度も出てきます。
堀が平右衛門から直太郎に改名した時期がわかる記述もあることから、両者が相当親しい関係にあったことがわかります。

次回は、慶応3年(1867)前後の堀について書く予定です。

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【2009/08/10 18:03】 | さつま人国誌
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明治大学1






秋に表題にある坂本龍馬の講座(全9回)を明治大学リバティアカデミーでやることになりました。
明治大学のこのサテライトキャンパスは10年以上の歴史があり、多数の開設講座と受講者がおられるようです。
今回は同大学のコーデネータをされているIさんのお声掛かりで特別企画講座の枠として開設していただきました。

Iさんと企画の打ち合わせをしましたが、非力な私一人では手に余るので、友人の研究者のみなさんにもご協力をお願いしました。

明治大学2






私の担当は、以下の3本です。

10/01(木) 坂本龍馬と薩摩藩―小松帯刀・西郷隆盛・吉井幸輔―
11/19(木) 薩長同盟論の現在
12/17(木) 坂本龍馬暗殺論の現在


講座の詳細は、ここをご覧下さい。

来年の大河ドラマの「予習」にはぴったりの講座だと思います。
多数のご参加をお待ちしています。
関心のある方、申し込みしたい方はこちらをクリックして下さい。

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【2009/08/09 12:16】 | 明治大学リバティアカデミー
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朝日新聞の別紙「Be」に、磯田道史氏の「この人、その言葉」というコラムが毎週土曜日に連載されている。

磯田氏といえば、ベストセラー『武士の家計簿』(新潮新書)でよく知られている近世史研究者。

7月25日付のコラムは、

「小学校の下級生から判断力をみがいてやることが大切だ。ごく機械的なことから始めていい」

という柳田国男の言葉を取り上げていた。
戦後直後、日本人が付和雷同する傾向があるのに対して、個人の判断力を涵養する必要を、ある雑誌で論じたもの。

磯田氏は、このとき柳田が念頭に置いていたのは、薩摩の郷中教育であり、とりわけ「詮議」という教育方法だと述べる。そして、西郷・大久保が率いた幕末薩摩藩が見事な政局判断を見せたのは、この「詮議」によって、日頃から対処法を考える訓練をしていたからだというのである。
そして、磯田氏は「詮議」を現代の教育現場でも活用できるのではと示唆する。学校は知識ばかり詰めこまないで、判断力を鍛えよとも。

柳田はいうまでもなくもっとも著名な民俗学者だから、鹿児島にも調査に行っているし、「詮議」のことも知っていたに違いない。
柳田の書いた雑誌論文を読んでいないから何ともいえないが、もしそれに「詮議」のことが書かれていないとすれば、柳田と「詮議」がどこでどう結びついたのか、磯田氏の推論は大胆不敵で興味深い。

詮議」は郷中教育(鹿児島城下の地域ごとの青少年組織での自治教育)で、核心的な部分ではないかと思っている。
これは判断が難しい設問を投げかけて、とっさに回答を迫る方法。たとえば、

「あなたの父母が病気で死にかけている。だが、病に効く薬はひとつしかない。さて、どちらに呑ませるか?」
「友だちが盗んだ金をあなたにやると言った。どうするか?」
「友だちが喧嘩になって刀を抜いて斬り合おうとしているところに、あなたが通りかかったらどうするか?」

こういう問題を出して答えさせたうえで、その答えの根拠を次々と追及して究極の解決法を模索していくという、一種の禅問答の在家版のようなもの。

西郷や大久保もこうした「詮議」で日頃の判断力を養ったのだろうか。
では、「詮議」は明治維新の生みの親なのか?

ともあれ、磯田氏の面白い問いかけではある。

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【2009/08/05 20:37】 | 雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第117回
―「天下国家不用立」を嘆く―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

前回告知した新出の小松書簡です。
開運! なんでも鑑定団」に出品された史料です。
あだやおろそかにできない番組ですね。

宛所の堀直太郎(1830~69)は薩摩藩士。その子孫宅に伝来した書簡です。
堀は軍賦役や奥羽追討総督参謀など要職をつとめ、維新後は会計官の職にありましたが、病死しています。ご子孫によれば、肺結核だったそうです。
享年40。若いですね。

もともと右筆、書記畑の人ですから、長生きしていたら、有能な官僚になっていた可能性大ですね。

内容は、大政奉還後、小松の「足痛」が再発して、藩主島津茂久の率兵上京に随行できなくなり、副題のような痛恨の念を書いたものです。

同日に、小松は後藤象二郎にもほぼ同趣旨の書簡を出しています。
藩内、藩外の双方に釈明に追われたわけですね。

後藤や松平春嶽は小松の「足痛」を失脚による仮病ではないかと疑いましたが、それはやはりないと思います。

書簡の日付11月11日は、藩主出立の2日前です。
小松は出立のギリギリまで、回復するかどうかを見極めていましたが、ついに見込みなしと悟って、各方面に随行断念を伝えたわけですね。
仮病説は小松に失礼な臆測だと思います。

それに、小松は翌年1月下旬に上京しました。
そしてすぐさま、維新政府の重職である参与に任じられています。
もし失脚したなら、ありえないことです。
また上京直後、三度「足痛」が再発し、一度は参与就任を固辞して、しばらく養生していますから、仮病でなかったことは明白です。

小松の病気と政局との関わりが知られる貴重な書簡だといえましょう。
ご提供いただいた堀の曾孫貞義氏に感謝です。

次回は話の流れから、堀直太郎について書けないかと思案中です。
あまりまとまった史料がないのですが……。

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【2009/08/03 12:03】 | さつま人国誌
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少し間が空きました。

先月28日(火)夜、いつもの小学館アカデミー「てらこや」の講座に出講。

小松帯刀と幕末薩摩藩」第7クールの第2回

今回は趣向を少し変えて、表題の文書を検討した。
大政奉還後に小松が薩摩藩士の堀直太郎に出した書簡である。
翻刻を提示したが、1,2カ所不明字が出た。
その場では結論が出なかったが、あとでメールにて教示をいただく。有難い。

足痛」のために、両杖で体を支えないと歩行も困難という小松の病状が赤裸々に書かれている。
そして「天下国家に用立ざるもの」と、小松が嘆いているのが印象的だった。

この小松書状の関連史料として、『丁卯日記』や『松平春嶽未公刊書簡集』からも、小松の病状が土佐藩や越前藩でどのような波紋を呼んでいたかを確認した。

なお、この書状は南日本新聞連載「さつま人国誌」明日付に掲載予定です。
乞うご期待。

次回はいよいよ、薩摩藩討幕派の様子や薩土盟約についてやるつもりです。

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【2009/08/02 19:45】 | てらこや
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鹿児島出身の俳優榎木孝明さんが桐野利秋の生涯を描いた映画「半次郎」を制作しようとしていることは、かつて紹介したことがあります。
こことか、ここです。

現在、鹿児島でのロケ地などが決まり、撮影に入っているのかもしれませんが、主要キャストの西郷隆盛役を公募しているそうです。
記事はここにあります。

詳しい要領はここにあります。映画のサイトはここです。

経歴不問で、オーラと目力のある人を探しているようです。
自薦他薦を問わないそうですから、我こそはという方、あるいはあの人なら、と思い当たる方は応募されてみてはいかが。

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【2009/08/01 10:57】 | イベント
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