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歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
歴史読本の連載「信長―狂乱と冷徹の軍事カリスマ―」第25回

現在、発売中です。
今回が2年間の集大成のはずでしたが、比叡山延暦寺焼き打ちで終わっています。これではいけません。

叡山焼き打ちについては、文化人の明智光秀が信長を諫止したけれど、信長がそれを振り切って断行したという俗説があります。

しかし、史実は俗説と逆で、光秀は叡山焼き打ちの先兵だったことがうかがわれます。
だからこそ、破格の出世をしたと見るべきでしょう。

先日お伝えしたように、次回から、というか現在執筆中ですが、少しペースを速めます。
次回はいよいよ武田信玄の登場ですね。乞うご期待。

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【2009/10/30 17:19】 | 信長
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ノリノリ明智光秀
楠乃小玉
おおー!ものすごく納得できるお話です。
比叡山焼き討ちに対して、一番積極的で
あったからこそ、明智光秀が坂本を
拝領したという側面があるのですよね。
私も明智光秀が比叡山焼き討ちに反対したという
説に昔から疑問をもってました。
発掘調査によると織田軍はそれほど
積極的に比叡山の伽藍を焼き払った形跡はなく、
むしろ、坂本が重点的に放火されている
形跡があるというお話をお聞きしたことがあります。
当時、比叡山は荒廃し、僧侶も
山から降りてその多くが坂本に
居住してたみたいですね。
当時、比叡山や一向宗は金貸しによって収入を
得ていましたので、比叡山に借金のある
土地の国人領主たちがどさくさにまぎれて、
借金の証文が収められた蔵に放火して回ったんじゃ
ないだろうかと想像をふくらませております。

追伸
連載の延長おめでとうございます。
私も連載延長して!ってメール便で2回お手紙送りました!

御礼
桐野
楠乃小玉さん、こんにちは。

コメント有難うございます。
光秀については、あまり史料が残っていないので、その足跡や考え方を明らかにするのは難しいですね。

また延長のメールもしていただいたそうで、有難うございます。私の所にも編集部から転送されてきましたけど、それが楠乃小玉さんのものだったのでしょうか。


メール便で要望させていただきました。
楠乃小玉
言い方がややこしくて申し訳ございません。
クロネコヤマトのメール便ですからお手紙です。
お手紙で2回、あと電話で編集部に1回
お電話しちゃいました(汗)
編集部におかれましては、
お忙しい中、その節は大変ご親切に対応して
いただき、ありがとうございました!

やはりそうでなくては
かわい
久しぶりにコメントさせていただきます。
比叡山焼き討ちだけでなく、越前・加賀での一揆殲滅でも大活躍ですから、光秀の「温厚で保守的な文化人」という冠が外されるのは非常によいことだと思います。ついでに、次回は「戦国最強の名将」という信玄の冠も外していただけるとうれしいです。
私は「歴群ライター中最低の遅筆」という自分の冠をなんとか外したいです(^_^;。

緻密
桐野
かわいさん、お久しぶりです。

遅筆については、最近私もいえたものではありません。
それより「歴群ライター中最高の緻密」という冠もありそうですよ。

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