歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先日の鹿児島市での講演会関連で、関係者の方々から多くの資料を頂戴した。
ここに記して御礼申し上げます。

田村省三さん(尚古集成館館長)より
尚古集成館で刊行された図録4点
『海が薩摩にもたらしたもの~海洋国家薩摩~』 2004年
『島津斉彬~大海原に夢を抱いた殿様』 2009年
『海洋国家薩摩~海賀育んだ薩摩の文化~』 2010年
『薩摩とイギリス~海が結んだ絆~』 2011年

そのほか、
『同志社談叢』第31号 2011年

田村さんの同大学での講演会「島津家と近衛家―京都から薩摩への文化伝承―」も含まれています。島津家と近衛家の歴史を包括的にまとめられたものです。
また、先日親しくさせていただいた同大学社史資料センターの小枝弘和さんの資料紹介「今出川キャンパス前史に関する一考察―薩摩藩二本松屋敷を中心に―」も掲載されている。
これは薩摩藩の二本松藩邸から同志社大学キャンパスに変貌するまでのプロセスが詳細に検証されており、まことに興味深い。
とくに再来年の大河ドラマには必須の資料かもしれない。


湯田忠久さん(南方新社顧問)より
『新薩摩学 中世薩摩の雄 渋谷氏』 南方新社 2011年

湯田さんには講演会当日の拙著販売でもお世話になった。有難うございます。


山口純一郎さん(戦国薩摩愛好家)より
先日の史跡探索のとき、詳しいガイドをしていただいた。
講演会にも参加され、終了後、霧島市(旧国分市や隼人町)の城跡の資料(発掘調査報告書)と、『霧島市の文化財』というパンフをいただく。パンフは史跡や文化財のMAPになっていて、史跡探索には重宝しそう。また回りたいものです。

上記お三方には御礼申し上げます。

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【2011/09/30 22:08】 | イベント
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鞆の浦といえば、

万葉集
中近世の潮待ち港
足利義昭亡命地
三条実美など七卿滞在地
坂本龍馬といろは丸沈没地

などで知られています。

このところ、現状を知りませんでしたが、記事がありました。
ここです。

推進、反対両派の協議も煮詰まっている様子。
どうなるのか予断を許しませんね。

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【2011/09/30 13:32】 | 信長
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拙著新刊のご案内です。

南日本新聞に連載している同名コラムのうち、戦国時代や近世についての拙稿50数本をテーマ別にまとめたものです。
とくに連載初期の島津諸氏について書いた拙稿はサイトで見られなくなっており、読みたいという要望が多かったので、それに応えるものになっていると思います。

表紙カバーと目次の一部の写真を載せておきます。

人国誌表紙
人国誌目次

目次の一部をご紹介します。

はじめに――「さつま」と島津氏
第一章 島津家の人々
第二章 戦国薩摩の群像伝
第三章 関ヶ原合戦の戦士たち
第四章 島津氏の奄美・琉球侵攻400年
第五章 薩摩のキリシタンの運命
第六章 戦乱から平和の世へ


拙著のデータは、
南日本新聞社刊 B6版並製、268頁、定価1.300円+税
初版発行 2011年9月25日
ISBN978-4-86074-182-2

地方出版なので、販路はやや難があります。
鹿児島県内の方は最寄りの書店か、南日本新聞の販売店経由で入手できます。
県外の方の入手方法は一部の大手書店か、ネット書店での購入、取り寄せの場合、書店にて地方小出版流通と取次会社をご指定して下さい。

ネット書店としては、アマゾンも対応しているそうですが、本日現在、まだ取り扱いにはなっていないようですので、数日お待ちいただければと思います。

読みやすいと同時に、多くの話題を取り上げ、また意外性のある記事もあります。出典も詳しく書いておりますので、関心をお持ちの方にも手がかりになると思います。
ぜひお買い求め下さいませ。

じつは、このシリーズ第三弾として、幕末・明治編パート2も1冊分の分量はすでに満たしていますので、機を見てまた刊行できたらと思っています。

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【2011/09/28 13:03】 | 新刊
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中の人
本日、購わせていただきました。
これから、じっくり読ませていただきます。



御礼
桐野
中の人さん

拙著お買い上げいただき、有難うございます。
お読みになったら、感想でもお聞かせ下さい。

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南日本新聞連載「さつま人国誌」第208回
―愛情深さからあらぬ噂も―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

前回に引き続き、島津義弘関連の記事です。
義弘の男子では久保と忠恒(のち家久)がよく知られていますが、事実上の三男だった忠清が今回の主役です。
忠清はほとんど知られていませんし、14歳で早世していますから、とりたてて取り上げるほどの事蹟がないのもたしかです。
ただ、忠清自身というより、その存在が家中において一定の意味をもっていたのもたしかです。
それは記事にも書いたように、どうやら忠清を太守義久の後継者にと考える勢力が存在したようなのです。それは義弘の家臣か、義久の家臣だかはよくわかりませんが、いずれにしろ、忠恒への反発や忌避が背景にあったことがうかがわれます。

それをよく示した義弘の忠恒宛て起請文を紹介してみました。
朝鮮半島に取り残されて、領国の情報がほとんど入らない忠恒の不安や猜疑心は相当なものがあったと思われます。それが義弘の起請文という形になったのでしょう。

なお、掲載写真には写っていませんが、墓の右側には「島津久四郎・松下源次郎の墓」と書かれた案内の柱が下の写真のように立っています。
源四郎

久四郎は忠清のことですが、松下源次郎は忠清に殉死した小姓です。
ただ、私が見た史料には「松下源四郎」とあり(「久四郎忠清一流系図」)、通称が少し違っています。音がほとんど一緒なので、よくある間違いでしょうね。
また『本藩人物誌』にも「松下源四郎」で立項してあり、15歳で殉死したとあります。これまた若すぎて切ない話ですね。
源四郎のことは当初、原稿にも書いていたのですが、残念ながら分量の関係で割愛しました。

次回は西郷隆盛と山岡鉄舟の駿府での談判について書く予定です。

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【2011/09/27 14:24】 | さつま人国誌
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昨日、鹿児島市宝山ホールでの講演を無事終わり、帰宅しました。

講演会は私の予想を上回るご参加をいただき、有難うございました。
昨年の「龍馬伝」を上回る人数だったそうで、ただただ感謝です。

一般向けの講演なのに、たくさんの史料を載せた講演資料だったので、さぞやご負担だったのではないかと思いますが、みなさん熱心にお聴きいただき、メモを取られている様子が壇上からも見えて、とてもうれしく思いました。

また、拙著新刊の『さつま人国誌』戦国・近世編もようやく間に合い、書店に並ぶ前に会場入り口で先行販売ができました。これまたよくお買い求めいただき、販売を請け負っていただいた書店からも喜ばれたようです。
サイン会でもたくさんの方に並んでいただき、また励ましのお声をかけていただきました。有難うございます。

帰路、NHKの夕方のニュース(鹿児島ローカル)でも会の模様が報道されたと聞きました。
本日の南日本新聞と読売新聞鹿児島版にも記事が掲載されていると思います。読売の記事はここです。

とにかく大役を果たせてホッとしているところです。
県内外からご参加いただいた方々に改めて御礼申し上げます。

なお、11月5日(土)には、義弘の地元である姶良市市民会館にて「義弘」の講演会を開催します。
こちらでは、家督問題のほか、宝山ホールでは話しきれなかった義弘の武将としての側面、主に関ヶ原の戦いなどについて語りたいと思っています。昨日の話で物足りなかった方はまたこちらにもご参加くださいませ。詳しいご案内はまた後日致します。

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【2011/09/26 10:03】 | イベント
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この25日(日)、鹿児島市宝山ホールで行われる私の講演会がいよいよ二日後に迫りました。

最終案内をさせていただきます。

この2週間ほどでだいぶ応募者は増えたようです。
もうひと越えできればと思っています。

義久と義弘、あるいは戦国島津氏に興味のある方は多いと思います。
今回はこの兄弟の関係はどういうものだったのか、義弘は家督を継いだのかという点を詳しくお話しします。
また,戦国島津三姉妹、義久の3人の娘(御平・新城・亀寿)の波瀾の生涯についてもお話しします。

鹿児島の方、県外の方でも興味のある方はご参加下さい。
また友人・知人の方にもお知らせ下さい。
応募方法は往復ハガキでしたが、もう間に合いませんので、当日直接会場に足を運んでいただいても大丈夫です。
入場無料です。
詳しくは主催者のサイトのここにあります。
会場はかつての県文化センターで、西郷隆盛銅像の前、小松帯刀の銅像が前庭にあるのが目印です。
よろしくお願いします。

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【2011/09/23 15:26】 | イベント
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初めての聴講でした
坐忘
本日のご講演、まことに有難うございました。
子供の運動会と重なり入場が遅れ失礼致しましたが、豊富な史料を駆使した桐野ワールドを十二分に堪能させていただきました。
当主は同時期にひとつであると規定する必要はないという、現場から導き出されたご提起には目から鱗でした。
また、義久三女亀寿の相反する風評(?)をユーモラスに紹介しながら、最終的に自己を離れ大局にたって決断していった人物群像を描いて行かれたのには感動しました。
最後のサイン会で言葉をかけていただいたのもよい思い出になりました。
う~む、やはり出水兵児は最強ですなぁ(爆


はなぽ
今日の講演、お疲れさまでした。
勉強不足のため難しく感じましたが、資料と格闘しながら先生のお話を聴かせていただき、3時間はあっという間に過ぎてしまいました。
心残りは、サイン会はすでに人だかりで近づくことが出来なかったことです。
また、是非鹿児島で講演会を開いて下さい。
再び先生のお話を聴けること、楽しみにしてます。

ご盛況で何より
ばんない
今回はかなり厳しいご様子かなと心配していたのですが、皆様のコメントを見るとなかなかの盛況だったようで良かったです。

テーマが私の気になるところでもあり、遠距離を無理してでも聞きに行きたかったのですが、やはり家庭の事情で無理でした、というか、今日は神経性胃炎で寝込んでました(爆)トホホ…。あー参加したかったです…。

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有難うございました
平八
講演、本当にお疲れ様でした。
レジュメも豊富で嬉しく思った次第です。
義久の知名度UPや、亀寿という三女の家中での
存在価値等、知れ渡ることになると思いました。

発売前の「(サイン本)さつま人国誌」は
拝聴前に購入。
拝聴後に「退き口」を購入しました!

講演後、質問コーナーでの二人目は私です(汗




こちらにも
みなみ
関連質問を最初にしたものです。
足利将軍から「義」の字を貰う今川、大内、島津はやはり別格というような話もないではありませんが、単純ではないかもしれませんね。

先生の講演でも「日新斎」さんには敬意が払われている感じですが、鹿児島では別格なんですかね。

他の地域の者には義弘、義久の知名度ってそんなに差はなさそうですが。

ご購入御礼
桐野
平八さん

ご参加ならびに拙著購入有難うございました。
また質問もいただき、感謝です。

仰せのとおり、義久と亀寿はもっと知られてよいと思います。これからも書いていきたいと思っています。

将軍の偏諱
桐野
みなみさん

ご参加、ご質問有難うございます。
将軍の偏諱はご指摘の通り、大内氏や今川氏などの遠国守護は「義」ですね。
そのほか、細川・畠山の管領は下の一字(たとえば、細川晴元・畠山政長など)、残りの斯波氏は逆に「義」をもらっていますね(斯波義将とか)。
そのように不統一なので、とくに何らかの法則性は見出しがたいかなと思っています。

ただ、摂関家は近衛晴嗣(のち前久)や二条昭元など下の字をもらっている人もいます。
また大名でも上杉輝虎の事例もあります。

あえていえば、「義」は足利将軍家の通字なので、その将軍個人とはそれほど親密ではない遠国の守護に与える傾向があり、一方、下の一字はその将軍固有の字ですから、近くにいて親しい者に与えているという傾向はあるのかなという気がします(輝虎は遠国ですが、上京して義輝とは親しいです)。

まあ、専門的にやったことはないので、あくまで印象だけで書いています。先行研究がありそうですけどね。


ご参加御礼
桐野
坐忘さん

話している本人がときどき戸惑ったほどですから、史料が多すぎたかもしれません。
でも、あれくらいないときちんと話せないテーマでしたので、ご容赦下さい。

はなぼさん

ご参加有難うございます。
サインの件は申し訳ありません。
11月5日には姶良市で義弘の話をしますので、これに懲りずにおいで下さいませ。
ただ、そちらではサイン会ができるかどうかは未定です。自治体主催なので難しいかも知れません。

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新刊のご案内です。

拙著『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ―』(新人物往来社、3.000円+税)が24日から発売です。

『歴史読本』誌に3年半にわたり連載したのを加筆改稿してまとめたものです。

値段がやや張りますが、600頁近い大部のため、ご容赦のほどを。
表紙カバーと目次の一部をご紹介します。

信長本表紙

信長本目次

アマゾンでも現在、予約受付中です。ここです。

信長の伝記は意外と少ないので、信長に関心のある方には好個の文献になればと思っております。
よろしくお願いします。

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【2011/09/21 13:29】 | 信長
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おはようございます
みなみ
日曜の鹿児島、講演予定2時間くらいでしょうか。北九州から久々に鹿児島に行くと伝えたら、叔母が会いに出てきてくれるので。
予定がわかると助かります。
楽しみにしてます。

2時間くらいです
桐野
みなみさん

講演は13:00から2時間程度で終わる予定です。
講演時間が90分程度、質疑応答が30分程度という予定です。
遠い所からのご参加、有難うございます。
よろしくお願いします。

わざわざすいません
みなみ
ありがとうございました。
おかげで予定が立てやすくなりました。

お疲れ様でした
みなみ
叔母にも一時間聞いてもらいました。
藤田さんの本能寺本を読んだ直後なので質問しました義昭の姿勢が興味深かったです。


おわびと御礼
桐野
みなみさま

本日はご参加いただき、有難うございました。
前の方で、義昭の偏諱についてご質問された方ですね。
講演時間についてミスリードしてすみませんでした。私の勘違いだったかもしれないのですが、昨日、主催者と打ち合わせしたとき、あれ、2時間じゃ終わらないのかとようやくわかった次第。そのことをお知らせしようにも、当日、ノートPCも持参せず、忙しかったもので連絡できませんでした。失礼しました。

取り急ぎ、おわびとお礼まで。


Tm.
新刊、早速、拝読させていただいております。
歴読は興味のある号のみ購入しているので、待望の書籍化であり、3.150円(税込み)という価格は決して高くはないと思います。
まだ断片的に頁を捲っている段階ですが、そのうえで気になった点についてご指摘と質問があります。

それはP496-7の佐久間信盛の改易の項についてであり、まず信長の大坂下向の日次を八月の十二日とされていますが、確かに『信長(公)記』では同日となっているものの、『お湯殿の日記』や『兼見卿記』によれば、実際には十五日のことであったことが分かりますが如何でしょう。

また佐久間父子への折檻状の日付を同二十五日とされていますが、如何なる根拠に基づかれているでしょうか(※そのように記す文献も見られますが)。
信長は同二十四日付けで、筒井順慶宛に佐久間父子追放の旨を伝える書状を送っていますし、同二十三日には上洛していますので(『兼見』※『信長』は十七日)、それ以前と考えるのが妥当だと思われます。あるいは、十五日の誤記でしょうか?

それと、ご著書では触れられていませんが、信長の上洛が二十三日であることからも、林秀貞、安藤守就、丹羽氏勝ら追放の日次を『信長』が十七日と記しているのも誤りでしょうね。
何れも重大事だけに、『信長』の日次が不正確であり、続く大和での城割りと差出検地などの出来事が抜け落ちているのもやや気になります。

その上で、翌年に発覚した信忠への折檻ですが、先生もご指摘の如く、『兼見』の記述からは上記の事件と同じ天正八年のことであったとみられますが、佐久間父子追放の理由のひとつに茶の湯への耽溺が指摘(研究者から)されていることからも、時を同じくして信忠もその能狂いを戒められたとは考えられないでしょうか。

愚見のほど長々と申し訳ありません。
来月からの三鷹での講座、楽しみにしております。


ご指摘御礼
桐野
Tm.さん

拙著お買い上げ有難うございます。

ご指摘の点については、今後に活かしたいと思います。有難うございます。


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南日本新聞連載「さつま人国誌」第207回
―木崎原合戦で前膝を折る―

昨日、連載が更新になりました。お伝えするのが少し遅れました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

25日の宝山ホール講演「義久と義弘」を照準にして、義弘特集を何回かやろうと思っていましたが、誤算や休刊日などもあって、結局、できたのはこの1回だけになってしまいました(笑)。

今回は有名な義弘の愛馬「膝付栗毛」について書きました。
現地の墓標には「膝跪騂」と書かれていましたが、「騂」が難しい字らしく、サイト版ではタイトルが「栗毛」となり、本文では表示できないで、「●」になっており、見にくくてすみません。

木崎原合戦の有名な逸話以上のことは書いておりません。
なお、書けなかったこととしては、義弘が鑓で突いた伊東方の柚木崎丹後の子次郎右衛門が召し抱えられた時期は、義弘が関ヶ原の退き口で帰国途中、日向国を通行しているときだったようです。まあ、大変なときの出会いですね。非常事態なので義弘が無視してもよかったはずですが、そうしないで家来に召し抱えたのは、よほど気になっていたのでしょうね。

なお、彼女(膝跪騂)が83歳まで長生きしたというのは現地の案内板や『三国名勝図会』などにも書かれています。馬についてはまったくの門外漢なので、そんなに長生きするのかと疑問でしたが、史料にそう書いてあるので、そのまま書きました。
そしたら、同紙担当デスクもやはり疑問を感じたようで、いろいろ調べてくれました。それによると、馬の平均寿命はせいぜい20代だそうで、稀に40歳くらいまで生きるのもいるらしいとのこと。ですから、83歳はさすがに誇張ではないかと思い、そのような注記を加えました。そういえば、義弘の没年齢は満だと84歳ですね。彼女と近い(笑)。

先日の取材がまだ記憶に新しく、とくに「膝跪騂」の墓があった亀泉院墓地に大きな幟が翻っているのが田圃の中にぽつねんと見え、しかも、稲穂の緑が目に沁みて印象深かったので、写真を載せておきます。
膝付

今回の取材で義弘関係のネタをいくつか得ました。というか、前から書きたいと思っていたのですが、写真がなかったので書けずにいたテーマといったほうがいいかもしれません。
11月5日(土)に姶良市市民会館で、義弘をテーマにした講演をやりますので、その前景気も兼ねて、これから何回か記事にしたいと思っています。ご期待下さい。

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【2011/09/20 10:46】 | 信長
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お願い
政宗
先生のファンなんですが、
お願いがあります。
「信長帝王伝」の3巻を、
ぜひお願いします。


ぶるぼん
義弘の愛馬が83歳まで生きたとは初めて知りました。
しかも牝馬だったのですか。驚きです。
呂布の赤兎馬も30年ぐらい生き、
サラブレッド最長記録のシンザンですら36歳なのに(世界記録は42歳)。
JR伊集院駅前の義弘騎馬像はやはり彼女がモデルなんでしょうね。

信長帝王伝
桐野
政宗さん

あちゃー、その本ですか(汗)。

2巻で止まったままで、すみません。
時折、続編をという要望はあります。
自分でも3巻で打ち止めのつもりで、大まかなストーリーは考えていたんですけどね。
間が空きすぎましたし、版元も今さらと思っているかも知れません。

紫かも
桐野
ぶるぼんさん

83歳はいかにもですねえ(笑)。
でも、なぜそのように伝承されているのか興味はあります。義弘伝説のひとつかもしれませんね。

ちなみに、伊集院駅の銅像は関ヶ原のときをイメージしていたと記憶しています。
そのときの馬はたしか「紫」という名前だったと思います。退き口で堺・大坂まで一緒に牽いてきて,薩摩には連れて帰れないので、住吉大社に奉納したと史料にはあります。

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いよいよ25日の表題講演まで一週間となった。

昨日からその資料を作成しているが、いくつか重要な史料が見当たらなくて困っている。
昨年の『関ヶ原 島津退き口』や、直近の『さつま人国誌』戦国・近世編の執筆のため、相当数の関連史料を動かしたが、使用後、それを所定の場所にちゃんと戻さなかったか、どこかに紛れ込んだ可能性が高い。
事務所を総ざらいすると出てくると思うが、そんな余裕はない。

う~ん、困った,困った。
本当なら昨日中に資料作成を終える予定だったが、史料探しに時間をかけて疲れ果ててしまい、今朝から再開中。
まあ、なんとかなるだろうけどねえ。

25日の講演案内はここです。
往復ハガキでの申し込みですが、時間が無かったら、最悪、当日駆け込みでも大丈夫だと思います。諦めずにチャレンジして下さい。
鹿児島近辺の方、県外の方でも興味とお金の余裕のある方、ご参加お待ちしております。

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【2011/09/19 09:42】 | イベント
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また著書をいただきました。
記して御礼申し上げます。

新名一仁さん(みやざき歴史文化館学芸員)より
『新薩摩学―中世薩摩の雄 渋谷氏―』
小島摩文編 南方新社刊 2011年 定価2.000円+税

鹿児島の出版社南方新社が刊行している新薩摩学シリーズの8冊目。
新名さんとはネット上でのお付き合いだが、種々ご教示をいただいている。
本書は鎌倉以来の名門御家人である渋谷氏を正面から扱った一冊。
渋谷氏といえば、いわゆる渋谷五族(入来院・東郷・鶴田・祁答院・高城の5氏)の総称。なかでも、入来院氏がいちばん知られており、朝河貫一氏の『入来文書』が有名。
本書は共著だが、新名さんは中世の南九州史がご専門で、今回は「南北朝・室町期における渋谷一族と島津氏」と題した論考を書かれている。
島津守護家の衰退とともに、複雑な離合集散を遂げる南九州の抗争がわかりやすく描かれている。とくに明応の政変で失脚した将軍足利義材の再上洛をめぐって、山口の大内氏は島津氏を無視して、日向伊東氏と肥後相良氏を通じて、南九州の国人に呼びかけている点などまことに興味深い。
個人的には、戦国前史というか、中世の南九州史は弱いので、勉強させてもらおうと思っている。


水谷憲二さん(三重県立博物館勤務)より
『戊辰戦争と「朝敵」藩 ―敗者の維新史―』
八木書店刊 2011年 定価12.000円+税

水谷さんとは、いつぞやの明治維新史学会の懇親会でたまたま同じテーブルでご一緒したのが縁である。
そのとき、桑名藩と戊辰戦争について書かれているというお話を聞いていたが、それを今年上梓されたのである。
「一会桑」という言葉は幕末維新史を理解するキーワードとして有名になったが、慶喜と会津のことは比較的知られているが、桑名藩の動向はあまり知られていない。個人的には一会桑勢力が成立した元治元年以降の桑名藩の動向にはとても興味があった。
本書はそうしたなかで、戊辰戦争期の桑名藩の動向を詳しくまとめてある。構成としては、大きく三つに分かれている。

第一部 桑名藩の戊辰戦争
第二部 鳥羽伏見戦争の有罪藩
第三部 新政府の江戸以西平定

第二部については、いわゆる朝敵藩や譴責を受けた諸藩(主に親藩・譜代藩)がそのように宥免を勝ち取り、生き残ってきたかが、わかりやすくまとめられている。
第三部は、視点を変えて、新政府軍が江戸以西をどのように押さえていったのか、街道ごとに書かれている。ほとんど知らないことばかりで、とにかく新鮮である。
あえて欲をいえば、山陰道鎮撫総督については、小生の郷里の先人である伊藤祐徳が同軍の参謀として西園寺公望を補佐しており、陣中日記もあるので活用していただきたかった。

以上2点、門外漢なので的外れな感想になっているかもしれませんが、御礼と共にご紹介しました。

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【2011/09/17 17:24】 | 新刊
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昨日、三鷹での講座「お江の生涯」の最終回(5回目)に出講。

最終回は「お江と子どもたち―将軍御台所として―」と題して、主に福田千鶴さんが近年提唱している説を中心に検討した。
同説では、お江の実子は千姫、お初、忠長の3人のみで、家光や和子は側室の子という衝撃的な内容になっている。
このうち、家光が実子なのか否かという点について少し検討した。
福田さんが典拠とする「リチャード・コックス日記」の記事は別の読み方ができるという話をした。個人的には、通説どおり、家光が実子でもそれほど違和感はないとも話した。

5回にわたり、多くの方々に受講していただき、有難うございました。
お江については、個人的にはこの講座終了でもう終わったかなという気がしている。


それで、引き続き秋期講座のご案内です。
以前も告知しましたが、『信長公記』をやります。巻一、永禄11年(1568)の上洛からやります。
名古屋(中日文化センター)でやっている講座を東京でもやってほしいという声がちらほらありましたので、やることにしました。
要領は以下の通りです。同大学サイトにも私の講座の告知があります。ここです。毎回のタイトルも載っておりますので、ご参照下さい。
平日なので、参加できる方は限られていると思いますが、興味のある方は受講して下さい。


テーマ:『信長公記』を読む

10月から毎月1回で、原則として第3金曜日13:00から開催です。
以下の6回です。

10/21 11/18 12/16 
 
1/20 2/17 3/16

詳しくは、ここをご参照下さい。

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【2011/09/15 09:56】 | 武蔵野大学社会連携センター
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信長公記講座
non
こんにちは。
いつも、楽しく拝見しています。

ところで、信長公記講座を東京でもされるとのことですが、近畿でも行う予定はありますか?

東京は、なかなか行けないので、動画を見れたら良いなとは思いますが・・・


新刊楽しみにしています。早く読みたいです。

受け皿があれば
桐野
nonさん

初めましてでしょうか。

関西でもやれないことはないと思いますが、いかんせん、お声がかかりません。
カルチャーセンターなどにリクエストしてみて下さい。

新刊もよろしく。

カルチャーセンター
non
早々のお返事ありがとうございます。

今度、近場のカルチャーセンターで、歴史の講座を多く行っているところにリクエストしてみます。





再び輝元書状について
武江
桐野様
「お江」関連は、この講座が最後との由、終盤2回については、聞いておきたかった内容だけに残念です。ブログでお考えをご披露頂けると有難いのですが・・・。
先にお伺いした『慶長四年九月十三日付毛利輝元書状』解釈について、桐野様のご教示を基に、疑問に感じた点などを検討してみました。その結果、釈文の別案が浮かびましたので、ご批評下さい。
先ず、疑問に感じた点を挙げさせて頂きます。
一つは、あの第一条のほぼ全文を家康の言とすべきなのか、という事。江の下向動機の後に、「家康被申事候つる」と入れているのに、その後も家康の言葉というのは、不自然な感じを受けます。やはり、「多分」から、「何と共候哉」あるいは「御意の段」までは輝元の考え(言葉)なのではないでしょうか?
そしてもう一点、上記にも関連しますが、『多分淀殿はこの件についてはご分別されていたはずなのに、どうしたことか、』という家康の言と解釈された部分について。ここで言う「分別」は、「承知」であった、と受け止められます。そして、その後大坂入りまでの間に「不承知」とされた事になります。淀殿の裁許が、こんなにぶれるものでしょうか?それに家康であれば、一旦承知の裁許が下されたら、不承知と変更される事を許さなかったのではないでしょうか?
「此中は」を、「このあたりは」と読んでみたり、試行錯誤しましたが、やはり「このなかは」と考えるしか無い様で、これに合わせ、他の対象を入れ替えて、疑問点を解消すべく検討した結果が次の釈文です。

「~(前略)~下向をさせて頂きますように。」
との家康の申された事であった。多分淀殿は先だって(不承知の)判断を下されたはずである。(今回話を蒸し返すのは)どうした事であろうか?この時期下向してはならない、との(先だっての)御意につき、
「家康には、全く曲事を構えるつもりはございません。内々に讒言する人が在ると聞き及んでいますので、是非、その言い分をお聞かせ下さいますように。」と、はなはだ思う所を申された、との事である。

以上です。括弧内が家康の言です。「此中」の「分別」が、「此節御下有間敷」だったと解するのは、おかしいでしょうか?最初に下向の許可を願い出た際、断られたので、淀殿の姉としての心情に訴えるべく、下向動機を持ち出した、と考えると、つじつまが合うと思います。またこの動機は、恐らく京極忠高誕生の際、淀殿を心配させた、初の嫉妬話(世間にはそのように伝わった)を伏線に、家康が思いついたものではないか、とも考えています。さらには、この際の話が、江の「嫉妬深い」御台所のイメージにつながったとも考えるのですが・・・。
それから「忝」に「はなはだ」の読みがあるようです。原本が痛んでいる部分のようで、もしかすると、「悉」の判読間違いか、とも思えますが、どちらでも意味に大差は無いので、「はなはだ」で考えてみました。



すみません
桐野
武江さん

詳しいご考察有難うございます。

いま多用にて検討する余裕がありません。
一段落してからコメントさせて下さい。

こちらこそ、すみません
武江
桐野様
ただでさえ、ご多忙な桐野様に、新講座開講直前に厄介な質問をしてしまい、こちらこそ申し訳有りません。
いずれ、という事で、宜しくお願いします。

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珍しく、今月は新刊2点をほぼ同時に刊行します。
すでに印刷・製本段階に入っています。発売日や定価など私が十分承知していない点もありますが、早めにお知らせしておきます。

1.『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』 新人物往来社 定価:3.000円前後

 歴史読本に連載したものを大幅に改稿、増補しました。600頁近い「大作」ですが、信長に関心のある方に読んでいただければ有難いです。信長の伝記といってもよいと思いますが、これまで信長の本格的な伝記は意外となかったように思います。拙著は質はともかく、量的には十分本格的です(笑)。でも、900枚くらい書いてみても、まだまだ抜け落ちたテーマや事件も多くて奥が深いと改めて感じているところです。
 書店に並ぶのは9月26日前後かと。


2.『さつま人国誌』戦国・近世編 南日本新聞社 定価1.300円前後

 南日本新聞の連載コラムを、戦国時代を中心にまとめたものです。
 現在、同紙サイトでは、初期の記事(1~51回)が読めなくなっていますが、本著はそのなかの戦国時代分をすべて網羅し、しかもだいぶ書き足していますので、ご期待下さい。
 また、前著の反省として、出典が中途半端でしたので、今回はかなり充実させました。その分作業が大変でしたが(笑)。もともと新聞連載ですから読み物なのですが、同時に史料的な価値もあるという、少し欲張った形になっています。個別のテーマや人物について詳しく調べて見たい方にも便宜が図ったつもりです。
 これも発売は9月26日以降と思われます。

 以上、関心のある方はお買い求め下さい。
 なお、2.は地方小出版流通センター扱いになります。そのため、一部の大手書店以外では取り寄せになります。ネットではアマゾンその他で購入できると思います(詳しくは後日またお知らせします)。

 今月25日(日)、鹿児島市宝山ホールの講演「義久と義弘」では、会場受付近くに拙著の販売コーナーが設けられます。そこで、2.の著者サイン本を発売することになっています。講演参加者の特典です。ご利用下さい。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2011/09/12 21:47】 | 新刊
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中の人
>地方出版扱い

正確には、”地方・小出版流通センター”扱いですね。
略称は地方小。


どちらも、wktkで待ってます。




嬉しいです
ながお
桐野様

『さつま人国誌』戦国・近世編の刊行、嬉しい限りです。。薩州島津家関連の記事が読めなくなって、大変残念に思っていました。
宝山ホール、私は行けませんが友人に勧めてみます。


直しました
桐野
中の人さん

ご指摘を受けて本文を直しました。
感謝です。

ながおさん
薩州島津家の記事は充実させました。
私の地元ですし。


発売日が楽しみです!
サイト
こんにちは!一度、愛知県稲沢市での講演会後にコメントを投稿させていただいたことがあります。今月末に刊行される「織田信長戦国最強の軍事カリスマ」とても楽しみにしています。「歴史読本」連載中にも,編集刊行された際には是非、購入したいと思っていました。先日、購入予約をしました。拝読後にまた、ブログにコメントなどをさせていただけたらと思ってます。

よろしく
桐野
サイトさん

稲沢での講演にお見えだったのでしょうか?

拙著「信長」、ちょっと値段張りますが、よろしく。

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先週4日(日)、大阪龍馬会主催の講演「龍馬暗殺再論」はおかげさまで盛況のうちに終わりました。

講演時間、じつに3時間半の長丁場。
用意していたレジュメはB4で16枚もありましたが、それでも最後は時間が足らずにやや駆け足になってしまいました。
終わってから、いくつか話し忘れていたことがありましたが、懇親会でも続きを少しやりました。
懇親会でも延々、3時間くらい話したでしょうか。
おかげで、喉が痛くなってしまいました。


さて、今月下旬の鹿児島での講演「義久と義弘」があと2週間ほどに迫ってきました。
宝山ホールという大会場なので、集客にまったく自信がありません。
これまでのように、大河ドラマという有力な「援軍」がないためです。

鹿児島の方でこのブログを御覧の方はぜひ会場に足をお運び下さいませ。
申し込みの往復ハガキ以外は無料です。

詳しくは、こことかここをご覧下さい。

講演では、義久と義弘の関係はどのようなものだったのか、家督問題とからめてお話しします。
それと、義久の3人の娘、戦国島津三姉妹(於平・新城・亀寿)についても、浅井三姉妹に負けないほど波瀾万丈の生涯をお話しします。しかも、お江との接点もあるのです。
おそらくこれまであまり聞いたことがない内容になると思います。
関連して、スライド上映もする予定です。

多くの方々のご参加をお待ちしております。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2011/09/10 12:14】 | 信長
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申し込み済みです
平八
凄く楽しみにしております。
盛会である事を期待しております。

御礼
桐野
平八さん

参加と応援有難うございます。
頑張ります。

楽しみにしてます
はなぽ
申し込ませていただきました。とても楽しみです。仕事が休みの日曜日でよかったです。

よろしく
桐野
はなぽさん

ご参加有難うございます。
ご期待に添えるよう頑張ります。



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南日本新聞連載「さつま人国誌」第206回
―僧月照、悲劇への起点―

【お詫び】
先週8月29日(月)は掲載日でしたが、特別記事のため急遽休載になりました。お知らせすべきでしたが、うっかりしてお知らせできませんでした。

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をご覧下さい。

前回に引き続き、錦小路藩邸について書きました。
エピソードとしては2つ。
ひとつは島津斉彬が入京して近衛家を訪問したときのこと。
伏見を発った山田為正が日記に弁当を作って行ったと書いているのが何げに注目です。
錦小路藩邸では、藩士たちのために食事や弁当の支度ができなかったのでしょう。
なお、この山田は斉彬が亡くなる直前、島津久光父子を枕頭に呼んで後事を託したときに立ち会い、斉彬が語ったことを克明に記録した人物です。斉彬は久光にも藩主になれと勧めているのですが、久光が辞退しているんですね。

もうひとつは、錦小路藩邸の近くにあった藩邸御用達の定宿鍵屋のこと。
書くとすれば、やはり月照一件しかないと思いました。
有馬新七の『都日記』によれば、月照が何度も鍵屋を訪れているのが印象的です。

じつは、エピソードは3つ入れる予定でした。
残りのひとつは、慶応2年(1866)1月、薩長同盟締結の前後、在京していた薩藩家老の桂久武が大丸で買い物(国許への土産ののため)をしたことを日記に書いています。
錦小路藩邸跡には現在、大丸百貨店京都店がありますが、当時の大丸はどこにあったのか興味があって、大丸の社史などの史料を取り寄せていました。
ところが、上記2つを書いたら,分量一杯になってしまい、書けませんでした。残念です。
当時の京都の大丸はかなり大きな規模だったようです。

次回からは先日の取材成果を活かして、島津義弘関連の記事を書きたいと思います。

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【2011/09/05 20:54】 | さつま人国誌
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大丸の謎
戸崎こと千葉和彦
>薩藩家老の桂久武が大丸で買い物

思わずギョッとしました。
江戸の大丸が御庭番のアジトになっている史実(?)を連想したのです。
京都の大丸もアジトだとすれば、桂右衛門の買い物の品目も幕府に筒抜けになっているのでしょうか? 
それとも、大丸の小売セクションと公儀御用セクションは別とみていいのでしょうか?

大げさでは
桐野
戸崎こと千葉和彦さん

大丸は関西のお店だと思っていました。
江戸時代、江戸に進出していないのでは?

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明後日に迫りましたので、最終案内です。

大阪龍馬会より、昨年に続いてのお招きです。
龍馬大学校の一環として開催されます。

演題:龍馬暗殺再論 ―薩摩黒幕説批判と龍馬の死の影響―

日時、会場、入場料などの案内は、同会ブログのここにあります。

関西方面で関心のある方はご参加下さいませ。
これまであまり知られていない史料もいくつか紹介します。乞うご期待。

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【2011/09/02 23:50】 | イベント
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