南日本新聞連載「さつま人国誌」第213回
―豊臣の影響と権力分散―
連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。
このところ、島津義弘関連の記事を続けていますが、今回もそうです。
先日の取材の成果を活かす意味もあります。
栗野城は前から行ってみたいと念願していましたが、ようやくそれがかないました。
同城の枡形虎口を初めて実見して、このことを書きたいと思った次第です。
島津氏領国(佐土原家は除く)で織豊系城郭の影響があるのはおそらく同城だけだと思います。影響といっても中途半端で、本丸にわずかにあるだけです。
結局、在地性の強い島津氏領国では、織豊系城郭は最後まで定着しなかったと思われます。
そのあたりの限界を書いてみました。
とくに、朝鮮出兵での出陣で、義弘はわずかな供廻しか集められなかったというのはけっこう衝撃的ですね。
家臣団の独立性が強いのもさることながら、みな朝鮮半島まで出かけて戦争する意味など見出せず、避戦志向が強かったのでしょう。ある意味、健全といえば健全です。
そして、その結果は義弘を「日本一の大遅陣」と嘆かせることになるのもよく知られています。
義弘の有名な逸話が栗野城を舞台にして始まったということも書きたかった理由のひとつです。
いよいよこの週末、5日(土)14:00から、義弘の地元である姶良市姶良公民館で「義弘と姶良」と題して講演を行います。
鹿児島の方、義弘に興味のある方はぜひご参加下さいませ。
詳しくは、ここにあります。
下記をクリックして下さいね。
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―豊臣の影響と権力分散―
連載が更新になりました。
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先日の取材の成果を活かす意味もあります。
栗野城は前から行ってみたいと念願していましたが、ようやくそれがかないました。
同城の枡形虎口を初めて実見して、このことを書きたいと思った次第です。
島津氏領国(佐土原家は除く)で織豊系城郭の影響があるのはおそらく同城だけだと思います。影響といっても中途半端で、本丸にわずかにあるだけです。
結局、在地性の強い島津氏領国では、織豊系城郭は最後まで定着しなかったと思われます。
そのあたりの限界を書いてみました。
とくに、朝鮮出兵での出陣で、義弘はわずかな供廻しか集められなかったというのはけっこう衝撃的ですね。
家臣団の独立性が強いのもさることながら、みな朝鮮半島まで出かけて戦争する意味など見出せず、避戦志向が強かったのでしょう。ある意味、健全といえば健全です。
そして、その結果は義弘を「日本一の大遅陣」と嘆かせることになるのもよく知られています。
義弘の有名な逸話が栗野城を舞台にして始まったということも書きたかった理由のひとつです。
いよいよこの週末、5日(土)14:00から、義弘の地元である姶良市姶良公民館で「義弘と姶良」と題して講演を行います。
鹿児島の方、義弘に興味のある方はぜひご参加下さいませ。
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奈良国立博物館で正倉院の展示会が始まりました。
やっぱり目玉はこれですね。
欲しいです。
でも、買ってももったいなくて食べられないですね。
夏場には溶けてしまいそうだし。
ちなみに、最新の拙著『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ―』でも、信長の蘭奢待切り取り一件をだいぶ詳しく書いております。興味のある方、読んで下さいませ。
拙著紹介はこことか、ここをご覧下さい。
下記をぜひクリックして下さい。
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欲しいです。
でも、買ってももったいなくて食べられないですね。
夏場には溶けてしまいそうだし。
ちなみに、最新の拙著『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ―』でも、信長の蘭奢待切り取り一件をだいぶ詳しく書いております。興味のある方、読んで下さいませ。
拙著紹介はこことか、ここをご覧下さい。
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正倉院展
ばんない こんばんは。
正倉院展もこの数年ご無沙汰です。開催者の新聞社がA社からY社に変わって混雑が加速したのが一番の理由ですが…
それにしても思い切った価格設定のチョコレートですねえ。ここは信長を超越した気分になって、一気食いでしょうか(汗)
しかし検索したが、肝心のメーカーが分かりませんでした…。
ちなみに蘭奢待は光明皇后が奉献した宝物じゃないらしいですね。
チョコ
桐野 蘭奢待チョコ、原寸大なんでしょうかね?
蘭奢待もどきの香りがするとか?
ばんない こんばんは。
写真で見る限りでは原寸の1/2ぐらいか?。あと、3つぐらいのパーツに分かれて、それを後で組み立てるように見えます。
…組み立てるときに手に溶け出したら悲惨(爆)
こちらで11/3に放送されたローカル番組で正倉院特集をしていたのですが、明治天皇が切った蘭奢待は一部関係者に頒布されたようです。その一部は京都の某お香業者の所蔵になっていますが、勿体なくて今まで一度も焚いたことはないとのことでした。なので、蘭奢待の香りは今のところ謎と言うことになるのでしょう。
検索してみると、沈香の一種らしいですが、沈香の香りがするチョコレートっておいしいんでしょうか(汗)
ばんない こんばんは。
正倉院展もこの数年ご無沙汰です。開催者の新聞社がA社からY社に変わって混雑が加速したのが一番の理由ですが…
それにしても思い切った価格設定のチョコレートですねえ。ここは信長を超越した気分になって、一気食いでしょうか(汗)
しかし検索したが、肝心のメーカーが分かりませんでした…。
ちなみに蘭奢待は光明皇后が奉献した宝物じゃないらしいですね。
チョコ
桐野 蘭奢待チョコ、原寸大なんでしょうかね?
蘭奢待もどきの香りがするとか?
ばんない こんばんは。
写真で見る限りでは原寸の1/2ぐらいか?。あと、3つぐらいのパーツに分かれて、それを後で組み立てるように見えます。
…組み立てるときに手に溶け出したら悲惨(爆)
こちらで11/3に放送されたローカル番組で正倉院特集をしていたのですが、明治天皇が切った蘭奢待は一部関係者に頒布されたようです。その一部は京都の某お香業者の所蔵になっていますが、勿体なくて今まで一度も焚いたことはないとのことでした。なので、蘭奢待の香りは今のところ謎と言うことになるのでしょう。
検索してみると、沈香の一種らしいですが、沈香の香りがするチョコレートっておいしいんでしょうか(汗)
新著をご寄贈いただいた。
記して御礼申し上げます。
平山優氏『真田三代―幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る―』
PHP新書 860円+税 2011年11月
アマゾンの紹介はここです。
平山さんは甲斐武田氏や信濃真田氏の研究者としてよく知られている。
新著は副題にもあるように、真田三代のうち、三代目の信之は含まれていない。これについては信之は松代真田氏の祖として一個の近世大名論が必要という点と、やはり信繁の人気もあってのことだろう。
甲信の戦国時代に精通している著者なので、真田氏の歴史についてもコンパクトながら精細にまとめられている。「伝説」が多い真田三代をより足が地に着いた形で叙述してある。フィクションの真田一族を楽しむ人も、史実の真田一族を知ってほしいという著者の希望が込められているといえよう。
目次の章立てだけ紹介しておく。
第一章 真田氏の興り
第二章 真田幸綱の本領回復
第三章 真田昌幸の飛躍
第四章 「犬伏の別れ」と上田合戦
第五章 真田信繁の悲劇
ボリューム的には二代昌幸が一番多く半分を占める。まさに著者の本領発揮である。
欲をいえば、信繁の分量が少ないのがもったいない。新書のボリュームから考えると致し方ないのかもしれないが。
それはさておいても、真田三代を知るには好個の一冊である。
下記を是非クリックして下さい。
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平山優氏『真田三代―幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る―』
PHP新書 860円+税 2011年11月
アマゾンの紹介はここです。
平山さんは甲斐武田氏や信濃真田氏の研究者としてよく知られている。
新著は副題にもあるように、真田三代のうち、三代目の信之は含まれていない。これについては信之は松代真田氏の祖として一個の近世大名論が必要という点と、やはり信繁の人気もあってのことだろう。
甲信の戦国時代に精通している著者なので、真田氏の歴史についてもコンパクトながら精細にまとめられている。「伝説」が多い真田三代をより足が地に着いた形で叙述してある。フィクションの真田一族を楽しむ人も、史実の真田一族を知ってほしいという著者の希望が込められているといえよう。
目次の章立てだけ紹介しておく。
第一章 真田氏の興り
第二章 真田幸綱の本領回復
第三章 真田昌幸の飛躍
第四章 「犬伏の別れ」と上田合戦
第五章 真田信繁の悲劇
ボリューム的には二代昌幸が一番多く半分を占める。まさに著者の本領発揮である。
欲をいえば、信繁の分量が少ないのがもったいない。新書のボリュームから考えると致し方ないのかもしれないが。
それはさておいても、真田三代を知るには好個の一冊である。
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茨城県県西生涯学習センター主催
「平成23年度茨城県弘道館アカデミー県民大学後期講座」
私の中では、お江はもう終わったつもりでしたが、緊急に3回の講座を開催することになりました。
場所は茨城県筑西市(旧・下館市)です。
一応、締切は23日だったのですが、まだ多少余裕があります。茨城県や栃木県など近隣の方で、関心のある方がおいでなら、受講してみませんか。
詳しくは下記のとおりです。
講座名:お江の生涯
第1回:10月30日(日)13:00~16:00
講座内容:お江と三姉妹の史跡を写真でたどる歴史紀行/お江の生誕と元亀争乱
第2回:11月20日(日)13:00~16:00
講座内容:お江の初婚と再婚/秀忠との結婚
第3回:11月27日(日)13:00~17:00
講座内容:大坂の両陣と淀殿の最期/お江と子どもたち
テキストとして、拙著『お江の生涯を歩く』(ベスト新書)を購入していただきます。
受講料がかかるかどうか、私はわかりませんので、下記に確認して下さい。
問い合わせ・申し込み先
茨城県県西生涯学習センター
〒308-0843 茨城県筑西市野殿1371
電話:0296-24-1151
fax:0296-24-1450
同センターサイトはここで、MAPはその下のほうにあります。
私のスケジュールの都合で、5回分を3回にまとめてやることになりましたので、多少講義時間が長くなっています。
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「平成23年度茨城県弘道館アカデミー県民大学後期講座」
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場所は茨城県筑西市(旧・下館市)です。
一応、締切は23日だったのですが、まだ多少余裕があります。茨城県や栃木県など近隣の方で、関心のある方がおいでなら、受講してみませんか。
詳しくは下記のとおりです。
講座名:お江の生涯
第1回:10月30日(日)13:00~16:00
講座内容:お江と三姉妹の史跡を写真でたどる歴史紀行/お江の生誕と元亀争乱
第2回:11月20日(日)13:00~16:00
講座内容:お江の初婚と再婚/秀忠との結婚
第3回:11月27日(日)13:00~17:00
講座内容:大坂の両陣と淀殿の最期/お江と子どもたち
テキストとして、拙著『お江の生涯を歩く』(ベスト新書)を購入していただきます。
受講料がかかるかどうか、私はわかりませんので、下記に確認して下さい。
問い合わせ・申し込み先
茨城県県西生涯学習センター
〒308-0843 茨城県筑西市野殿1371
電話:0296-24-1151
fax:0296-24-1450
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第212回
―家久、国松を養子に望む―
連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。
今回はタイトル通りで、島津三姉妹と浅井三姉妹にじつは接点があるという話です。
もっと具体的にいえば、亀寿とお江の三女同士の不思議な縁です。タイトルもそうすればよかったか。
久しぶりに昨夜、大河ドラマを見たら、少し成長した竹千代と国松がすでに登場していて、意地悪で粗暴な兄と礼儀正しくて賢そうな弟という対比で描かれていました。
ドラマの中身は承知していなかったのですが、結果論ながら記事はちょうどよいタイミングでした。
家久は自分の家督継承者としての地位が不安定であることをよく承知しており、その理由もよくわかっていたと思います。そこで窮余の一策が徳川幕府の実力と権威をあてにすることでした。
大御所家康に大身の大名としては体面に関わるような申し出をして、たしなめられています。
家康もさぞや呆れたことでしょうが、島津家中の内情をよく知っているだけに、助け船を出したのだと思います。
それにしても、側室をもつにも家康の援助が必要だとは、家久もよほどの軟弱か、亀寿がお江のように嫉妬深いのか(あくまで通説のお江です)と、これまた共通点が見出せそうですが、じつはそうではありません。
私も事情をよく承知していませんが、島津家は日新斎→貴久→義久と3代にわたり、正夫人が健在のうちは側室を置いた形跡がありません。例外としては、たとえば、島津四兄弟の末弟、中務大輔家久の生母は側室の少納言(橋姫とも)ですが、貴久夫人はすでに他界しておりました。
つまり、少なくともこの3代は正夫人が健在なうちは側室を置かないという不文律があったと思われます。その理由は何なのか、私もよくわかりません。お家存続の戦略としてはリスクが大きいやり方だと思いますが、一方で、お家騒動が生じにくいメリットはあるかもしれません。あるいは日新斎が信仰深く「在家菩薩」として五戒を厳守しており、そのなかの「不邪淫」の戒めを守ったことと関係があり、貴久と義久もそれを見ならったのでしょうか。
ですから、その3代につづく家久も夫人亀寿が健在なうちは側室を置くことができなかったわけです。そこで家康への異例の嘆願となったのでしょう。
なお、この時期、義久の最晩年で、その4カ月後に義久は他界します。
すると、重石が取れた家久は、すぐさま側室を持ちました。恐くてうるさい舅が亡くなれば、もう家康に頼る必要もなくなったわけです。
その意味では、家久は先行する3代の不文律を堂々と横紙破りしたわけで、私は家久からやはり、島津家が変容したと思っています。それは中世から近世へという大きな時代転換であるとともに、島津家中のルールや枠組みが変わったという二面的な意味でもそうだと思っています。
記事では書けなかった点を少し補足しました。
余談
南日本新聞サイトは最近リニューアルし、右側にコンテンツランキングが日間、週間、月間ごとに表示されるようになったようです。本日はめでたく拙稿がトップでした。やはり話題性のある記事だったせいでしょうか。
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―家久、国松を養子に望む―
連載が更新になりました。
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今回はタイトル通りで、島津三姉妹と浅井三姉妹にじつは接点があるという話です。
もっと具体的にいえば、亀寿とお江の三女同士の不思議な縁です。タイトルもそうすればよかったか。
久しぶりに昨夜、大河ドラマを見たら、少し成長した竹千代と国松がすでに登場していて、意地悪で粗暴な兄と礼儀正しくて賢そうな弟という対比で描かれていました。
ドラマの中身は承知していなかったのですが、結果論ながら記事はちょうどよいタイミングでした。
家久は自分の家督継承者としての地位が不安定であることをよく承知しており、その理由もよくわかっていたと思います。そこで窮余の一策が徳川幕府の実力と権威をあてにすることでした。
大御所家康に大身の大名としては体面に関わるような申し出をして、たしなめられています。
家康もさぞや呆れたことでしょうが、島津家中の内情をよく知っているだけに、助け船を出したのだと思います。
それにしても、側室をもつにも家康の援助が必要だとは、家久もよほどの軟弱か、亀寿がお江のように嫉妬深いのか(あくまで通説のお江です)と、これまた共通点が見出せそうですが、じつはそうではありません。
私も事情をよく承知していませんが、島津家は日新斎→貴久→義久と3代にわたり、正夫人が健在のうちは側室を置いた形跡がありません。例外としては、たとえば、島津四兄弟の末弟、中務大輔家久の生母は側室の少納言(橋姫とも)ですが、貴久夫人はすでに他界しておりました。
つまり、少なくともこの3代は正夫人が健在なうちは側室を置かないという不文律があったと思われます。その理由は何なのか、私もよくわかりません。お家存続の戦略としてはリスクが大きいやり方だと思いますが、一方で、お家騒動が生じにくいメリットはあるかもしれません。あるいは日新斎が信仰深く「在家菩薩」として五戒を厳守しており、そのなかの「不邪淫」の戒めを守ったことと関係があり、貴久と義久もそれを見ならったのでしょうか。
ですから、その3代につづく家久も夫人亀寿が健在なうちは側室を置くことができなかったわけです。そこで家康への異例の嘆願となったのでしょう。
なお、この時期、義久の最晩年で、その4カ月後に義久は他界します。
すると、重石が取れた家久は、すぐさま側室を持ちました。恐くてうるさい舅が亡くなれば、もう家康に頼る必要もなくなったわけです。
その意味では、家久は先行する3代の不文律を堂々と横紙破りしたわけで、私は家久からやはり、島津家が変容したと思っています。それは中世から近世へという大きな時代転換であるとともに、島津家中のルールや枠組みが変わったという二面的な意味でもそうだと思っています。
記事では書けなかった点を少し補足しました。
余談
南日本新聞サイトは最近リニューアルし、右側にコンテンツランキングが日間、週間、月間ごとに表示されるようになったようです。本日はめでたく拙稿がトップでした。やはり話題性のある記事だったせいでしょうか。
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ばんない こんばんは。
1点指摘をば。
日新斎忠良の側室・上木貞時女は、忠良の正室・島津重久女生存中に尚久生んでます。
但し、確かにご指摘の通り、戦国時代の島津氏の男性は側室抱えた事例は少ないですね。
江戸時代以降も本家当主は派手な人が多い傾向が見受けられますが、家臣の方はそれほどでもないように思われます(かなりの大身でも)。
おっと
桐野 ばんないさん
見落としてましたかね。
だったら、立論が成り立たないか。
いえいえ
ばんない こんばんは。
でも確かに義久以前と家久(忠恒)以後では何か”質”が違うような印象はありますね。
正室が老齢になってから(忠良)或いは正室死後(貴久)になってから側室、それもたった一人を迎えたのと、家久(忠恒)以後のハーレム状態とは何か違うように思われます。
しかし一番謎なのは男子0なのに側室一人も抱えなかったらしい義久ですが。
先週21日、武蔵野大学生涯学習講座の第1回が始まった。
受講生の人数も意外と多い。
前回までと違い、小さい教室だったので、少し戸惑う。
受講生のみなさんも少し窮屈そうだった。
講座はまず、『信長記』『信長公記』とはどういうものかをひとくさり。
角川文庫版(陽明文庫本)のほか、池田家本巻一の写真製本(福武書店版)、我自刊我本(復刻版)を受講生のみなさんに手にとってもらう。やはり、実物に近いものを見て、触ってもらうのが一番だと思う。
本題のほうは、将軍義輝襲撃事件の信長の上洛戦をひととおり解説した。
ちょっと史料が多くて、『氏郷記』などを読めずじまいだったのが悔やまれる。
次回は11月18日。
もし受講されたい方がおいでなら歓迎です。
まだ始まったばかりですから。
詳しくはここをご覧下さい。
余談だが、私の講座の前に、日本文学方面の講座があり、講師をつとめられた文芸評論家の秋山駿さん、黒井千次さんなどにご挨拶。
秋山さんは信長の本を書かれているので、拙著を贈呈した。
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受講生の人数も意外と多い。
前回までと違い、小さい教室だったので、少し戸惑う。
受講生のみなさんも少し窮屈そうだった。
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角川文庫版(陽明文庫本)のほか、池田家本巻一の写真製本(福武書店版)、我自刊我本(復刻版)を受講生のみなさんに手にとってもらう。やはり、実物に近いものを見て、触ってもらうのが一番だと思う。
本題のほうは、将軍義輝襲撃事件の信長の上洛戦をひととおり解説した。
ちょっと史料が多くて、『氏郷記』などを読めずじまいだったのが悔やまれる。
次回は11月18日。
もし受講されたい方がおいでなら歓迎です。
まだ始まったばかりですから。
詳しくはここをご覧下さい。
余談だが、私の講座の前に、日本文学方面の講座があり、講師をつとめられた文芸評論家の秋山駿さん、黒井千次さんなどにご挨拶。
秋山さんは信長の本を書かれているので、拙著を贈呈した。
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前回に引き続き、アマゾン情報です。
この間、品切れ、入荷待ち状態がよくあったのですが、昨夜来、大量入荷しています。
書店に行くのが難しい方、面倒な方向きです。送料無料です。
詳しくはここです。
ついでに、もうひとつの新刊拙著『さつま人国誌』戦国・近世編もよろしく。
詳しくはここです。
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新刊の拙著、ようやくアマゾンでも予約受付が始まり、同時に商品も出ているようです。
ここです。
お急ぎの方はアマゾンからの購入が早いと思います。
セブンネットショッピングでも、比較的早めに発送できるようです。
ここです。
鹿児島県外の方で関心のある方、どうぞよろしく。
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購入しましたわ
より 読み易いですわね。
価格もこの手の書籍にしては
リズナーブル。。
破格の安さかしら。。
その上項目毎の出典が掲載されていますのね。
探究心の旺盛な私には励みになりますわ。
作者の誠意が感じられるお勧めの一冊ね。
御礼
桐野 よりさん
拙著お買い求めいただき、また読んでいただき、有難うございます。
鹿児島の方なんですね。
今後ともよろしく。
より 読み易いですわね。
価格もこの手の書籍にしては
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探究心の旺盛な私には励みになりますわ。
作者の誠意が感じられるお勧めの一冊ね。
御礼
桐野 よりさん
拙著お買い求めいただき、また読んでいただき、有難うございます。
鹿児島の方なんですね。
今後ともよろしく。
南日本新聞連載「さつま人国誌」第211回
―大乗院の白地蔵を誤伝か―
本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をご覧下さい。
今回は、「ジメサア」像について書きました。
以前も書いたことがあるのですが、中途半端に終わっていました。
ジメサアの前身(像じたいは変わっていませんが)が島津家の祈願所だった大乗院の白地蔵だったことは、松尾千歳さん(尚古集成館副館長)の著書などで知っていたのですが、今回新たに稿を起こしたのは、先日、講演で帰鹿したのがきっかけで、旧知の吉満庄司さん(前黎明館学芸員)から白地蔵についての史料を教えてもらったからです。
「鹿児島ぶり」(鹿児島風流と書くらしい)という紀行文。
伊東凌舎という講釈師、江戸っ子らしく、なかなか面白いです。やはり外部からの視点は新鮮でいいですね。
しかも、白地蔵のイラストまで描いてくれてます。
版権の関係でイラストを載せられないのが残念ですが、興味のある方は『日本庶民生活史料集成』第9巻(三一書房)に収録されていますから、調べて下さい。
今回のポイントは、
1.「ジメサア」という命名が間違い=白地蔵と呼ぶべき
2.ジメサアの前身である白地蔵も亀寿とは無関係
3.したがって、ジメサア像の「由緒」(そもそもあやふやなものですが)を亀寿(やその容貌)と結びつけるのは的外れもいいところ。
というものです。
ではいつ、なぜ、「ジメサア」と呼ばれるようになったのか?
確証はありませんが、意外と新しく、戦後のことのようです。
調べ方としては、戦後の新聞のバックナンバーをめくると、初見の記事を見つけられるかも知れません。気が遠くなるような作業ですが……。
次回は未定です。
最近、順位落ち気味なので、ぜひ下記をクリックして下さい。
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―大乗院の白地蔵を誤伝か―
本日、連載が更新になりました。
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今回は、「ジメサア」像について書きました。
以前も書いたことがあるのですが、中途半端に終わっていました。
ジメサアの前身(像じたいは変わっていませんが)が島津家の祈願所だった大乗院の白地蔵だったことは、松尾千歳さん(尚古集成館副館長)の著書などで知っていたのですが、今回新たに稿を起こしたのは、先日、講演で帰鹿したのがきっかけで、旧知の吉満庄司さん(前黎明館学芸員)から白地蔵についての史料を教えてもらったからです。
「鹿児島ぶり」(鹿児島風流と書くらしい)という紀行文。
伊東凌舎という講釈師、江戸っ子らしく、なかなか面白いです。やはり外部からの視点は新鮮でいいですね。
しかも、白地蔵のイラストまで描いてくれてます。
版権の関係でイラストを載せられないのが残念ですが、興味のある方は『日本庶民生活史料集成』第9巻(三一書房)に収録されていますから、調べて下さい。
今回のポイントは、
1.「ジメサア」という命名が間違い=白地蔵と呼ぶべき
2.ジメサアの前身である白地蔵も亀寿とは無関係
3.したがって、ジメサア像の「由緒」(そもそもあやふやなものですが)を亀寿(やその容貌)と結びつけるのは的外れもいいところ。
というものです。
ではいつ、なぜ、「ジメサア」と呼ばれるようになったのか?
確証はありませんが、意外と新しく、戦後のことのようです。
調べ方としては、戦後の新聞のバックナンバーをめくると、初見の記事を見つけられるかも知れません。気が遠くなるような作業ですが……。
次回は未定です。
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ばんない こんばんは。興味深い話拝読させて頂きました。
今回のお話によると、大正時代の再発見から戦後の間の空白の数十年の間に何かあったと言うことでしょうか。そのきっかけになった物は何だったのでしょうか、気になるところです。
ランキング用ボタンの件ですが
坐忘 ボタンを色付きの目立つ大きなものにして、一記事に最低限二箇所以上(冒頭と終末は必須として)配置されてはいかがでしょうか。いまのように控え目な置き方では非常に勿体無いと思います。わたしもまったくクリックを忘れてました(><; ここは、例えば島津義広さんの人気ブログ(博士の独り言II)のようにしていただければ、押し忘れることは無くなるかと思います。
仕掛け人
桐野 ばんないさん
白地蔵がジメサアになったいきさつについては、仕掛け人がいたと聞き込みました。
それも複数説があり、よくわかりません。
あやふやな伝聞なので、記事には書けないのですが……。
バナー
桐野 坐忘さん
アドバイス有難うございました。
私も一度、バナーの設置に挑戦したのですが、うまくいきませんでした。
バナーのほうがもっと目立つんでしょうけどね。
バナーの設定例
坐忘 桐野さん、こんばんは。
ちょっとFC2ブログに入って確認してみましたが、
例えば、記事上部にバナーを貼るには、以下の手順でいけました。
①タグの取得
管理画面→環境設定→プラグインの設定→
→FC2ブログランキング行右端の詳細→FC2ブログランキングの編集
→プラグインの改造行右の【HTMLの編集】をクリック
→表示される6行ほどの記述を選択してコピー
②HTMLへの貼付
管理画面→環境設定→テンプレートの設定→HTML編集
<div class="entry_body">を探し、その行の直前に、
①でコピーした記述を貼り付け、プレビューし、良ければ設定ボタンで確定します。
バナーのデザインは、貼り付け記述中の a_01 を、c_02 とか c_01 とかに適当に変えてプレビューして選びます(バナー一覧から選びにくいようなので)。
記事下部に対しても挿入位置を変えれば、同様に配置出来ると思います。
以上、お時間があるときにお試しされてはいかがでしょうか。
御礼
桐野 坐忘さん
ご親切に有難うございます。
以前試したのですが、なぜできなかったのでしょうね?
Re:バナーの件
坐忘 桐野さん、こんにちは。
今回わたしも設定途中で謎のエラーが出て進まなくなったことがありました。
そこでブラウザを起ち上げ直したらエラーが出なくなりましたので、
ブラウザとの相性問題があったのかもしれませんね。
また、ブログ設定機能のバージョンアップが何回かなされているようなので、
タイミングが悪かった可能性もあります。
それにしてもFC2は機能が豊富で、かなりのカスタマイズが出来そうですね。
設定さえ出来れば実力・内容からいってFC2歴史分野で二位はすぐでしょう。
(一位には政治モノが居座っていますのですぐに抜くことは難しそうですが)
昨年は2chの大河板で桐野さんのブログ内容に反応する人が多かったです。
講演や執筆でお忙しいのに、ブログでこんなに親しくいろんなことを
教えていただけるのは望外の幸せというしかありません。
もし司馬さんや海音寺さんの時代にブログがあったとしても、
ここまでのサービスはとても考えられないですものねw
ランキング
桐野 坐忘さん
バナーの件はそのうち再チャレンジしてみます。
まあ、バナーがなくても、3年前、篤姫の大河のときは、歴史系ランキングでは半年くらいずっとトップだったのですけどね(笑)。
2chはのぞいていませんが、私のブログが話題になっても、たいがい叩かれるケースが多いのではないでしょうか。以前、だいぶ叩かれましたしね(笑)。
またよろしく。
武蔵野大学市民講座「『信長公記』を読む」全6回
いよいよ今月21日(金)13:00からスタートです。
直前に迫りましたので、最終案内になると思います。
月1回、第3金曜日開催です。
会場はJR中央線三鷹駅前の同大学サテライトキャンパスです。
お問い合わせ・申し込み、カリキュラム・スケジュールなど詳しくはここをご覧下さい。
一応、全6回の日程・テーマを書いておきます。
第1回 2011/10/21 将軍義輝殺害と信長の上洛戦
第2回 2011/11/18 足利義昭、征夷大将軍となる
第3回 2011/12/16 本国寺合戦と二条第の造営
第4回 2012/01/20 山科言継とフロイスの岐阜訪問
第5回 2012/02/17 五ヵ条の条書と将軍義昭
第6回 2012/03/16 金ヶ崎の退き口と元亀争乱
信長に興味ある方、ぜひ受講してみませんか。
会場では新著『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ―』を割引販売します。
よろしければ、下記をクリックして下さい。
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いよいよ今月21日(金)13:00からスタートです。
直前に迫りましたので、最終案内になると思います。
月1回、第3金曜日開催です。
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第1回 2011/10/21 将軍義輝殺害と信長の上洛戦
第2回 2011/11/18 足利義昭、征夷大将軍となる
第3回 2011/12/16 本国寺合戦と二条第の造営
第4回 2012/01/20 山科言継とフロイスの岐阜訪問
第5回 2012/02/17 五ヵ条の条書と将軍義昭
第6回 2012/03/16 金ヶ崎の退き口と元亀争乱
信長に興味ある方、ぜひ受講してみませんか。
会場では新著『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ―』を割引販売します。
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平日ですね
清水 とても興味深い講演です。土日でないのが残念です。
残念
桐野 清水さん
やっぱり土日に設定したほうがよかったですかね。私も迷ったのですが。
またの機会にでも、ご参加下さい。
清水 とても興味深い講演です。土日でないのが残念です。
残念
桐野 清水さん
やっぱり土日に設定したほうがよかったですかね。私も迷ったのですが。
またの機会にでも、ご参加下さい。
お知らせです。
最近刊行した拙著『さつま人国誌』戦国・近世編 南日本新聞社 1.300円+税
地方出版のため、鹿児島県外での入手が困難でご不便をかけていましたが、アマゾンで取り扱っているようです。
ここです。
ただし、現在は品切れ中で、入荷待ち状態になっています。
一両日で追加の入荷があるのではないかと思います。
あと、セブンイレブン系のセブンネットショッピングやe-honなどでも扱っているようです。
ここやここです。
在庫がなくて取り寄せに時間がかかるケースもあるかも知れませんが、お許し下さい。
またネット書店を全部調べたわけではありませんので、ほかにもまだ取り扱っている所があるかもしれません。
鹿児島県外の方々へのお知らせでした。
よろしければ、下記をクリックして下さい。
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最近刊行した拙著『さつま人国誌』戦国・近世編 南日本新聞社 1.300円+税
地方出版のため、鹿児島県外での入手が困難でご不便をかけていましたが、アマゾンで取り扱っているようです。
ここです。
ただし、現在は品切れ中で、入荷待ち状態になっています。
一両日で追加の入荷があるのではないかと思います。
あと、セブンイレブン系のセブンネットショッピングやe-honなどでも扱っているようです。
ここやここです。
在庫がなくて取り寄せに時間がかかるケースもあるかも知れませんが、お許し下さい。
またネット書店を全部調べたわけではありませんので、ほかにもまだ取り扱っている所があるかもしれません。
鹿児島県外の方々へのお知らせでした。
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楽しみです
tsubu 桐野先生、こんにちは。
さつま人国誌、既に書店に注文し、手元に届くの
を今か今かと待っております。
幕末・明治編の続刊も楽しみに待っておりますので(^^)
御礼
桐野 tsubuさん
お久しぶりです。
拙著、御注文いただき、有難うございます。
早くお手元に届けばいいですね。
幕末・明治編もすでに一冊分の分量がたまっていますので、機会を見てまとめたいと思います。お楽しみに。
tsubu 桐野先生、こんにちは。
さつま人国誌、既に書店に注文し、手元に届くの
を今か今かと待っております。
幕末・明治編の続刊も楽しみに待っておりますので(^^)
御礼
桐野 tsubuさん
お久しぶりです。
拙著、御注文いただき、有難うございます。
早くお手元に届けばいいですね。
幕末・明治編もすでに一冊分の分量がたまっていますので、機会を見てまとめたいと思います。お楽しみに。
拙著『さつま人国誌』戦国・近世編 南日本新聞者刊 1.300円+税
地方小出版流通センターの配信情報をもとにした「books-neil」に写真付きで紹介されていました。
ここです。
ほかにも、『熊本城を極める』とか『松浦党研究』とか、読んでみたい本や雑誌がありますね。
よろしければ、下記をクリックして下さい。
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ほかにも、『熊本城を極める』とか『松浦党研究』とか、読んでみたい本や雑誌がありますね。
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第210回
―帖佐から義弘が移築―
昨日の掲載記事ですが、連休中だったため、同紙の更新が本日にずれ込んでしまいました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。
今回は私の郷里にある文化財史跡の由緒について書きました。
郷里ではけっこうよく知られた門ですが、その由来が関ヶ原合戦の余波による肥薩国境の緊張という当時の情勢がもたらした産物だということはあまり知られていなかったと思います。
記事には帖佐の大手門跡に遺る礎石のホゾ穴とその案内の標柱の写真を載せられなかったので、ここに載せておきます。


何より島津義弘が出水城を居城にするつもりだったことはほとんど知られていないと思います。この点はぜひ紹介したかったポイントです。
今回、義弘の出水居城化に関連して、おそらく『旧記雑録後編三』だったと思うのですが、出水市の旧大野原(現・五万石町)を義弘が開拓するという史料を見た覚えがあって一生懸命探したのですが、ついに見つけ出せませんでした。私の備忘録にも記載がなかったです(かつてPCがクラッシュしたとき、データが一部失われたので、そのとき消失したか)。
この点を書けなかったことが心残りです。
関ヶ原戦直後、わが郷里の国境に加藤清正・黒田如水・立花宗茂といった著名な戦国武将率いる軍勢が押し寄せてきたというのも何となくロマンがあります。
しかし、一時、秀吉の蔵入地となり、対馬宗氏や寺沢広高の領地にもなった関係で百姓への乱取りが行われ、一方、島津方も小西行長支援のために加藤清正の佐敷城を攻めたときなど、地元の百姓を略奪してきております。国境ゆえの悲劇ですが、お互いひどいことをやっています(藤木久志氏の名著『雑兵たちの戦場』のなかで、当地の乱取りがメインの史料になっているのも皮肉です)。
考えてみれば、私などもそうした乱取りに遭った百姓の子孫かもしれないのですが……。
次回は先日の鹿児島市での講演でも触れた有名な石像「ジメサア」を再考してみたいと思っています。
つい先日(5日)の命日に恒例のお色直しが行われたようですが。
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―帖佐から義弘が移築―
昨日の掲載記事ですが、連休中だったため、同紙の更新が本日にずれ込んでしまいました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。
今回は私の郷里にある文化財史跡の由緒について書きました。
郷里ではけっこうよく知られた門ですが、その由来が関ヶ原合戦の余波による肥薩国境の緊張という当時の情勢がもたらした産物だということはあまり知られていなかったと思います。
記事には帖佐の大手門跡に遺る礎石のホゾ穴とその案内の標柱の写真を載せられなかったので、ここに載せておきます。


何より島津義弘が出水城を居城にするつもりだったことはほとんど知られていないと思います。この点はぜひ紹介したかったポイントです。
今回、義弘の出水居城化に関連して、おそらく『旧記雑録後編三』だったと思うのですが、出水市の旧大野原(現・五万石町)を義弘が開拓するという史料を見た覚えがあって一生懸命探したのですが、ついに見つけ出せませんでした。私の備忘録にも記載がなかったです(かつてPCがクラッシュしたとき、データが一部失われたので、そのとき消失したか)。
この点を書けなかったことが心残りです。
関ヶ原戦直後、わが郷里の国境に加藤清正・黒田如水・立花宗茂といった著名な戦国武将率いる軍勢が押し寄せてきたというのも何となくロマンがあります。
しかし、一時、秀吉の蔵入地となり、対馬宗氏や寺沢広高の領地にもなった関係で百姓への乱取りが行われ、一方、島津方も小西行長支援のために加藤清正の佐敷城を攻めたときなど、地元の百姓を略奪してきております。国境ゆえの悲劇ですが、お互いひどいことをやっています(藤木久志氏の名著『雑兵たちの戦場』のなかで、当地の乱取りがメインの史料になっているのも皮肉です)。
考えてみれば、私などもそうした乱取りに遭った百姓の子孫かもしれないのですが……。
次回は先日の鹿児島市での講演でも触れた有名な石像「ジメサア」を再考してみたいと思っています。
つい先日(5日)の命日に恒例のお色直しが行われたようですが。
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ばんない こんばんは。
義弘はこの後結局加治木城に転居しますが、家久(忠恒)があちこちに築城を計画した件といい、義久が国分城を造った件といい、あの時期にいろいろ築城や転居をした理由は何だったのか、考えると興味深いです。
そういえば国分城の「朱門」も一時期別の場所に移築されていたのを割と最近?になってから今の場所に戻したといいますが、実はこの門が元々国分城の門だったかどうかもはっきりしないらしいと言う話も聞いたことが…(ネットで検索した話で史料的な裏付けは取ってません)。
仙厳園の錫門も朱色の門ですし、妙に気になります。
義久もどこぞ国境辺りに引っ越す話もあったようですね。もっとも時期は秀吉の九州御動座で負けた後辺りのようですが。参考史料は「新納忠元勲功記」です。
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ばんない こんばんは。
義弘はこの後結局加治木城に転居しますが、家久(忠恒)があちこちに築城を計画した件といい、義久が国分城を造った件といい、あの時期にいろいろ築城や転居をした理由は何だったのか、考えると興味深いです。
そういえば国分城の「朱門」も一時期別の場所に移築されていたのを割と最近?になってから今の場所に戻したといいますが、実はこの門が元々国分城の門だったかどうかもはっきりしないらしいと言う話も聞いたことが…(ネットで検索した話で史料的な裏付けは取ってません)。
仙厳園の錫門も朱色の門ですし、妙に気になります。
義久もどこぞ国境辺りに引っ越す話もあったようですね。もっとも時期は秀吉の九州御動座で負けた後辺りのようですが。参考史料は「新納忠元勲功記」です。
最近出した拙著2点。
『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ―』 新人物往来社刊
詳しくはここやここをご覧下さい。
『さつま人国誌』戦国・近世編 南日本新聞社刊
詳しくはここをご覧下さい。
南日本新聞の本日(9日)付文化欄にかなり大きく掲載されました。
人国誌は自社刊ですが、『織田信長』も同時に紹介していただきました。
2点を並べた写真付きでうれしいかぎりです。ついでに著者の顔写真も掲載されています。
それを読んだ知人から髪型を何とかしろという指摘ありました。はずかしい。
同紙を読める環境の方、読んで下さいね。
『織田信長』、定価高いにもかかわらず、動きはいいようです。アマゾンも在庫切れになり、現在、中古新品しか出品されていません。定価よりだいぶ高いので、早く取り寄せてほしいもの(後記:10/11時点で2冊入荷した模様)。
『さつま人国誌』のほうは鹿児島では買いやすいですが、県外はまだ難しいかも。アマゾンにも本日時点で出品されていません。
2点とも絶賛発売中。よろしくお願いします。
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『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ―』 新人物往来社刊
詳しくはここやここをご覧下さい。
『さつま人国誌』戦国・近世編 南日本新聞社刊
詳しくはここをご覧下さい。
南日本新聞の本日(9日)付文化欄にかなり大きく掲載されました。
人国誌は自社刊ですが、『織田信長』も同時に紹介していただきました。
2点を並べた写真付きでうれしいかぎりです。ついでに著者の顔写真も掲載されています。
それを読んだ知人から髪型を何とかしろという指摘ありました。はずかしい。
同紙を読める環境の方、読んで下さいね。
『織田信長』、定価高いにもかかわらず、動きはいいようです。アマゾンも在庫切れになり、現在、中古新品しか出品されていません。定価よりだいぶ高いので、早く取り寄せてほしいもの(後記:10/11時点で2冊入荷した模様)。
『さつま人国誌』のほうは鹿児島では買いやすいですが、県外はまだ難しいかも。アマゾンにも本日時点で出品されていません。
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20年くらい前の大河ドラマから、近江浅井氏を「あざい」と読むのが通例になっている。
それは、同ドラマの戦国時代の時代考証を担当する小和田哲男氏が近江浅井氏の研究者であることから、その意向が反映されているのだろう。
もっとも、小和田氏は「あざい」読みの根拠を明確にされているのだろうか? 管見の限りでは存じ上げないが、今日、地名の浅井が「あざい」と読むからだと仄聞したことがある。ご存知の方がおいでならご教示下さい。
しかし、現代の地名が「あざい」だからといって、戦国期もそのように読んだとは限らないし、また浅井氏は名字だから、地名と同じ読みをするとは限らない。
そのように根拠があいまいだったせいか、最近は「あさい」読みが巻き返してきているように思う。
その代表は宮島敬一氏の『浅井氏三代』(人物叢書、吉川弘文館)で、冒頭のはしがきで『和名類聚抄』などを根拠に「あさい」だと断定された(同氏は『本郷』74号、2008年でも同様の主張をされている由)。
その後、宮島氏の上記著書の書評で、西島太郎氏が宮島説を踏まえて、戦国期までは「あさい」だったのが、江戸時代初期(『東浅井郡志』は慶長18年とする)からは「あざい(郡)」読みに変化したのかと問題提起している(『織豊期研究』10号、2008年)。
で、この議論では素朴な疑問がある。研究者にはそれほど珍しくない史料の吟味が抜け落ちていると感じている。
それは、『大日本史料』10-17に収録された「南部文書」三である(305頁)。
これは浅井久政・長政父子の死去の綱文(天正元年8月27日)に収録された史料で、浅井氏の位牌所、菩提寺だった徳勝寺の住持楊厳が浅井家追善再興について述べた文書である。慶長16年(1611)7月朔日と年次が入っている。
これはほとんど仮名で書かれ、しかも清音・濁音が混在していて、浅井の読みを検証するのにこれ以上ない史料である。
このなかに浅井読みは4カ所登場する。いずれも浅井氏三代の人名であり、地名ではない点が重要である。それを順に挙げると、
1.あさいびぜんのか□(不明字)、なのりハすけまさ
2.あさいしもつけのかミひさまさ
3.あざいびぜんのかミながまさ
4.あざい三たい(三代)
「あさい」読みが2例、「あざい」読みも2例と見事に拮抗している。
それでは結論はどちらともいえないかというと、そうではないだろう。
中近世の古文書や古記録では清音表記が圧倒的に多い。そういうなかで、濁音表記がこれだけある点が非常に重要で、1.2.も実際の読みは濁音の可能性さえある。
この文書は浅井氏の滅亡、長政の死から38年後に書かれたものだが(慶長18年説より2年遡る)、浅井氏の菩提寺の住持の文書である点が極めて重要である。住持の楊厳が大檀那だった浅井氏の読みを知らないはずがないからである。楊厳はすでに2代将軍秀忠の治世、すなわち、浅井三姉妹のお江が将軍家御台所になっていることから、浅井氏の追善再興を企て、それは徳勝寺がもとの小谷山から現在の長浜市街に再興されることにつながったのである。
そのように浅井氏の由緒としてはきわめて正確な史料だという前提に立ち、史料に忠実に解釈すると、遅くとも浅井氏三代めの長政の代には「あざい」読みだったことになる。そして、お江も淀殿も「あざい」氏だったことになるのではないだろうか。
「あさい」か「あざい」の議論はこの史料を無視してはできないだろう。
なお、この史料は東京大学史料編纂所のサイトにあるデータベース(大日本史料)から誰でもアクセスして調べることができます(ただ、本日夜から明朝まではメンテナンス中)。
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それは、同ドラマの戦国時代の時代考証を担当する小和田哲男氏が近江浅井氏の研究者であることから、その意向が反映されているのだろう。
もっとも、小和田氏は「あざい」読みの根拠を明確にされているのだろうか? 管見の限りでは存じ上げないが、今日、地名の浅井が「あざい」と読むからだと仄聞したことがある。ご存知の方がおいでならご教示下さい。
しかし、現代の地名が「あざい」だからといって、戦国期もそのように読んだとは限らないし、また浅井氏は名字だから、地名と同じ読みをするとは限らない。
そのように根拠があいまいだったせいか、最近は「あさい」読みが巻き返してきているように思う。
その代表は宮島敬一氏の『浅井氏三代』(人物叢書、吉川弘文館)で、冒頭のはしがきで『和名類聚抄』などを根拠に「あさい」だと断定された(同氏は『本郷』74号、2008年でも同様の主張をされている由)。
その後、宮島氏の上記著書の書評で、西島太郎氏が宮島説を踏まえて、戦国期までは「あさい」だったのが、江戸時代初期(『東浅井郡志』は慶長18年とする)からは「あざい(郡)」読みに変化したのかと問題提起している(『織豊期研究』10号、2008年)。
で、この議論では素朴な疑問がある。研究者にはそれほど珍しくない史料の吟味が抜け落ちていると感じている。
それは、『大日本史料』10-17に収録された「南部文書」三である(305頁)。
これは浅井久政・長政父子の死去の綱文(天正元年8月27日)に収録された史料で、浅井氏の位牌所、菩提寺だった徳勝寺の住持楊厳が浅井家追善再興について述べた文書である。慶長16年(1611)7月朔日と年次が入っている。
これはほとんど仮名で書かれ、しかも清音・濁音が混在していて、浅井の読みを検証するのにこれ以上ない史料である。
このなかに浅井読みは4カ所登場する。いずれも浅井氏三代の人名であり、地名ではない点が重要である。それを順に挙げると、
1.あさいびぜんのか□(不明字)、なのりハすけまさ
2.あさいしもつけのかミひさまさ
3.あざいびぜんのかミながまさ
4.あざい三たい(三代)
「あさい」読みが2例、「あざい」読みも2例と見事に拮抗している。
それでは結論はどちらともいえないかというと、そうではないだろう。
中近世の古文書や古記録では清音表記が圧倒的に多い。そういうなかで、濁音表記がこれだけある点が非常に重要で、1.2.も実際の読みは濁音の可能性さえある。
この文書は浅井氏の滅亡、長政の死から38年後に書かれたものだが(慶長18年説より2年遡る)、浅井氏の菩提寺の住持の文書である点が極めて重要である。住持の楊厳が大檀那だった浅井氏の読みを知らないはずがないからである。楊厳はすでに2代将軍秀忠の治世、すなわち、浅井三姉妹のお江が将軍家御台所になっていることから、浅井氏の追善再興を企て、それは徳勝寺がもとの小谷山から現在の長浜市街に再興されることにつながったのである。
そのように浅井氏の由緒としてはきわめて正確な史料だという前提に立ち、史料に忠実に解釈すると、遅くとも浅井氏三代めの長政の代には「あざい」読みだったことになる。そして、お江も淀殿も「あざい」氏だったことになるのではないだろうか。
「あさい」か「あざい」の議論はこの史料を無視してはできないだろう。
なお、この史料は東京大学史料編纂所のサイトにあるデータベース(大日本史料)から誰でもアクセスして調べることができます(ただ、本日夜から明朝まではメンテナンス中)。
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あざい?
びわこ 桐野さん、こんにちは。
浅井の読み方は、地元が「あざい」って読むから、「あざい」なんだと思っていました。
改めてこの史料を見ますと、長政の時に「あさい」は「あざい」になった可能性もある・・・ってことですか。興味深い史料ですね。
地名としての「浅井」が「あざい」って読まれるのは、「大蛇(おろち)」が「おとち」と読まれるような、湖北の訛りのように何となくですが思っていました。
文字が読めないので
より さっぱり読めませんでした。
そこで、ふりがなや挿絵のある説法集を。
オークションで購入しました。
最近は、各所で、pdfで公開されて居ますので
助かります。
IPad!には、、これらが300冊入っています。
重宝して居ます。
鹿児島、宮崎が公開されると、嬉しいのですが。
方言
桐野 びわこさん、お久しぶりです。
亮政・久政の代と長政の代とで名字の読みが違うというのはふつう考えられないですね。
個人的にはずっと「あざい」だったのではないかと思っています。「あざい三たい」とも書いてありますから。
びわこさんの「あざい」読みは地元方言かもというのは妙に納得しました。
別の例ですが、「桶狭間」も「おけはざま」ではなく、地元では「おけばさま」と読んだかもしれないです。何となく似ているような事例です。
びわこ 桐野さん、こんにちは。
浅井の読み方は、地元が「あざい」って読むから、「あざい」なんだと思っていました。
改めてこの史料を見ますと、長政の時に「あさい」は「あざい」になった可能性もある・・・ってことですか。興味深い史料ですね。
地名としての「浅井」が「あざい」って読まれるのは、「大蛇(おろち)」が「おとち」と読まれるような、湖北の訛りのように何となくですが思っていました。
文字が読めないので
より さっぱり読めませんでした。
そこで、ふりがなや挿絵のある説法集を。
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最近は、各所で、pdfで公開されて居ますので
助かります。
IPad!には、、これらが300冊入っています。
重宝して居ます。
鹿児島、宮崎が公開されると、嬉しいのですが。
方言
桐野 びわこさん、お久しぶりです。
亮政・久政の代と長政の代とで名字の読みが違うというのはふつう考えられないですね。
個人的にはずっと「あざい」だったのではないかと思っています。「あざい三たい」とも書いてありますから。
びわこさんの「あざい」読みは地元方言かもというのは妙に納得しました。
別の例ですが、「桶狭間」も「おけはざま」ではなく、地元では「おけばさま」と読んだかもしれないです。何となく似ているような事例です。
鹿児島市での講演が終わったばかりですが、同じく鹿児島県の姶良(あいら)市で来月5日に講演があります。
姶良市は鹿児島市の北方にあり、市町村合併で旧姶良町・蒲生町・加治木町が一緒になった自治体です。
この地は、岩剣・平松、帖佐、加治木と義弘の居城・居館跡が集中しており、また終焉の地でもあります。
まさに義弘ゆかりの地元といっても過言ではありません。
だいぶ前から講演依頼を受けておりました。
タイトルもそのものズバリです。
鹿児島市宝山ホールでの講演内容とあまり重ならないようにしたいと思っていますが、家督問題はある程度重複すると思います。避けて通れない問題なので、致し方ありません。
上記の居城・居館とともに、関ヶ原合戦と退き口についてもお話ししたいと思っています。
こちらもなかなかの大会場です。その割にはほとんどPRがされていないようで、集客できるのかどうか不安です。市や資料館のサイトにも告知が出ていないようですので、下記に要領を書いておきます。
鹿児島の方々、そして県外で義弘に関心のある方はぜひご参加下さい。
ポスター(表・裏)を貼り付けておきます。


日時:11月5日(土)13:30時開場、14:00時開演
会場:姶良市 姶良公民館大ホール
住所:姶良市 西餅田589番地
電話:0995-62-2111(内線210)
姶良市教育委員会 教育部 社会教育課 文化財係
演題:歴史講演会「島津義弘と姶良」
主催:姶良市教育委員会
申し込み方法は普通ハガキまたはFAXでの事前申し込みで1人1枚が必要です。
宛先 〒899-5421 姶良市 東餅田498番地
姶良市歴史民俗資料館気付
「歴史講演会」係
ハガキ裏には住所・名前・電話番号を記入。
申し込まれた方には入場整理券(ハガキ)が郵送されてくるそうなので、当日持参するようにとのこと。
FAX番号は0995-66-5820
申し込み締め切りは10月28日(金)午後5時まで。
よろしければ、下記をクリックして下さい。
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姶良市は鹿児島市の北方にあり、市町村合併で旧姶良町・蒲生町・加治木町が一緒になった自治体です。
この地は、岩剣・平松、帖佐、加治木と義弘の居城・居館跡が集中しており、また終焉の地でもあります。
まさに義弘ゆかりの地元といっても過言ではありません。
だいぶ前から講演依頼を受けておりました。
タイトルもそのものズバリです。
鹿児島市宝山ホールでの講演内容とあまり重ならないようにしたいと思っていますが、家督問題はある程度重複すると思います。避けて通れない問題なので、致し方ありません。
上記の居城・居館とともに、関ヶ原合戦と退き口についてもお話ししたいと思っています。
こちらもなかなかの大会場です。その割にはほとんどPRがされていないようで、集客できるのかどうか不安です。市や資料館のサイトにも告知が出ていないようですので、下記に要領を書いておきます。
鹿児島の方々、そして県外で義弘に関心のある方はぜひご参加下さい。
ポスター(表・裏)を貼り付けておきます。


日時:11月5日(土)13:30時開場、14:00時開演
会場:姶良市 姶良公民館大ホール
住所:姶良市 西餅田589番地
電話:0995-62-2111(内線210)
姶良市教育委員会 教育部 社会教育課 文化財係
演題:歴史講演会「島津義弘と姶良」
主催:姶良市教育委員会
申し込み方法は普通ハガキまたはFAXでの事前申し込みで1人1枚が必要です。
宛先 〒899-5421 姶良市 東餅田498番地
姶良市歴史民俗資料館気付
「歴史講演会」係
ハガキ裏には住所・名前・電話番号を記入。
申し込まれた方には入場整理券(ハガキ)が郵送されてくるそうなので、当日持参するようにとのこと。
FAX番号は0995-66-5820
申し込み締め切りは10月28日(金)午後5時まで。
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第209回
―江戸無血開城への道筋―
連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。
今回は前から書こうと思っていて、なかなか書けなかったテーマについて書きました。
よく知られている西郷隆盛と山岡鉄舟の駿府談判です。
2年ほど前に静岡に行ったときに撮影した写真があったので、何とか活用できないかと思っていました。
もっとも、新しいことはあまり書いていません。
両者の会見は2回あったと思われますが、有名な出来事の割にその様子を詳しく記した史料は意外と少ないです。
山岡が後世回想してまとめた記録がいちばん詳しそうです。ただ、本人の記録だけではやや客観性が欠けるかもしれませんね。
西郷が山岡に会ったのは、山岡の豪胆さもさることながら、山岡が勝安芳の書簡を持参していたのが一番大きいと思います。勝は当時、軍事総裁であり、旧幕府の代表者になっていましたから、勝の意向を知ることが、その後の方針を立てるのに重要だと思ったからではないかと思います。
山岡に同行した益満休之助もぜひ書きたい人物なのですが、いまひとつ踏み切れずにおります。
鹿児島の草牟田墓地に益満の墓があるのは知っているのですが、なかなか探しに行く時間がとれません。また広い墓地のどこにあるのか、まだ把握できていません。もしご存知の方がおいでなら、教えて下さいませ。
来月、2回鹿児島に帰る機会があるので、何とかできればと思っているところです。
次回何を書くか未定です。書きたいのはたくさんあるのですが、もうひとつ絞り切れていない感じです。
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―江戸無血開城への道筋―
連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。
今回は前から書こうと思っていて、なかなか書けなかったテーマについて書きました。
よく知られている西郷隆盛と山岡鉄舟の駿府談判です。
2年ほど前に静岡に行ったときに撮影した写真があったので、何とか活用できないかと思っていました。
もっとも、新しいことはあまり書いていません。
両者の会見は2回あったと思われますが、有名な出来事の割にその様子を詳しく記した史料は意外と少ないです。
山岡が後世回想してまとめた記録がいちばん詳しそうです。ただ、本人の記録だけではやや客観性が欠けるかもしれませんね。
西郷が山岡に会ったのは、山岡の豪胆さもさることながら、山岡が勝安芳の書簡を持参していたのが一番大きいと思います。勝は当時、軍事総裁であり、旧幕府の代表者になっていましたから、勝の意向を知ることが、その後の方針を立てるのに重要だと思ったからではないかと思います。
山岡に同行した益満休之助もぜひ書きたい人物なのですが、いまひとつ踏み切れずにおります。
鹿児島の草牟田墓地に益満の墓があるのは知っているのですが、なかなか探しに行く時間がとれません。また広い墓地のどこにあるのか、まだ把握できていません。もしご存知の方がおいでなら、教えて下さいませ。
来月、2回鹿児島に帰る機会があるので、何とかできればと思っているところです。
次回何を書くか未定です。書きたいのはたくさんあるのですが、もうひとつ絞り切れていない感じです。
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最近、雑誌もちょこちょこ執筆していたのですが、あまりご紹介する機会がありませんでした。
たまたま同時期に見本誌が送られてきましたので、まとめてご紹介します。
『歴史人』別冊/三国志の真実 定価680円
数カ月前、雑誌として発売されましたが、売れ行き好調だったそうで、新稿を加え、再構成しなおして別冊のムックとして発売されました。
私も三国志の原稿を書いたのは久しぶりでした。ただ、正史ではなく演義をベースに書いてほしいという注文には少し困惑しましたが。
雑誌のときには「諸葛孔明の激闘」というコーナー(14頁)を担当し、赤壁の戦いや天下三分の計、蜀漢建国まで、おいしいところを書かせてもらいました。
別冊の編集にあたり、旧稿に加えて新稿として「呉の初代皇帝 孫権の生涯」(10頁)を書きました。
全体の2割近くを執筆しておりますので、三国志に興味のある方にお勧めします。コンビニでも発売しているところがあると思います。
『歴史街道』11月号 630円
同誌には久しぶりに書きました。
総力特集は「二〇三高地の真実」で、いかにも同誌らしい特集です。
今回は第2特集的な位置づけになっている特集「Q&A『古文書』の寺子屋」を担当しました。16頁というかなりな分量です。
要は古文書を読みたいという人へのノウハウ伝授というべき趣旨です。私が師匠役というのも、かなり場違いというか柄にもないことで、もっと適任者がおいでだと思ったのですが、くずし字の読み方などで個人的に苦労した点、こうすれば比較的早く読めるようになるといった経験的なコツについて書きました。
誌面構成もテキストに出てくる変体仮名を詳しく説明したもので、これまでも似たような記事を書いたことがありましたが、一番懇切丁寧な解説になっていると思います。私のアイデアではなく、編集部の知恵ですが(笑)。
くずし字のイロハから、応用編として坂本龍馬と上杉謙信の手紙を取り上げています。テキストの選定にはだいぶ苦労しました。信長がおねに宛てた有名な教訓状(秀吉をはげねずみと書いてある)を取り上げたかったのですが、やはり壁は厚くて……。
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たまたま同時期に見本誌が送られてきましたので、まとめてご紹介します。
『歴史人』別冊/三国志の真実 定価680円
数カ月前、雑誌として発売されましたが、売れ行き好調だったそうで、新稿を加え、再構成しなおして別冊のムックとして発売されました。
私も三国志の原稿を書いたのは久しぶりでした。ただ、正史ではなく演義をベースに書いてほしいという注文には少し困惑しましたが。
雑誌のときには「諸葛孔明の激闘」というコーナー(14頁)を担当し、赤壁の戦いや天下三分の計、蜀漢建国まで、おいしいところを書かせてもらいました。
別冊の編集にあたり、旧稿に加えて新稿として「呉の初代皇帝 孫権の生涯」(10頁)を書きました。
全体の2割近くを執筆しておりますので、三国志に興味のある方にお勧めします。コンビニでも発売しているところがあると思います。
『歴史街道』11月号 630円
同誌には久しぶりに書きました。
総力特集は「二〇三高地の真実」で、いかにも同誌らしい特集です。
今回は第2特集的な位置づけになっている特集「Q&A『古文書』の寺子屋」を担当しました。16頁というかなりな分量です。
要は古文書を読みたいという人へのノウハウ伝授というべき趣旨です。私が師匠役というのも、かなり場違いというか柄にもないことで、もっと適任者がおいでだと思ったのですが、くずし字の読み方などで個人的に苦労した点、こうすれば比較的早く読めるようになるといった経験的なコツについて書きました。
誌面構成もテキストに出てくる変体仮名を詳しく説明したもので、これまでも似たような記事を書いたことがありましたが、一番懇切丁寧な解説になっていると思います。私のアイデアではなく、編集部の知恵ですが(笑)。
くずし字のイロハから、応用編として坂本龍馬と上杉謙信の手紙を取り上げています。テキストの選定にはだいぶ苦労しました。信長がおねに宛てた有名な教訓状(秀吉をはげねずみと書いてある)を取り上げたかったのですが、やはり壁は厚くて……。
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シンポジウムの案内です。
来る11月23日、東京・北青山の京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパスで開催されます。
主催は時代考証学会です。
10:00~17:00の長丁場のようですが、私の報告は午前中の予定です。
詳しくはここをご覧下さい。
なお、会場へのアクセスはここをご覧下さい。
一番近いのは、JR信濃町駅のようです。
同会事務局で幕末維新史の研究者でも知られる三野行徳さんから声をかけていただきました。
私の報告は「大河ドラマ「龍馬伝」と龍馬暗殺の背景」というタイトルの予定です。
テーマにあるように、大河ドラマが市民の歴史意識形成に与える影響は少なくないと思っています。
そうした論点のひとつに近江屋事件もあると思います。龍馬を介して幕末維新史(とくに慶応三年期前後)をどのように理解すべきか、これは市民や視聴者にとっても関心が深いテーマでもありますが、残念ながら多くの誤解や妙な説が流布している現状もあります。それらについて報告します。
午前中の報告は2本で、それぞれ45分ずつです(敬称略)。
私の出番は2番目で、11:15からです。
10:30~ 三野行徳「大河ドラマのなかの新選組と幕末―時代考証を通じて」
11:15~ 桐野作人「大河ドラマ「龍馬伝」と龍馬暗殺の背景」
午後からは、大河ドラマ「龍馬伝」のプロデューサーの鈴木圭氏、俳優の江守徹氏、竹内誠氏(江戸博館長)の報告があり、最後にパネルディスカッションがあります。
大河ドラマのあり方については、関心のある方も多いと思いますので、ご参加下さい。
参加料1.000円です。
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来る11月23日、東京・北青山の京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパスで開催されます。
主催は時代考証学会です。
10:00~17:00の長丁場のようですが、私の報告は午前中の予定です。
詳しくはここをご覧下さい。
なお、会場へのアクセスはここをご覧下さい。
一番近いのは、JR信濃町駅のようです。
同会事務局で幕末維新史の研究者でも知られる三野行徳さんから声をかけていただきました。
私の報告は「大河ドラマ「龍馬伝」と龍馬暗殺の背景」というタイトルの予定です。
テーマにあるように、大河ドラマが市民の歴史意識形成に与える影響は少なくないと思っています。
そうした論点のひとつに近江屋事件もあると思います。龍馬を介して幕末維新史(とくに慶応三年期前後)をどのように理解すべきか、これは市民や視聴者にとっても関心が深いテーマでもありますが、残念ながら多くの誤解や妙な説が流布している現状もあります。それらについて報告します。
午前中の報告は2本で、それぞれ45分ずつです(敬称略)。
私の出番は2番目で、11:15からです。
10:30~ 三野行徳「大河ドラマのなかの新選組と幕末―時代考証を通じて」
11:15~ 桐野作人「大河ドラマ「龍馬伝」と龍馬暗殺の背景」
午後からは、大河ドラマ「龍馬伝」のプロデューサーの鈴木圭氏、俳優の江守徹氏、竹内誠氏(江戸博館長)の報告があり、最後にパネルディスカッションがあります。
大河ドラマのあり方については、関心のある方も多いと思いますので、ご参加下さい。
参加料1.000円です。
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11/23シンポ参加表明と姶良市
木脇noひろみ ご無沙汰しております。
★11/23時代考証学会のシンポジウムに参加申し込みました。
当日のご講演を楽しみにしております。
★また、8月には先祖・木脇刑部左衛門祐秀の墓にも足を運んでいただき有難うございました。
墓は現在、姶良市加治木町の教育委員会が保護してくださております。加治木町の文化財課の方とはご交流させていただいております。
★11月5日姶良市での講演会には行けませんが、姶良市は木脇祐秀とその子らが生きた地域で興味と思い入れがあります。どうぞ力あるご講演を姶良市で宜しくお願いしま~す!
ご参加御礼
桐野 木脇noひろみさん
ご無沙汰しております。
シンポに参加されるとのこと。
ご先祖とは時代が違いますが、有難うございます。
拙著『さつま人国誌』戦国・近世編でご先祖取り上げています。
また姶良のお墓の写真も載せさせていただきました。
木脇noひろみ ご無沙汰しております。
★11/23時代考証学会のシンポジウムに参加申し込みました。
当日のご講演を楽しみにしております。
★また、8月には先祖・木脇刑部左衛門祐秀の墓にも足を運んでいただき有難うございました。
墓は現在、姶良市加治木町の教育委員会が保護してくださております。加治木町の文化財課の方とはご交流させていただいております。
★11月5日姶良市での講演会には行けませんが、姶良市は木脇祐秀とその子らが生きた地域で興味と思い入れがあります。どうぞ力あるご講演を姶良市で宜しくお願いしま~す!
ご参加御礼
桐野 木脇noひろみさん
ご無沙汰しております。
シンポに参加されるとのこと。
ご先祖とは時代が違いますが、有難うございます。
拙著『さつま人国誌』戦国・近世編でご先祖取り上げています。
また姶良のお墓の写真も載せさせていただきました。
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