歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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またいろいろいただきました。
ご紹介が遅れてすみません。

長塚 孝さんから
図録『ススメ! 小田原北条氏』 馬の博物館 2011年

長塚さんは横浜根岸台にある馬の博物館の学芸員です。以前からいろいろお世話になっています。
いまちょうど、表題の展示が開かれています。12月4日(日)までです。もっと早くご紹介すべきでした。
タイトルの通り、後北条氏領国内の街道管理についての展示のようです。あまり注目されませんが、戦国大名にとっては軍事や物流などのためには重要不可欠な政策でした。
後北条氏の領内統治はとても精緻という印象がありますが、街道の整備や管理もそうだったのでしょうね。
軍勢の着到定書や伝馬手形など一次史料の写真も興味深いですね。
それと、後北条氏が滅びたのちですが、寛永期の「小田原城下図屏風」も写真が掲載されています。
不勉強ゆえ、このような屏風図があるとは初めて知りました。
金箔を多用した鮮やかな絵ですね。
展示は今週いっぱいまでですが、興味のある方はぜひ見学して下さい。
詳しい展示案内はここです。


角 明浩さんから
①「『家忠日記』にみられる会所の文芸」 『松平家忠日記と戦国社会』 久保田昌希編 岩田書院 2011年
②「中世越前における豊原寺の再考察―一次史料からのアプローチを中心に―」 『山岳修験』48号 日本山岳修験学会 2011年
③書評「由谷裕哉・時枝務編『郷土史と近代日本』」 『北陸宗教文化』24号 北陸宗教文化学会 2011年

角(かど)さんは福井県坂井市の「みくに龍翔館」学芸員です。
以前、在京されていた頃、輪読会をご一緒していました。
3点とも今年掲載分で、精力的に研究されている様子、頼もしい限りです。
①は有名な武家日記ですが、松平家忠は関ヶ原合戦の前哨戦となった伏見城攻防戦で籠城し、討死しました。
三河深溝城主時代から、熱心に連歌興行をしていたことがわかりました。私も同日記はよく使っていますが、連歌や茶の湯の記事は注目したことがなく、これほどの回数を実施していることに驚きました。
②は、越前国の北部にある白山系寺院の豊原寺の盛衰をまとめたものです。私はまったく門外漢なので、十分咀嚼しきれませんが、信長と越前一向一揆との関係もあるようです。天正2年(1574)の一揆の蜂起のときには、七里頼周が陣を置き、翌3年、信長の越前攻めで焼亡してしまったとのこと。


柴裕之さんから
『尾張織田氏』 論集戦国大名と国衆6 岩田書院 2011年

柴さんは織豊期の若手研究者(東洋大学非常勤講師)で、近年、信長関係の意欲的な論文を公表されています。
私も以前から注目しており、拙著でも参考・引用させていただきましたが、じつはまだご挨拶したことがありません。国会図書館や某図書館などでお見かけしたことはあります。今度お会いしたら、ちゃんと御礼の挨拶をしないといけません。
同論集は戦国史研究会の中心メンバーの方々の編著のシリーズ。編者の解説とテーマに即した既発表の重要論文を収録したもののようです。
本書は柴さんが総論を担当し、新井喜久夫、杉村豊、小島廣次、鳥井和之、下村信博、横山住雄の諸氏の論文が掲載されています。
私は尾張織田氏や尾張時代の信長はとてもうといので、これでまとまって勉強できそうです。

以上、お三方有難うございました。

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【2011/11/30 21:01】 | 新刊
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第216回
―卜占で進退や城普請助言―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回もこの間の取材成果を活かしたものです。
江夏友賢のことはある程度知っていましたが、先日の取材の際、墓の所在地がわかったので、さっそく撮影しました。民家の中でしたが、家主さんから快くお許しをいただきました。有難うございます。

江夏友賢は帰化明人です。
鹿児島ではプロ野球選手だった有名人と違い、「こうか」と読みます。

『上井覚兼日記』に登場するので、かなり有名な明人だったと思います。
もっと探せば史料があるかもしれません。今回は同日記の記事を中心にご紹介しました。
卜占のことを具体的に書いた解説書などを遺していないのでしょうかね?

記事でも紹介したように、帰化明人はほかにも許三官や汾陽理心がいます。
彼らも紹介できればいいなと思っています。

次回は何にするか未定です。

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【2011/11/29 15:28】 | さつま人国誌
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地元の商人さん
より
桐野さん、寒くなりましたわね。
精力的にご活躍で。。

「江夏」や「林」「五島」「雉子牟田」辺りを
私もちょこちょこ追っかけてますの。

「林」さんのご子孫の方とも一時期
近所のお好み焼き屋さんでお会いしていたのよ。
中国語・韓国語・日本語が流暢なのには
驚いたわ。。
いろいろお尋ねしたいことが多いのですが
最近お見かけしないの。
実はそのお店も、最近空いてないのよ。。
ご高齢だから、ちょっと心配よね。
段々物知りが少なくなるのは寂しいわ。

江夏友賢の子孫
桐野
よりさん

江夏友賢の子孫がやはりおいでなのですね。
鹿児島には意外と江夏名字は多い気がします。

商店が多いです
より
霧島市では、大型スーパが、それらの名前を。
昔は、大半が、商売繁盛でしたが、、
時流に乗れないとなかなか。

渡来関連も、薩南学派と絡めて、
ちょうさ出来れば。

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日曜日だったけど、茨城県筑西市で開かれていた講座「お江の生涯」に出講。

今日は第3回で最終回。
間に15分だけの休憩を挟んで4時間という長丁場の講義でした。
史料をたくさん出したけど、消化不良じゃなかったかなと心配。

でも、家光がお江の実子か否かという話に受講者のみなさんの反応がよく、関心が一番高かった感じがした。
あまり食べずに行ったため、エネルギー不足を感じ、休憩時間に持参した自宅の柿を食べて補給したので、何とか乗り切ることができた。

第1回のときは終了後まだ明るかったが、今日はもう真っ暗だった。考えみれば、もうすぐ冬至だよな。


明後日はてらこやの講座「『保古飛呂比』を読む」が始まります。
これは土佐藩士(大目付)の佐佐木高行の日記です。
いよいよ激動の慶応3年(1867)に入ります。
興味のある方は受講してみませんか。
講座内容の詳細はここです。
会場案内はここです。

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【2011/11/27 23:52】 | イベント
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こんにちは
長南政義
ご無沙汰いたしております。

『保古飛呂比』ですか。古書価が高いので、マツノ書店さんが復刻してくれると、入手しやすくなるんですが。

う~ん
桐野
長南政義さん

保古飛呂比、復刻すれば有難い人もいると思いますけど、いかんせん、部数がそれほど出ないのではと思います。それに10巻以上と長大ですしね。


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最近、ご高著、ご論考などいただいております。
なかなか御礼や紹介ができずにおります。
御礼と共にご紹介します。

弓削政己さんから。
『江戸期の奄美諸島―「琉球」から「薩摩」へ―』
知名町教育委員会編 南方新社 2011年3月刊 2.500円+税

奄美在住の先輩の弓削さんからいただいた。
これは一昨年の2009年、島津氏の琉球侵攻400年を期に沖永良部島の知名町で開かれたシンポジウムの報告や討論をもとに、新たに書き起こされたもの。
原口泉、豊見山和行、高橋孝代、弓削政己、前利潔の諸氏が書き下ろし、ほかにも池内敏氏の講演録も収録されている。
弓削さんは「薩摩藩琉球侵攻時の琉球尚寧王の領土認識について」と題して書かれている。
琉球にとって、奄美がどのように認識されていたのか、薩摩藩への割譲の経緯などもよくわかる。
詳しくは、版元の案内のここをご覧下さい。

尾下成敏さんから。
『日記で読む日本中世史』
元木泰雄・松薗斉編著 ミネルヴァ書房 2011年11月刊 3.200円+税

近年、織田・豊臣政権移行期について意欲的な論文を出している尾下さんからいただきました。
私も公家の日記の輪読会に長く参加していますが、本来浅学のため、そもそも日記、とくに公家の日記って何だという肝心の点がわかっていない気がしています。
この本は中世史の専門家の方々が多数執筆しているので勉強させてもらいます。
尾下さんは「本能寺の変を記す三つの日記」と題して書いています。
版元の案内はここです。

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【2011/11/25 09:41】 | 新刊
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昨日、東京信濃町で開かれた表題のシンポに参加。

私は報告とパネルディスカッションに出た。
報告は「大河ドラマ『龍馬伝』と龍馬暗殺の背景」と題して行ったが、やはり45分では少し時間が足りなかった。史料の説明が駆け足になったのが残念。

パネルディスカッションでは、幕末史研究者の三野行徳さん、「龍馬伝」を担当したNHKチーフプロデューサーの鈴木圭さんと同席。

大河ドラマとは何ぞやみたいな少し難しい展開になったが、何とか切り抜ける。
ただ、「龍馬伝」での龍馬像について、当時ありふれた攘夷青年という視点が欠けているのではという話を少ししたが、もう少し突っ込んで話すべきだったかもしれない。

じつは話すのを少し躊躇した点がある。
「攘夷」は近年あまりいいイメージを抱かれていない。狂信的なテロリズムという印象が強いのだろう。
しかし、「攘夷」はそういった面だけではない。「攘夷」運動なくして、やはり明治維新はなかっただろうと思う。
龍馬像がその時々の時代状況に規定されているという話をしたが、「龍馬伝」が攘夷青年としての龍馬の実像を忌避した背景には、近年の「攘夷」のイメージの悪さとともに、ある時代状況があるとも思った。時代状況は何も国内だけではなく、国際的なものもある。

それは10年前の9・11の影響だ。過激なイスラム原理主義が「攘夷」と重なって見え、それが意識的か無意識的か、「攘夷」忌避につながっているのではないかと思っている。

憶測すぎるから、あえて話さなかったけれど、そんなことも考えていたことを補足しておきたい。

会場には友人知人も何人かお見えだった。
わざわざ鹿児島からも島津さんや県の観光関係の方もお見えで挨拶された。かえって恐縮した。

長い一日でした。

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【2011/11/24 08:31】 | イベント
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行けなくて残念です
ながお
桐野様

こんにちは。時代考証学会のシンポ行けなくて残念でした。「龍馬伝」のプロデューサー氏とのディスカッションでは、なぜあれほど史実とかけ離れたのかとか、長州びいきと思われる節があったことなども話されたのでしょうか。

話しました
桐野
ながおさん

龍馬像に違和感がある。とくに嫌薩派龍馬というのは史実にもそぐわない、脚本家の出身と関係があるのかという話はしました。
明確な回答はなかったですけど。



びわこ
桐野様

彦根から行った知人が、桐野さんのお話を聞いて
「史料に基づくもので、古文書を例にして、独自の見解を述べられ、大変興味深く聞くことができました。」と感想を話してくれました。

桐野さんにご挨拶もできて、とてもよろこんで
帰ってきました。

のろし駅伝がなければ、彼女たちと一緒に行けたのに・・・と少し残念。

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南日本新聞連載「さつま人国誌」第215回
―修験者がはぐれ組収容―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

先週は休刊日でお休みでした。
今回は、先日奈良に取材に行った題材です。桜井市の三輪山です。

もう10年以上前でしょうか、関ヶ原合戦での島津の退き口と関連して、三輪山の大先達(修験者のリーダーです)に宛てた島津家有力家臣が連署した銀子借用書が鹿児島で話題になり、島津義弘が三輪山に潜伏していたという説が唱えられました。某町では、義弘を匿ってくれたのに感謝すると、町を挙げての奈良バスツアーまで実施されたほどです。

当時から、私はそれはおかしい。義弘は三輪山には立ち寄っていない、だいたい借用書に義弘の署名はないし、しかも日付の時点でとっくに鹿児島に帰っていると書いたこともあります。

聞くところによると、その後もこの説は生きているそうなので、少し反論しておいたほうがよいと思い、書いてみました。

だいたい、義弘一行とはぐれて鞍馬寺に潜伏していた新納旅庵が署名しているわけですから、旅庵と義弘が一緒にいるはずがないのですがねえ。

三輪山はなかなかよい所でした。
巫女さんが後頭部に大きな熨斗を付けて歩いていたのに、少し驚きました。とっても大きかったです。
お土産に三輪素麺を買えばよかったと、少し後悔しました。
寒くなると、煮麺もいいですからね。

次回は、このはぐれ組の一人、本田助允を取り上げてみようかと思っています。

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【2011/11/22 00:16】 | さつま人国誌
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拙著『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ―』の書評が18日に掲載されていたようです。
同日には見られませんでしたが、ネットに掲載されていました。
ここです。

よかったら、読んで下さい。

なお、拙著はネットでも購入できます。
こことか、ここをご覧下さい。

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【2011/11/21 14:38】 | 信長
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間違いなく名著!
戦国おやじ
 これは間違いなく名著です。下手な大学教授や井沢元彦、加来耕三は桐野先生のツメの垢どころかツメごと食べるべきです!

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今月後半はほぼ隔日ごとに講演・講座が続いている。

小学館「てらこや」体験講座
11月15日夕方から。
今回から神保町を離れて、日比谷の図書文化館に会場が移る。
日比谷図書館が都から千代田区に移管され、リニューアルも成って、なかなかきれいな図書館。
図書館だけでなく、展示館の機能もある。東京都の歴史がよくわかる展示を見て回る。
とくに明治16年の千代田区近辺の地図に魅入った。
何と、大久保邸(利通が他界しているので利和邸か)や西郷従道邸など明治の元勲の邸宅の位置や規模がよくわかった。あの地図の複製はないのだろうか?

講座内容は、西郷隆盛新出書簡2点。
とくに受講者の関心を引いたのは、「桐野半次郎」宛て書簡。
宛所が面白いし、中身も曰くありげ。
年次は明治9年(1876)で間違いなく、西南戦争勃発のわずか5カ月前。

明治政府での政争に敗れて帰国した左大臣島津久光が何と、西郷邸を訪れている。急な訪問で西郷家でもあわてたらしく、ありあわせの酒肴でもてなした由。
とにかく、久光と西郷の親密さがうかがえる書簡である。
久光が西郷に問いただした「二郎兵衛」の上京が一体何なのか、議論になったが、「二郎兵衛」が誰だかわからなかったので結論は出なかった。

終了後、受講生の方からメールいただき、「二郎兵衛」の教示を受ける。幕末期のかなりの有力者である。西郷より上位の人物だが、西郷が呼び捨てにしているのがやや気になるものの、有力候補だろう。彼が同年に明治政府の役職に就いたことも確認できる。彼の上京目的は何だったのだろうか?


武蔵野大学生涯学習講座「信長公記を読む」第2回
11月18日午後から三鷹サテライトキャンパスで。
前回から始まった新講座も2回目。
今回は「足利義昭の将軍宣下」と題してお話しする。
じつは『信長公記』にはこの件はあまり書かれていない。筆者太田牛一の身分からすれば、致し方ないか。
そこで、『言継卿記』などを使って、将軍宣下がどのような手続きを経てなされたのか説明する。
あと、堺や本願寺、奈良に対する矢銭賦課についても語る。
次回は三好三人衆の本国寺襲撃の予定。


茨城県弘道館アカデミー県民大学後期講座「お江の生涯」第2・3回
11月20日午後、筑西市の県西生涯学習センターで。
湘南新宿ラインを使って小山から下館へ。
相変わらず遠い。というか、関東は広い。
往路の電車中で、茨城県日立市あたりでかなり大きな地震があったらしいが、何も感じず、帰宅してから知る。
今回も2回分の講座。5回でと依頼があったのを、私の都合で3回に縮めてもらったため。
話はお江の初婚と再婚と、秀忠との結婚について。
初婚は佐治一成と佐治一族について、また離縁理由となった佐屋の渡しの一件とか、その当時、秀吉が浅井三姉妹を保護していた可能性は低いのではないかという話をした。
再婚は羽柴秀勝について。その知行地の変遷と官位(丹波少将と岐阜宰相)、また朝鮮陣(文禄の役)での陣立から、秀勝の知行高の推定などをした。
秀忠との結婚ついては、秀忠の人物像をひとくさり。またこの結婚が関白秀次改易後の豊臣政権の危機を、秀吉が徳川との同盟によって乗り切る政治的な背景があったことを話した。

明後日は時代考証学会のシンポジウムで、大河「龍馬伝」と龍馬暗殺について話さないといけない。
詳しくはここ

そんなわけで、書かなければならない原稿になかなか手がつかない(汗)。

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【2011/11/21 11:39】 | てらこや
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株の初心者の講座
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

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最新の拙著『さつま人国誌』戦国・近世編。

ネット対応が遅れていましたが、ようやく整ったようです。
アマゾンのここにあります。

鹿児島県外でお求めにくかった方、よかったらご利用下さい。

戦国期島津氏を中心に多方面の出来事や人物を取り上げています。
連載から62本の記事を抽出し、加筆してあります。
念のため、章見出しだけ掲げておきます。

第1章 島津家の人々
第2章 戦国薩摩の群像伝
第3章 関ヶ原合戦の戦士たち
第4章 島津氏の奄美・琉球侵攻400年
第5章 薩摩のキリシタンの運命
第6章 戦乱から平和の世へ


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【2011/11/16 22:17】 | さつま人国誌
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昨日、鹿児島から帰りました。

鹿児島県と静岡県の交流会での講演もまあまあでした。
ひとつ話し忘れたことがありましたが……。

会場には各界の方々がおいででしたが、お知り合いの方もちらほら。
研究者では、松尾千歳さん、永山修一さんにもお会いできました。
とくに永山さんは初対面だったので、お会いできてよかったです。
永山さんは現在、南日本新聞に「かごしま古(いしにえ)散歩」を連日連載されている。古代かごしまの興味深い話を拝読中。

翌日は、島津家の初期の分家でその後、譜代重臣として重きを成した某家の古文書類を拝見。
錦江湾に面した高台のおうちで、その眺望の素晴らしいこと。
古文書類は多すぎて、とても短時間ではすべて見るわけにはいかなかった。江戸期、とくに後期のものが多いと感じた。
圧巻は歴代当主の肖像画で、古いものは15世紀初めの当主のもの。歴史の重みを感じた次第。

一緒に拝観したY口さん、A田さんにも感謝。

帰京後、荷物をコインロッカーに預けて、あわただしく勉強会に参加。
信長期の某事件について、多くの新史料を紹介されていて、とても興味深かった。

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【2011/11/15 23:48】 | イベント
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小春日和でしたわね
より
ご苦労様でした。
永山さん、気さくな方でしょう。
ザックにいつもノートパソコン入れて、、
私も暫くお会いしてませんが。。

磯庭園の「亀寿+義久」の菊人形
見ましたわ。
桜島をバックに嬉しそうでしたわ。
それにしても外人さんが多かったこと。
磯から大龍寺迄、久々に歩きました。
神社も数箇所ご参拝を。
良い一日でしたわ。

亀寿+義久
桐野
よりさん

さっそく仙巌園に見に行かれたのですね。

よりさんは神社方面がお詳しいように感じました。何かありましたら、教えて下さいませ。

ありがとうございます
より
教えて頂かなければ判りませんでした。
お隣の神社にもご参拝を。
良い一日になりました。

地元の義久関連、少々探訪してみます。

ありがとうございました。



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先週に引き続き、明日から一泊でまた鹿児島に行きます。

静岡県から川勝平太知事ご一行が来鹿することになっており、その歓迎会で鹿児島県と静岡県の歴史的なつながりについて、少し話をすることになっています。
知事が経済史の著名な研究者だけにちとプレッシャーではありますが(笑)。
尚古集成館の田村館長と川勝知事の講演もあります。
主催団体の会員さん対象の会なので、参加呼びかけはしません。

ホテルに温泉も付いており、しかも桜島が一望できる立地だけに、それが楽しみです。

翌日は島津家の譜代重臣のご子孫宅にお邪魔する。
古文書などを拝見させていただく予定。

明るいうちに急ぎ東京にトンボ返りして、内輪の研究会に参加と、何かとあわただしい両日になりそうです。

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【2011/11/12 21:22】 | イベント
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ふるさと考古館に
より
御多忙で何よりです。
明日は、上天気とか。
私も、久々に出ますの。

薩摩人の祈り展を。
ついでに、寺社探訪もと。

好い一日になりますように。

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昨日、奈良国立博物館の正倉院展を観てきました。

急に思い立って前夜遅く奈良入りし、早朝一番、開場の30分前に並んだので、難なく入場できました。

お目当てはもちろん、表題のものです。

ガラスケースに入って四方から眺められるようにしてあったので、360度観ることができました。
やはり思っていた以上にボリュームがありました。
長さが156センチもあるそうですから、成人女性並みですね。
『多聞院日記』には、長さ5尺、丸さ1尺ほどとあります。

信長が切り取ったという個所も熟視しました。
一回りしてゆっくり観ることが出来ました。

売店で新聞記事にもあった蘭奢待チョコ見ましたが、これは意外と小さかったです。
長さ20センチ程度か。
また一筆箋が増えてしまった。拙宅の抽斗にはたくさん詰まっています(汗)。
記念に写真を載せておきます。
鹿がなぜか正倉院展のチラシを食べているところを目撃。胃腸は大丈夫なんだろうか?
正倉院展
シカ


その後、少し時間があったので、近くの興福寺の国宝館にも入り、有名な阿修羅像なども拝観。
さらに足を伸ばして、箸塚古墳と纏向遺跡にも行きました。
箸塚は学生時代以来か。纏向遺跡は埋め戻してあるため、どこだかわかりませんでした。
でも、いくつか周辺の前方後円墳を見学しました。
箸塚

じつはもう一カ所取材のために行ったのですが、これは内緒。
そのうち書きます。

あわただしい旅程でしたが、満足でした。

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【2011/11/11 23:56】 | イベント
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小学館アカデミー古文書塾「てらこや」特別講座。
私の担当分の体験講座を開きます。

これまで同講座は神田神保町の小学館のビルの一室で開かれていましたが、11月から会場が変わります。
日比谷公園内に新たにオープンした千代田区立日比谷図書文化館の4Fにて開催することになりました。
同館はもともと都立日比谷図書館でしたが、都から千代田区に移管され、装いを新たにしたものです。同館のサイトはここです。
また、地域文化交流ということで、官(千代田区)と民(小学館集英社)による共同事業の一環として開催されることになったようです。

私の担当する講座は11月29日が開講ですが、その前に今月15日(火)に体験講座を開きます。
今回は西郷隆盛の新出書簡2点を読みます。
なお、本番講座は土佐藩士佐佐木高行の日記『保古飛呂比』慶応3年を読みます。

体験講座の要領は以下の通りです。

日時:11月15日(火)19:00~20:30
会場:日比谷図書文化館4F会議室
   最寄り駅は4カ所あります。アクセスはここをご覧下さい。
お問い合わせ・申し込み
   小学館アカデミーのサイト、ここをご覧下さい。

幕末維新史に関心のある方は受講してみませんか。
お勤めの方も何とか受講できる時間帯です。

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【2011/11/08 22:40】 | てらこや
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第214回
―度重なる改名と地位上昇―

連載が更新されました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をご覧下さい。

このところ、島津義弘のシリーズになっています。
今回は名乗りと官位の問題について取り上げました。
この2つは義弘の地位と立場に関わるので、意外と重要な問題だと思っています。

紙数の関係で細かい議論を省略しましたので、少し補足しておきます。
名乗りの「維新」と「惟新」ですが、義弘文書をもっとも体系的に収録している『旧記雑録後編』の三、四をもとに検討しました。
当初は字の違いをさほど意識していなかった節があり、史料上の初見は慶長4年(1599)6月14日で「惟新」と名乗っています。
ところが、同年7月5日以降はほとんど例外なく「維新」を使用しています。30点ほどの事例があったと思います。
それから1年半後の同6年1月元旦から「惟新」を名乗り、あとは最後までそのままです。

ですから、最初は「維新」、その後は「惟新」という使い分けを本人がしていたのではないかと思います。
もっとも、偏の違いだけで音は同じというマイナーチェンジにどのような意味が込められているのか、私にはわかりません。

次に官位ですが、やはり参議任官は公卿の官位だけに大きいですね。
秀吉死後の任官で、五大老と五奉行の協議によって決められたと思われますが、家康、利家、三成、あるいは別の誰かの意向なのかどうかも重要だと思いますが、それもよくわかりません。家康の意向ではないかという説がもっともかなと思っているところです。

とはいえ、秀吉死後から関ヶ原合戦に至る混乱期での任官だけに、義弘が参議としての処遇を受ける機会はまずなかったと思います。結果として、義弘は官位がはるかに下の諸大夫にすぎない三成の指示に従っているのですから、参議も空名に終わったといわざるをえません。
それでも、豊臣政権が生み出した武家官位制のなかで、五大老の下であり、かつ侍従や少将クラスの公家成大名より格上になる参議クラスの大名をどのように位置づけるのかは今後の課題ではないかと思います。
このクラスとしては、京極高次などがいますね。

次回は、先日の宝山ホールや姶良市の講演でもお話しした義弘の家督問題を書くかどうか迷っているところです。
紙数の少ない新聞のコラムにはなじまないテーマかもしれないという気もするものですから。

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【2011/11/07 19:33】 | さつま人国誌
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ばんない
こんばんは。拝読させて頂きました。このネタは、今回の姶良市の後援会で使われたネタとほぼ同じ物でしょうか?

>「兵庫頭」
今回は触れておられませんでしたが、何でこの官名を自称したかというのも興味深いです。

>「義弘」
これに関しては拙ブログでもネタにした(URLご参照下さい)のですが、菩提寺の妙円寺の寺伝が気になります。気になったまま考察が進んでないのですが(爆)

>「維新」と「惟新」
余り気にしたことがなかったので、指摘に驚きました。どうも時期によって書き分けをしている様子が見受けられるように思いました。画数がよいとかでしょうか?

>参議
>京極高次
京極高次と言えば、今年の大河(もどき)の主人公の姉の夫ですが、豊臣秀頼の母・淀の方の妹婿で従弟という重要人物でもありますね。そういう人物と同じクラスに義弘が置かれたというのも興味深いです。

>来週以降
そのネタは新聞コラムとしては重いかも知れませんが、いくらでも書けるという点では桐野さんにとってはおいしいのでは(汗)

姶良市セミナーでの官位
より
楽しく拝聴しました。
かなり早く着いて資料を読んでいたので
余計面白かったですわ。
一応、私の推察を。

義弘は、動乱に明け暮れていた強者の武将ですから
弓道、弓箭 に造詣も深かったことが
察せられます。
神社の幾つかにはこの「弓箭」を冠している
神社があります。
好んでこの名称に変更させたようです。

加治木の岩下八幡神社
弓箭八幡社

や清水城内にも。

この「弓箭」と「兵庫頭」で連想するのは、
平家物語に登場する、源頼政の「鵺退治」です。

義弘は、源氏の源流を絶やさなかった
この頼政を敬愛していたと
思えるのです。


細川忠興の場合は
千葉和彦
義弘と相前後して、細川忠興も参議任官を遂げているようですが、彼の場合は「三成失脚後」の任官で、それも家康主導と断定して差し支えないと何かで読んだ記憶があります。

反三成派七将宛の家康書状に、
(慶長四年)閏三月五日 家康御判
丹後少将殿//蜂須賀阿波守殿//清州侍従殿//藤堂佐渡守殿//加藤主計頭殿//浅野左京大夫殿//黒田甲斐守殿

一方、関ヶ原直前の家康書状では忠興を「丹後宰相殿」としている(慶長五年八月 永青文庫所蔵)

したがって、忠興の任官は慶長四年閏三月より後で、会津出兵よりは前になるという理屈なのですが…
今回の記事と考え合わせると、義弘と忠興は慶長四年四月一日の同日に参議任官した可能性が強いように思えます。

>京極高次
毛利秀元、織田信包も同クラスの参議のようですが、大河ドラマでは信包が途中からいなくなったのに驚きました。せっかく三姉妹を見守る役柄として登場させたのに、晩年はまったく描かれず…

細川忠興
桐野
千葉和彦さん

細川忠興も参議になっていましたね。
ほかに丹羽長重もそうだったと思います。

義弘の参議任官がいつなのか、正確にはわかりません。
私が書いたのは、五大老の義弘宛て連署状の日付でして、実際はその少し前になるんでしょうが、不明です。

忠興もほぼ同時期かもしれませんが、同じ理由によるものかどうかは判断つきかねます。


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先ほど無事帰宅しました。

2日とも天気予報は雨模様でしたが、ほとんどその影響は受けませんでした。

昨日の姶良市講演「義弘と姶良市」も450人という多くの方々に参加していただき、大成功でした。
さすが、義弘の地元と感じ入った次第です。
30分ほど時間をオーバーしましたが、私も考えていたことの8割程度は話せました。
また、拙著もたくさんお買い求めいただき、有難うございました。
多くの方から良好な感想・激励をいただきました。

余談ですが、鹿児島市仙巌園(島津氏磯庭園)が現在、恒例の菊まつり開催中ですが、
な、なんと、今年は、

島津義久/亀寿

の親子の菊人形が登場していますよ。
感無量ですね。


本日の宮崎取材の大まかな旅程、

野尻→紙屋城・紙屋関→去川関→都於郡→佐土原→飫肥

という強行軍でしたが、120%の成果、大満足でした。
同行してくれたY口さん、有難う。

その報告は後日またします。

本日の取材も若干雨模様だったのですが、雨が降ったのは車で移動中だけで、取材中には雨が止むというパターンで、ほとんど影響ありませんでした。
また日頃の行いのよさが証明された次第です(笑)。

都於郡、佐土原という山城二つ登ったので、だいぶ足が疲れました。

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【2011/11/06 23:42】 | イベント
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亀寿菊人形
ばんない
こんばんは。

>な、なんと、今年は、
>
>島津義久/亀寿
>
>の親子の菊人形が登場していますよ。
>感無量ですね。
日陰の親子に、こんな日がやってくるとは思いませんでした…
公式ブログでもアナウンスされてますね(肝心の人形は映ってないけれど…)
http://www.senganen.jp/event/2011/10/post-13.html

個人的にはその下に載っている秘宝「水剣」とか…いやそれより亀寿姫の美容に関する講座の方により関心があるのですが(爆)いま流行のアンチエイジングとかでしょうかね

堀切
Y口
 都於郡城の堀切が、500年近く時を
経ていても未だに機能していたことに
驚きでした。って言うか、機能し過ぎ(^^;)
 逆茂木とかまで復元されて無くて、
良かったです(>_<)
 身をもって伊東氏の築城技術を体感できて、
私も大満足の旅でした(笑)

管理人のみ閲覧できます
-


月曜日予定して居ます
より
他に、2・3回りたいです。
もちろん、、神社ですが、、
実は、私、終戦後は、多賀神社の辺りは
遊び場でしたの。


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明日5日早朝、鹿児島に発ちます。
姶良市の講演です。

翌6日は宮崎方面に取材の予定です。

今回はノートPCも持参しないので、土日は更新できません。

ただ、南九州はこの週末、天気悪そうです。
それがちと心配。
講演がうまくいきますように。
取材がつつがなく完了しますように。

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【2011/11/04 20:57】 | イベント
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姶良市のセミナーに
より
これから電車でお伺いしますの。
何回か機会はありましたが
風邪をこじらせたりでなかなかでした。
やっと、今日、念願が叶いますわ。

愉しみだわ。

明日、日曜日は、お天気が回復するようです。
宮崎方面の取材が恙無く出来ますように。

5日姶良市のセミナー
より
今日のセミナーは有意義でしたわ。
予定時間を一時間もオーバーして
楽しいお話でした。
中には、「あれ。。どこかで」と
言うのも織り交ぜて、、、

明日は、宮崎取材とか
良き一日でありますように。

今日はありがとうございました。

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週末の5日(土)午後から、鹿児島県姶良(あいら)市で表題の講演をやります。
すでに申し込みの締切は過ぎているのですが、大会場でまだ席に余裕があると思われることと入場料無料なので、駆け込みでも大丈夫ではないかと思い、最終案内をさせていただきます。

姶良市のサイトはここに案内があります。

小生のブログではここで一度案内しました。

主催者の連絡先などが書かれていますので、念のため、お問い合わせ下さい。

鹿児島の方、義弘に興味のある方、ご参加下さい。

講演内容は主に3点です。

1.義弘の名乗りと官位―その地位の変遷―

2.義弘と島津家家督問題―義弘は家督を継いだのか?―

3.義弘と関ヶ原合戦―島津の退き口とは?―

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【2011/11/03 23:59】 | イベント
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という記事が出ておりました。
ここです。

織田家発祥の地とされる所での発見ですが、そもそも議論の前提に疑問を感じますね。

信長文書で、信長のいちばん若い頃の文書が天文18年(1549)付、熱田の村々に宛てた制札です。信長文書の集大成である、奥野高広氏の労作『増訂織田信長文書の研究』の第1号文書です。
信長16歳のときのものですが、その署名には、

藤原信長

とあります。
信長が自分の家の氏は藤原氏だと認識していたのは明らかですね。
この時点で、すでに平氏云々は的外れではないかと思います。

とはいえ、信長がその後、平氏を名乗ったのは事実です。
現存する信長文書で、その初見は、元亀2年(1571)6月、越前白山別山権現の鰐口(鐘のようなもの)にある刻文です。
これは信長が寄進したものらしく、

信心大施主平信長

とあります。
その後、信長が権大納言・右近衛大将に叙任すると、『公卿補任』には「平氏」で記録されるようになりました。

このことから遡及して、信長が平氏だというわけでしょうが、どうも違和感がありますね。
藤原名乗りはどうなるのでしょうか?

信長が平氏を称したのは、どうやら足利義昭を奉じてからのことです(もっと遡る可能性もあるかも知れませんが)。
そうだとすれば、信長の平氏名乗りは清和源氏の棟梁である義昭との差異、差別化戦略の一種だと考えられます。義昭と同じ清和源氏を名乗れば、否が応でも義昭の下位に位置づけられてしまうからです。
その愚を避けるために、平氏を称したと考えたほうがいいと思います。要は、義昭との関係を上下の秩序に編成されずに一定の距離を置くため、非源氏であれば何でもよかっただけではないでしょうか。

勝幡織田家クラスの国人にとって、藤原氏でも平氏でも氏はいくらでも変更可能だったわけです。その程度のことで、あえてこだわる必要もないと思うのですが……。

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【2011/11/02 10:22】 | 信長
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そもそも
としちゃん25歳
先日は新著御恵贈賜りありがとうございました。
遅くなっておりますが、拝読の後、改めて御礼の
お便りをさせていただきたいと思いますので
お許しください。

ところでこの記事、今朝の朝刊で読んだのですが、
「喪親真阿聖霊」の読み方は、「喪親」である
「真阿(弥)」の「聖霊」で、それを「孝子」が
弔った、とする方が自然なような…。

いかがなものでしょうか。

喪親
桐野
としちゃん25歳さん

私が存じ上げている方かと思いますが、25歳ではなかったような(笑)。

たしかに「喪親」以下が戒名としたほうが通りがいいですね。「喪・親真」とは何となくすわりが悪い気がします。

墓塔の刻銘のしかたはまったく門外漢なので、わかりません。宗派によっても違いがありそうですし。
喪親~は浄土真宗か時宗系ですかね?
その方面の専門家からのコメントが待たれます。

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先々月末に発売された拙著がめでたく重版が決定しました。

1カ月ほどでの重版、定価が高いだけによく頑張ったと思います。
お買い求めいただいた方々に改めて感謝申し上げます。

恥ずかしながら、誤植もありますので、さっそく修正作業をしないと。

拙著については、版元サイトのここをご覧下さい。ネット書店のバナーもたくさんついています。
アマゾンの場合ですと、ここをご覧下さい。

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【2011/11/01 18:00】 | 信長
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朗報
市野澤 永
おめでとうございます!

自分のことのように嬉しいです。

重版,おめでとうございます!
サイト
御著を読み終えました。最新研究をふんだんに盛り込んだ内容で読み応え十分でした。個人的には,信勝の官名と諱,上杉輝虎への養子の件,家康の馬揃え,安土城天主倒壊の内容に関する記述が大変興味深かったです。今後の研究の進展も楽しみです。さて,御著の誤植の件ですが,すでにお気づきかもしれませんが,当方が気づいたのは,516頁の蒲生賦秀のルビ,530頁で信房が信長の四男になっている点です。念のためお知らせします。

御礼
桐野
ご支援、ご購読有難うございます。
重版になったのもみなさんのおかげです。

秀勝と信房の順番ですが、最近の研究では信房のほうが年上ではないかといわれています。ですから、四男としました。
参考:谷口克広『織田信長家臣人名辞典』第2版


御礼
サイト
桐野先生
御教授ありがとうございます!研究は,本当に日進月歩ですね。谷口先生の著書もだいぶ読んでいますが,家臣人名辞典は,まだ見ていませんでした。今度,チェックしてみたいと思います。

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