歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
先日の取材のうち、熊本編です。

熊本に来たのは久しぶり。
おそらく20年ぶりくらい。
かつての大河ドラマ「翔ぶが如く」の取材、その後の戦国島津氏の取材で訪れて以来。

今回のめあてのひとつとして、横井小楠関係と徳富蘇峰・蘆花兄弟の史跡を回りたいと思っていた。
空港からまず、小楠の居所があった沼山津の旧四時軒に行く。ここは小楠の資料館になっている。
小楠の資料でも、とくに暗殺場面が模型などを使ってリアルに作られていた。
四時軒

次に徳富兄弟の家に行く。のちに蘇峰が大江義塾を開いた場所。
当時の古い建物が残り、資料館が併設されていた。
大江義塾
蘆花こと健次郎が10歳足らずの頃、神風連の乱が起こり、健次郎は母とともに2階に上がり、熊本城方面が真っ赤に焼け、すぐ近くにあった熊本鎮台司令長官の種田政明少将が神風連に襲撃され、落命した騒動をつぶさに目撃している。有名な「ダンナハイケナイ、ワタシハテキズ」の電報の事件である。

資料館の館長にお会いしてずっと気になっていたことを尋ねた。
徳富兄弟の父、徳富一敬が手記を書いているという。一敬は小楠の門下で相聟でもある。
その手記のなかに小楠を訪ねた坂本龍馬のことが書かれており、龍馬が大久保利通を評価していたといった記述がある。私は『坂本龍馬全集』の年譜に引用されているのを見たのだが、一敬手記がどこに所蔵されているのか尋ねたところ、実在しないか、少なくとも見つかっていないのではないかという館長の返事だった。
同全集を編纂した宮地佐一郎氏はもう物故されているし、確認する術はないのだろうか?
明治時代の雑誌などに紹介記事があるのではないかと憶測しているのだが……。

その後、種田少将邸宅跡を撮影し、神風連の資料館に向かう。
隣接して桜山神社があり、神風連の戦死者・自刃者・刑死者の墓が左右にずらりと並んでいた。
神風連の思想的な指導者である林桜園の墓のほか、肥後勤王党の墓もあった。神風連は同党から分かれた団体である。同党の有力者だった宮部鼎蔵や河上彦斎の墓もあった。
神風連墓

熊本といえば、熊本城。
ここも当然久しぶりである。
築城者の銅像も載せておきます。
加藤清正

再建された模擬天守より、やはり西南戦争でも焼けなかった宇土櫓である。
城内の加藤神社から撮影したもの。
上部の建物より石垣の高さが倍近くあるその姿は勇壮そのもの。さすが加藤清正という感じ。
宇土櫓

天守閣近くの銀杏の木の横に、西南戦争時の鎮台司令長官だった谷干城少将の銅像があったと記憶していたが、なぜかない。
城内の案内板を見ると、近くの公園にあることがわかった。
熊本城では近年、本丸居館が再建された。私の記憶違いでなければ、そのときに移転したものか?
谷干城
谷は名前の干城のとおり、西郷軍の猛攻から熊本城を守りきった。

近年、再建された本丸御殿にも入ってみた。地下に通路があるという面白い造り。
内部は豪華で、金を多用した極彩色。とりわけ、奥に昭君之間があった。中国古代の悲劇の姫、王昭君にちなんだもの。一説によると、加藤清正が豊臣秀頼を迎えるために用意したというが本当か? ストロボを使用しない条件で撮影できた。
王昭君

模擬天守にも登る。最上階から西南方面にお椀を伏せたような山を見る。
花岡山である(写真奥中央)。現在は山頂に白い仏舎利塔が建っている。インドのネルー首相から贈られたもの。
花岡山

西南戦争の初期、西郷軍がここに四斤山砲や臼砲を据えて熊本城内を砲撃した。
それに先立ち、熊本城天守閣は炎上している。失火、放火の両説があったが、近年は鎮台側による放火説が有力。西郷軍の標的になるのを避けるためだったと思われる。
この山に登りたかったのは、西郷軍から熊本城がどのように見えたのかを確認するためだった。

小雨の中、花岡山に登ってみた。
西郷軍の砲座跡に石碑が立っていた。目立たない場所にあって探すのに苦労した。
この石碑の下に視界が開けた場所があり、遠く熊本城を望むことができた。
近年は高いビルが建っているが、それでも天守閣がはっきりと目撃できた。
当時はもっと目立ったに違いない。
参謀の児玉源太郎が西郷軍の標的にならないために天守閣を焼いたといわれるが、児玉の炯眼かもしれない。貴重な文化財が失われたが。
写真中央に天守閣が見える。
花岡山から見た熊本城

花岡山には官軍墓地がある。
ここには、神風連の乱で落命した種田少将のほか、県令の安岡亮介はじめ、鎮台の軍人たちの墓が建ち並んでいる。異色なのは、乃木希典の娘の墓もあった。乃木が熊本勤務時代に亡くなったらしい。
官軍墓地

なお、熊本築城のとき、加藤清正がこの山から石垣の石を切り出させたといわれる。山の中腹にか、兜石といわれる、清正の陣頭指揮で石を切り出した史跡があったそうだが、行きそびれてしまった。残念。


花岡山で初日の取材が終わる。
翌朝、どうしても訪れたかったのが立田山自然公園。
ここは熊本藩主細川家の菩提寺、泰勝寺の跡である。
開園の30分ほど前に着いた。先を急いでいたので入園は諦めようかと思ったが、ダメ元で清掃中の職員に掛け合う。すると、ちょうど受付の職員が到着。東京から来たと訴えると、開園前にもかかわらず、入園を許可していただいた。感謝感謝。
細川幽斎、忠興父子、幽斎夫人、そして細川ガラシャの墓がある。
写真は忠興の墓と、ガラシャの手水鉢。
細川忠興墓
ガラシャの手水鉢

熊本市内はほとんど目的を達して満足だった。
車を北上させ、一路、田原坂に向かう。
ここも20年ぶりである。
そのときは田原坂だけでなく、植木、木葉、南関、高瀬、山鹿、御船、人吉、日奈久など多くの戦跡や墓地を訪れた。
今回はそんな時間がないので、田原坂周辺だけ。
資料館を見学した。近年、田原坂周辺は発掘調査が進み、多くの遺跡や遺物が発見されている。
館内にはその一部が展示してあった。それとともに、展示物が以前よりはるかに充実していたのに驚いた。一般の入館者でもわかりやすい工夫がしてあった。
田原資料館

そして田原坂を下る。
田原坂は下から一の坂、二の坂、三の坂とある。
私たちは三の坂から逆にたどった。
いちばん当時の雰囲気が感じられるのは二の坂付近である。
道の両側は土手になっていて、西郷軍が土手に潜み、下から上ってくる政府軍(とくに乃木の第14聯隊)を迎撃したのだろうなと想像させる雰囲気がある。写真はその二の坂あたり。
田原坂

本当は田原坂から谷を隔てた二俣台地(政府軍の砲台跡)や激戦地として有名な半高山、篠原国幹が戦死した吉次峠など行きたかったが、時間の関係で断念せざるをえなかった。

その後、再び北上して太宰府をめざす。
それはまた次回に。

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【2012/04/30 00:54】 | 歴史紀行
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花岡山
ながお
桐野様
こんばんは。
花岡山は行った事はありませんが、様々な歴史のあるところですね。
徳富蘇峰ら熊本バンドがキリスト教を奉教することを宣言したところでもあります。彼らは後に同志社に移りますが、来年の大河ドラマとも話題がつながりそうですね。

熊本バンド
桐野作人
ながおさん

花岡山は熊本バンド発祥の地でしたね。
その一人である蘇峰は新島襄夫妻とともに東山に眠っています。
来年の大河に蘇峰も登場するのでしょうか?

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先週の土日(21~22日)、熊本・福岡に取材に行きました。

順番が逆ですが、旅程の最後となった柳川についてまず報告します。

22日16時、太宰府の取材に手間取り、予定より2時間近く遅れて柳川の立花邸、通称御花に着く。
御花は史料館のほか、西洋館や松濤館、松濤園など、立花家ゆかりの施設で構成されている。とてもオシャレな空間だった。写真はクリックすれば拡大されます。
西洋館

友人の調所一郎さんのご紹介で、立花家歴史史料館史料室長のU野さんにお会いする。
同館の展示品を詳しく説明していただいた。
とくに立花宗茂が大男の偉丈夫だったことが伝来している所用の当世具足で判明するとのこと。6尺くらいはあったのではないかという話だった。
ほかにも養父戸次道雪の伝説で有名な雷切丸の太刀や、新たに発見された宗茂夫人の立花千代の肖像画も見学。
宗茂の親衛隊がそろって着していた金色の桃形兜も面白い。これがまだ数百個も現存しているそうで、在りし日の宗茂の馬廻の壮観さが目に浮かぶようだった。

その後、隣接する松濤館の喫茶室でU野さんと歓談。
柳川では宗茂への関心はいまいちだったが、近年の歴女ブームにより来訪者が激増したという。
とくにバレンタインデーには、宗茂宛てのチョコレートがたくさん贈られてくるそうだ。
宗茂関連のグッズもたくさん作られるようになった。
ご推薦の宗茂の蒸し金鍔を購入した。
宗茂のことを熱く語られるU野さんがとても印象的だった。

せっかく柳川に来たからには鰻が食べたかったので、隣接する集景亭で蒸しセイロをいただいた。
鰻

御花を辞去すると、もう夕刻に近かったので付近の散策をしたが、名物の水郷の船遊びは終わっていて、写真が撮れなかったのが残念。
水郷

柳川といえば、立花宗茂以上に有名なのが北原白秋。
その生家跡が記念館になっているので見学。
北原白秋

宗茂が関ヶ原合戦のとき、籠城した柳川城址もはずせない。
現在は柳城中と柳川高校になっている。柳川高校は硬式テニスの名門校として有名だ。
市街地の平城なので、あまり遺構は残っていなかった。中学校と高校の境界部分に低い石垣が残り、その上がどうやら本丸跡で、天守閣があったのではないかと思われる。
写真は本丸跡の案内板と同行してくれたY口さん。
余談ながら、Y口さんはドイツ・ブンデスリーガのスター、香川真司に何となく似ている。
柳川城

柳川城址は小さな水堀で囲まれていたが、水か小魚に誘われてサギ?が来ていた。何とか撮影しようとしたら、歩いて逃げる。茂みの中に隠れていたのをようやく撮影。意外とよく撮れた。
サギ

次回からは熊本編、太宰府編などもアップしたいと思います。
お楽しみに。

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【2012/04/24 10:21】 | 歴史紀行
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調所
柳川の紹介、有り難うございます。私の母方祖母・曾祖父母が柳川出身で立花家とも遠縁にあたるため、子供の時からよく聞かされてました。福厳寺という立花家の菩提寺が、そのまま時代劇ができるくらい古い趣があって良い感じの所です。次回は是非、御案内したいです。

福厳寺
桐野作人
調所さま
柳川の件では有難うございました。
おかげさまでU野さんと知り合いになれました。

福厳寺は行きたいと思いながら時間切れで無理でした。次回を期したいと思います。
ご一緒できればいいですね。


熊本・太宰府で
Y口
 思いのほか時間が経ってしまい、私の中では
太宰府の梅ヶ枝餅で10時のお茶、
久留米あたりでお昼のラーメン、
柳川でのんびりお掘を行き交う船を眺めながら
3時のお茶と考えていたのですが(笑)
 これに懲りずに、またどうぞお供させてください。

柳川
ばんない
こんばんは。
これからこのブログでも立花ネタが登場する頻度が高くなるのでしょうか?

>柳川では宗茂への関心はいまいちだったが、
これはかなり意外ですね
>近年の歴女ブームにより来訪者が激増したという。
>とくにバレンタインデーには、宗茂宛てのチョコレートがたくさん贈られてくるそうだ。
彼女たちに宗茂のほんとの顔を知らせたいです(苦笑)ファンが多いのはゲームでイケメンに設定されていることが多いからでしょうね、宗茂の生き様は確かにイケメンですけど。

>新たに発見された宗茂夫人の立花千代の肖像画
今までよくネットや本に出ていたのは、戦後になって描かれた十二単?着用の物ですよね。それと違う古い物が出てきたという事でしょうか。
話は変わりますが、妻と不仲の婿養子という点で似てますね、宗茂と島津忠恒。もっとも宗茂は生き様がイケメン(←しつこい)

千代と亀寿
桐野作人
ばんないさん

宗茂と忠恒が似ているということは、千代と亀寿も似ていることになるでしょうか?
両方とも気が強そう(笑)。
ただ、千代は再婚してませんけどね。


肖像画
ばんない
こんばんは。

>新たに発見された宗茂夫人の立花千代の肖像画
本日(もう昨日になりましたが)の「歴史秘話ヒストリア」で登場していた良清寺の物でしょうか?
かなり剥落が酷かったですが、今まで「千代の肖像画」として公開されていた昭和時代の作に構図や衣装は似ています。これを元に作成したのかも知れませんね。

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南日本新聞連載「さつま人国誌」第232回
―長州巻き込む一大争闘―

本日、連載が更新されました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

新暦と旧暦の違いがありますが、ちょうど150年前の4月23日夜、伏見寺田屋で一大事件が勃発しました。
ご存じの寺田屋事件です。

150年という節目を記念して、もう一度この事件の意味を考えてみようということで書いてみました。
紙数の関係であまり展開できなかったのですが、従来の抗命に対する上意討ちという通説から、現在はいろいろな見方があることを紹介しました。
とくに友人の研究者、町田明広さんが長州藩が事件の背後にいたことを明らかにしたことは注目すべき見解だと思います。

次回は前々回でも少し登場した薩摩藩の軍艦春日とその船長だった赤塚源六について書く予定です。

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【2012/04/23 18:36】 | さつま人国誌
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有馬さあ
サキピー
数年前帰省した折、伊集院の有馬新七墓所にお参りしたことがあります。有馬ら精忠組「突出派」が壮絶な最期を遂げた現場に行かねばと思い、伏見寺田屋にも行きました。係の方のまるで見てきたような臨場感たっぷりの説明を聞きながら室内にある当時の刀傷などを見て戦慄しました。龍馬の事件で世間に知られた場所ですが、幕末動乱の歴史の中、仲間同士で殺し合いをやらねばならなかった凄惨な事件を鹿児島県人として忘れてはならないと思いました。維新まで生きながらえていたらと彼らのことを思います。

それにしても寺田屋の建物は明治になって再建されたものだと最近知りました。えっ、あの室内の刀傷って...!

再建寺田屋
桐野作人
サキピーさん

コメント有難うございます。
現在の寺田屋は再建されています。ですから、私も写真はそれではなく、大黒寺の墓石にしました(こちらも墓標部分は新しくなっていますが)。

寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼けています。それは現・寺田屋の庭にある寺田屋事件の大きな石碑にも書かれています。
寺田屋がなぜ再建されるに至ったのか。それは忘れ去られていた坂本龍馬の復活と密接に関係していますが、再建のいきさつを詳しく述べたのが、

中村武生『京都の江戸時代をあるく』 文理閣 2008年

です。よかったら、ご参照下さい。



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明日、明後日の両日、熊本・福岡方面に取材に出かけます。

熊本、田原坂、柳川、岩屋城、太宰府などです。

天候が少し心配ですが、九州に行くとなぜか晴れ男なので、念力で雨が降らないようにしたいものです。

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【2012/04/20 19:28】 | 雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第231回
―西南戦争で破壊、炎上―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

敷根火薬製造所は以前から注目していて、尚古集成館の田村省三館長からも遺構の現状を教えてもらったこともあり、行ってみたいと念願していましたが、ようやく今年2月、現地を訪れることができました。
現地に行ってみて、左右の山に抱かれた目立たない地形にあり、とくに海上からは見えないことがわかりました。

近くの高橋川から水を引き込んだ水車の跡やその周辺に石積みなどが残っていました。あとから『国分郷土誌』を見たら、林の中に石臼などがかなり残っていることがわかりましたが、それには気づかずに残念でした。

主に『薩藩海軍史』が基本史料になりますが、地方の諸郷に多数の作土木屋(「さくどこや」と読むか)をつくって硝石原料を生成し、それを谷山の作硝所に集めて硝石に精製したうえで、敷根や滝ノ上の火薬製造所に搬入するという一連の製造システムができていたことがわかりました。

また西南戦争で破壊されたことは承知していましたが、てっきり艦砲射撃によるものだと思い込んでいました。でも、海上からは見えない場所にあり、それは不可能だとわかりましたし、西南戦争での海軍省の記録『西南征討志』に、軍艦春日の兵員による上陸作戦で破壊されたことが書かれていました。
熊本に主力がいる西郷軍不在のすきに、その弾薬補給源を破壊するという政府軍側の合理的な作戦が成功したことになります。

皮肉なことに、そのときの政府艦隊の司令官は薩摩出身の伊東祐麿、そして敷根に派遣されたのはこれまた薩摩藩が所有していた有名な軍艦春日でした。春日は戊辰戦争のとき、おそらく敷根で製造された火薬を使用していたのではないかと思われます。
明治政府側の薩摩勢力によって破壊される憂き目に遭ったのですから、悲運といえば悲運ですね。

次回は、寺田屋事件150年にちなんだ記事にしようと思っています。

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【2012/04/16 19:12】 | さつま人国誌
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今週の講座2つの最終案内です。

小学館アカデミー古文書塾「てらこや」の特別講座「保古飛呂比を読む」
第1回は4月17日(火)19:00~20:30。
本講座ではありますが、前回、暴風雨で中止になった体験講座「船中八策はあったか?」をやります。
『保古飛呂比』にも関連記事があります。
詳しくはここをご覧下さい。


武蔵野大学生涯学習講座「信長公記を読む」
4月20日(金)13:00~14:30
JR中央線三鷹駅前のサテライトキャンパスにて開催。
今回から元亀争乱に突入。
第1回は姉川合戦の再検討です。有名な合戦ですが、意外と知られていないことが多いのと、いまなお影響力がある旧参謀本部の通説を批判的に検討します。
講座内容の詳細や問い合わせ先はここです。

なお、同講座では、来月からオムニバス講座として、オムニバス名城講座【城を攻める】が開講されます。
その第1回の講師を私がつとめることになりました。

演題:【城を攻める】小田原城と秀吉襲来

日時は5月26日(土)13:00~
会場、受講料など詳細はここをご覧下さい。
なお、会場は三鷹ではなく、武蔵野大学キャンパスになりますので、ご注意下さい。

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【2012/04/15 12:33】 | イベント
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この間、いただいたものです。
記して御礼申し上げます。

丹羽謙治さんより
①「<翻刻>鹿児島県立図書館蔵『武家不断枕』―都の錦の初期赤穂義士伝実録―」 『国語国文薩摩路』56号 2012年3月
②「鹿児島から見た都の錦 都の錦関連資料落穂拾い―『武家不断枕』の発見―」 『大坂春秋』145号 2012年新年号

丹羽謙治さんは鹿児島大学法文学部教授で、近世国文学がご専門。
以前、何度かお会いしたことがあり、論文の抜き刷りなど頂戴しました。
今回は、私も新聞連載で紹介した江戸中期の浮世草子作家、都の錦についてのご論考2点です。私が新聞連載するきっかけになったのが、昨年暮れ、鹿児島県立図書館で都の錦の作品『武家不断枕』写本が発見されたことで、丹羽さんがコメントされていたことで関心をもったといういきさつがあります。
ご論考①もそのとき発見された『武家不断枕』の翻刻と解説です。
ちなみに、『武家不断枕』は何と読むのだろうか? いつもルビが付けられずに苦労する。「ぶけふだんまくら」かなと思っているが、「ぶけふだんちん」の可能性もありか?

興味深かったのは②に紹介されていた白尾国柱『倭文麻環』(しずのおだまき)にある薩摩藩3代藩主島津綱貴の逸話。元禄15年(1702)12月15日、薩摩藩の芝藩邸が竣工したので、綱貴は高輪藩邸から芝藩邸に移ろうとして出発した。その途中、火事場装束姿の一団と出会う。それはほかでもない、吉良上野介の首級を挙げて高輪泉岳寺に向かう途中の赤穂浪士一行だった。浪士たちは道の傍らに控えて、綱貴一行の行列を見送った。
あとで綱貴は赤穂浪士一行だったと知り、感慨を洩らしたという。
「昔の通り上杉家に縁組したままで、上杉から父の敵なので加勢してほしいと依頼されていたら、彼らを一人も通さないでおいただろうか」
これはたまたま先日書いた「さつま人国誌」の記事と関連する。ここです。
綱貴は吉良上野介の長女鶴姫を(上杉綱憲の養女として)一時、継室に迎えていた(5年後に離縁)。鶴姫を離縁していなければ、上杉家に加勢したかもしれないというのである。
どこまで裏付けのとれる話かわからないが、『倭文麻環』にこの逸話が載っていたとは知らず、迂濶だった。やはり国文系の研究者はよくご存じだと感じ入った。


国津武士さんより
『アルキヘンロズカン』(私家版)

国津さんは歩く漫画家である。
この作品は漫画。タイトルはおそらく「歩き遍路図鑑」という意味だろう。
国津さんは四国のお遍路1200キロを実際に1カ月かけて踏破し、その経験をもとにこの漫画を描いた。お遍路を歩く人々の人間模様を描いたもの。
じつは、国津さんからは以前、島津の退き口を歩いて漫画にしたいので、ついては拙著『関ヶ原 島津退き口』のルート考証を参考にさせてほしいという依頼があった。
どうぞ使って下さいと返事したら、今月上旬、すでに退き口を踏破したという連絡をいただいた。義弘主従がたどった関ヶ原から泉州堺まで、義弘と同じ6日間をかけて踏破されたそうである。
こちらも隔週漫画誌に連載されるそうで楽しみである。

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【2012/04/14 09:57】 | 雑記
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最近、いただいたものです。
記して御礼申し上げます。

金子拓・遠藤珠紀さんより
『目録学の構築と古典学の再生―天皇家・公家文庫の実態復原と伝統的知識体系の解明―』
東京大学史料編纂所研究成果報告2011-3

編纂所の10編と11編を担当するお二人からいただきました。
8本の報告・論文・翻刻などが収録されています。そのうち、お二人の共著として、

「『兼見卿記』自元亀元年至四年記紙背文書」

があります。
吉田兼見の日記『兼見卿記』の紙背文書(筆写本)が同所に戦前から眠っていたのが近年発見され、その書誌的な研究と共に、紙背文書69点が翻刻されている。
天正7~9年の書状類の反古に元亀年間の日記が記載されていることが明らかになり、『兼見卿記』の成立過程の一端が判明したといえよう。つまり、同記はメモか草稿のようなものから浄書まで数年から10年ほどの時間が経過しているということである。
紙背文書のなかで、個人的には兼見の義兄弟(妻の兄か)である佐竹出羽守こと明智秀慶の書状が興味深い。

金子拓さんより
「肥後加藤家旧蔵豊臣秀吉・秀次朱印状について(続)」 『東京大学史料編纂所研究紀要』22号 2012年

タイトルにあるように前論文の続編である。
前論文で改易された肥後加藤家の受給文書が予想以上に大量に伝来していることに驚いたが、今回はその伝来経過を詳しく明らかにしている。そして秀吉・秀次の朱印状写し66点が紹介されている。


内倉昭文さんより
「『鹿児島県史料 名越時敏史料』について―収録(予定)史料に関する書誌的な研究等を中心に―」 『黎明館調査研究報告』24集 2012年
「曽我(どん)の“かさたき”考―「誤説」の訂正と『仮説』の提示―」 『鹿児島史学』57号 2012年
「『鹿児島史学』総目録」 『鹿児島史学』55号 2012年

鹿児島県資料センター黎明館の学芸員である内倉さんより3点頂戴した。
名越時敏史料は最近、公刊されている。「南島雑話」で有名な人物だが、そのほかにも多くの史料があることを知った。
曽我どんのかさたき(傘焼き)は鹿児島の有名な民俗行事。その位置づけや現存経緯を再検討しようという趣旨か。
『鹿児島史学』の総目録は有難い。知らない論文がたくさんあることがわかった。

以上、御礼申し上げます。
ほかにもまだいただきものがあるのですが、後日を期します。

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【2012/04/12 09:50】 | 新刊
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お知らせです。
毎週月曜日掲載の南日本新聞連載「さつま人国誌」。

本日は新聞休刊日なので休載です。
来週16日は掲載があります。

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【2012/04/09 11:30】 | さつま人国誌
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先日の暴風雨で中止になった小学館アカデミー古文書塾「てらこや」の体験講座、再開のお知らせです。

「船中八策はあったのか?」というテーマのためか、多くの新規の方からお問い合わせやお申し込みがあったのに、申し訳ありませんでした。

それで、本講座「保古飛呂比を読む」の第1回講座(4/17)で、このテーマを新規まき直しでやることにしました。
しかも、とりあえずこのテーマだけ受講してみたいという方には、本講座の見学という扱いが可能なので、単発の見学なら受講無料という特典です。
興味のある方は受講して下さいませ。
もちろん、本講座の受講という形でもかまいません(その場合、有料です)。


日時:4月17日(火)19:00~20:30
場所:千代田区立日比谷図書文化館4Fセミナールーム 詳しくはここ
   MAP・アクセスはここ

お問い合わせ・お申し込みは小学館アカデミー古文書塾「てらこや」まで。サイトはここです。

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【2012/04/07 14:17】 | てらこや
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朝日文庫の新刊です。
同文庫編集部より受贈しました。

発売は明日6日です。定価660円+税
アマゾンでは予約受付中。ここです。

週刊朝日でずっと連載されてきた「週刊司馬遼太郎」が文庫化されています。

本書で取り上げられた司馬さんの作品は『翔ぶが如く』『最後の将軍』『胡蝶の夢』の3作品。
このうち、私のコメントなどは『翔ぶが如く』のところにあります。
コメントは56~65頁あたり。
西郷隆盛と大久保利通の決裂の背景などについて述べています。
それと、西郷が榎本武揚たち箱館戦争の国事犯を助命・釈放した真意についてはあまり知られていないので注目です。
もうひとつ、私への編集部からのインタビュー記事があります。
238~240頁です。

興味のある方はお読み下さい。

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【2012/04/05 11:13】 | 新刊
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いただきものです。

『み~な』113号 2012年2月刊 480円

長浜市のみ~な編集室が刊行している雑誌です。
近江湖北地方の歴史や人物に焦点をあてた雑誌。
以前、巻頭エッセイの依頼を受け執筆した縁で、その後毎号送ってもらっている。詳しくはここです。

今号の特集は「湖北の源平ものがたり」。
いかにも旬なテーマです。
巻頭エッセイは今年の大河ドラマの時代考証の一人である高橋昌明氏。
「少年頼朝と湖北」と題して、平治の乱での敗北後、頼朝の敗走と捕縛までをわかりやすく書かれている。『平治物語』『平家物語』『吾妻鏡』など諸本によって、敗走ルートや隠れた場所などが食い違っているのが面白い。また父義朝との混同もあるのではないかとも。
この1カ月近くの不安な経験が頼朝の性格形成に影響を与えたかもという指摘にはうなずいた。

あと、湖北の源氏といえば、山本義経がいる。
彼のことも書いてあるかなと思ってめくったら、友人の太田浩司氏(長浜城歴史博物館学芸員)が執筆していた。
これまた楽しく読めた。
考えてみれば、彼も源義経だ。
この義経は以仁王の挙兵に呼応して籠城する。
名字の地、山本城である。
私はてっきり、戦国時代の国人で浅井氏から離反して信長に仕えた阿閉貞征の居城、山本山城だとばかり思い込んでいたら、候補地は甲賀郡や坂田郡にもあるらしい。
もっとも、上の山本山城が有力との指摘に一安心。

という具合で、湖北地方に興味ある方にはお勧めです。


『戦国残酷史』 戦国史研究会編 洋泉社 2012年4月 571円+税

友人の編集者の小出文彦氏より頂戴した。
この本は小出さんの編集プロダクションで編集・執筆したもの。
写真を提供したので贈ってもらった。

それにしても、全編がおどろおどろしい装幀である(笑)。
ここまですごいのはそうないのではないか。恐くて、なかなか中身が読めない(笑)。

以上、御礼申し上げます。

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【2012/04/04 19:48】 | 新刊
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本日開催予定だった小学館アカデミー「てらこや」の体験講座は暴風雨のため、中止となりました。
ご注意下さい。

次回本講座で、もう一度「船中八策はあったのか?」をやる予定です。

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【2012/04/03 15:52】 | 信長
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本日夕方7:00より、小学館アカデミー「てらこや」の体験講座です。

テーマは「船中八策はあったのか?」です。

関心ある方は駆け込みでもかまいません。
日比谷公園内の千代田区立日比谷図書文化館4Fにおいで下さい。
受講料1.000円のみ。

詳しくはここです。

ただ、暴風雨になりそうなのが心配です。

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【2012/04/03 11:33】 | 信長
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伺います。
NAO4@吟遊詩人
風雨をついて、伺う予定です。
電車の遅れが、気になりますが、その時は、遅刻御無礼ご容赦願います。

楽しみです。

Re: 本日中止です
桐野作人
中止になりました。
お気を付け下さい。

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南日本新聞連載「さつま人国誌」第30回
―寺坂吉右衛門伝説と交錯―

本日、連載が更新されました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

相変わらず、浮世草子作者都の錦にこだわっています。
今回は私の郷里にある赤穂浪士の一人、寺坂吉右衛門の墓や伝説に、都の錦の影が見え隠れしていることを書きました。
もちろん、あくまで伝説であり、とても史実とはいえませんが、なぜ寺坂伝説が鹿児島に残っているのかという疑問もあり、少し書いてみました。

来週の9日は新聞休刊日ですので、連載も休載です。
再来週の16日には、敷根の火薬工場跡について書く予定です。

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【2012/04/02 16:27】 | さつま人国誌
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