歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第255回
―二人の夫に先立たれる―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

前回の更新はうっかり忘れてしまいました。
第254回「島津綱貴と赤穂浪士」でした。合わせてご覧下さい。

今回は、タイトルのとおり、島津義弘の長女、御屋地の前半生について書きました。
義弘の長女ながら、悲運の女性だといってよいと思います。
御屋地と豊州家の島津朝久との縁組は比較的知られていたと思いますが、じつは再婚だったということはあまり知られていないと思います。
義弘は最初の妻北郷氏と離縁しており、その関係から御屋地は母方の北郷氏に引き取られ、北郷家当主時久の嫡男相久と縁組しています。しかし、父子相剋の不幸な死別となりました。

なお、御屋地という名乗りは実名ではなく、通称や敬称に近いと思われます。たとえば、島津義久の三女亀寿が国分様、その次姉が新城様と地名(居館の場所)で呼ばれたのと同様かと。
また、御屋地の通称か実名は「千鶴」だという説がありますが、典拠を確認できませんでした。ご存じの方がおいでならご教示下さい。

戦国島津氏の女性については、リンク先であるばんないさんのサイト「戦国島津女系図」が非常に詳しいです。
専門家顔負けの史料渉猟によりまとめられたものです。
今回の御屋地を書くにあたって参考にさせてもらいました。
ばんないさんに御礼申し上げます。

次回は、御屋地(下)を書く予定です。
豊州家を守り抜こうとする御屋地の生き様を書けたらと思います。

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【2012/10/29 18:13】 | さつま人国誌
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こちらこそ
ばんない
大変ありがとうございました。
御屋地はかなり昔にUPした物なので、また見直しが必要ですね(苦笑)

前回の分(綱貴と赤穂浪士)興味深く読ませて頂きました。こんなドラマティックなことがあったのに、TVドラマの忠臣蔵物では完全無視に近い扱いですね。講談や小説で出てこないからでしょうか。

管理人のみ閲覧できます
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供養祭
ばんない
こんばんは。
「さつま人国誌」、貴ブログ内でも言及がないので僭越ながら紹介させて頂きます。

先日、仙厳園にてこのようなイベントがあったそうです。偶然別件で検索中に見つけました。
吉良上野介供養祭
http://www.senganen.jp/event/2012/12/post-46.html
もし既にご存じだったら、失礼致しました。

こんな事をやっていたとは驚きました。

そういえば
桐野
ばんないさん

ご教示感謝です。
そういえば、随分昔に一度見たような気がしますが、すっかり忘れておりました。
その頃は不勉強でなぜという疑問をもたずにスルーしてしまったせいかもしれません。
今度機会があれば見てみたいものです。


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武蔵野大学生涯学習講座が千代田キャンパスを今秋から開講しました。
それを記念して、私も「日本史二大英雄の死」と題して、2回講座を担当します。
二大英雄とは織田信長と坂本龍馬です。
いまでも諸説ある二人の死について、信頼できる史料をもとに語ります。
興味のある方は受講してみませんか。

第1回 本能寺の変―信長と光秀に何があったのか?―

日時:10月27日(土)13:00~14:30
会場:武蔵野大学千代田サテライト教室
受講料:1.000円

詳しくは、ここです。

第2回 龍馬暗殺―薩摩黒幕説の誤りを糺す―

日時:11月10日(土)13:00~14:30
会場:武蔵野大学千代田サテライト教室
受講料:1.000円

詳しくは、ここです。

会場の千代田サテライト教室の交通アクセスは、ここをご覧下さい。


なお、以前から継続している三鷹サテライト教室での「信長公記を読む」も、10月19日(金)13:00から第3クールに入ります。元亀争乱の終盤である三方ヶ原の戦いや足利義昭追放などから始まります。
興味のある方は受講してみませんか。
詳しくは、ここです。

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【2012/10/14 10:18】 | 信長
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幕末の志士間の各々の方言を介した意思疎通に関して、坂本龍馬=(方言の)同時通訳者と言う説を仄聞いたしました。
確かに一介の脱藩者が、これほど持ち上げられるのも、何故なのかの感じておりましたが、これなら得心いたします。
ブログ主は、いか様に見解されてますでしょうか?


江戸城無血開城も、候文による筆談だったとか興醒めですかね?

同時通訳者?
桐野作人
某さん

同時通訳者ですか。
別にそこまで考えなくてもいいと思いますが。
江戸弁に通じていることがその要件を多少とも満たしているはずで、龍馬も江戸滞在が長いので、それに該当するかもしれません。

しかし、それなら、西郷隆盛も江戸詰めしていますから、該当者は龍馬に限らず多数いることになりますね。

それに、通訳はあくまで通訳。中身のある話ができるわけじゃありません。
結局は、相手が知りたい情報を提供できたり、相手の気持ちを動かす能力に尽きるのではないでしょうか。



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南日本新聞連載「さつま人国誌」第253回
―漢方医の調薬で全快―

本日、連載が更新されました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

じつは、先週の第252回「町田久成の波瀾の生涯(下)」の更新をお知らせするのを忘れておりました(汗)。
よかったら、ご一緒にご覧下さい。

今回は、少し閑話休題的なネタになりました。
島津斉彬は病弱な人だったように思います。側近の日記には病気の記事が多いです。とくに藩主になってからは、将軍継嗣問題など政治上の難題もあり、神経をすり減らす日々がつづいたのではないかと思われます。

神経をすり減らせば、不眠症になるのは古今共通しているかもしれません。
みずから蘭学を修めた斉彬は蘭方医に全幅の信頼を寄せ、しかも、斉彬を診断した伊東玄朴や戸塚静海といえば、当代きっての蘭学者です。
しかし、不眠症は深刻だったのか、蘭方医の治療では快癒しませんでした。そこで、漢方医の登場となるわけですが、斉彬はあまり信用していなかったのでしょうね。藩医の諫言を一度は斥けてしまいます。

そして登場したのが多紀元堅。漢方の幕府奥医師であり、篤姫が御台所になるにあたり、対幕交渉の取次をしてくれた人物です。そうした政治的な動きのほか、漢方でもやはり一廉の医者ではあったのでしょうね。

余談ですが、ドラマ「JIN―仁―」で相島一之が演じた幕府奥医師の多紀元琰は上の元堅の息子ですね。

次回は未定です。

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【2012/10/08 17:29】 | さつま人国誌
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ながお
桐野様

斉彬の蘭学への信奉ぶりがわかる逸話ですね。
蘭方医、漢方医それぞれ等分に褒美を与えて気配りも忘れてないですね。


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