歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第287回
―旧友赤塚源六の死を悼む―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回はまずほとんど知られていない西郷隆盛寄進の石灯籠について書きました。
以前、この連載で書いたことがある赤塚源六が明治6年(1873)に亡くなったとき、西郷が供養のために寄進したものです。西郷寄進の石灯籠は現存しているものではこれだけではないでしょうか。
しかも、寄進の時期が西郷が征韓論で下野する直前です。

赤塚源六の墓は鹿児島市の南林寺由緒墓地にもありますが、遺骸が埋葬された正式の墓は旧白金海軍墓地だと思います。もっとも、同墓地は何度か周辺を移転し、その度に規模が縮小してしまい、残念ながら赤塚の墓石は現存していません。

なお、同墓地は現在狭い区画になっており、5分もあればすべて見学できるくらいです。
そのなかで、20世紀初頭に竣工した巡洋戦艦筑波の供養碑もありました。
同艦は1917年、横須賀港で火薬庫が爆発して擱座し、廃艦になったものです。乗組員300名以上が亡くなったとか。写真を載せておきます。
P2262576_800.jpg

次回は延期した人見勝太郎について書く予定です。

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【2013/07/30 23:00】 | さつま人国誌
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9月28日(土)、近年恒例となった鹿児島市宝山ホール(県文化センター)で講演を行います。
収容人員1500人の大会場、入場無料ですので、多くの方にご参加いただきたいものです。

詳しくは、主催者サイトのここをご覧下さい。

若干補足しますと、演題は、

島津三姉妹 戦国の女たちの戦い―於平・新城・亀寿、平和への希求―

島津三姉妹とは、戦国・織豊期の太守島津義久の3人の娘のことです。
彼女たちはそれぞれが豊臣政権や家督抗争に巻き込まれて悲惨や悲劇を味わう波瀾万丈の生涯を送っています。
彼女たちの視点からその時代を考えてみます。
とりわけ、不幸や悲劇を味わったからこそ、平和への願いも強かったはずで、彼女たちの行動が近世島津氏の平和と安泰につながったことを展望します。

申し込み方法は往復ハガキかメールです。
一度に5人まで申し込めます。
入場無料です。
上記主催者サイトをご覧下さい。

主催者サイトにはチラシのPDFもあり、ダウンロードできます。
素敵なチラシなので、興味のある方にお勧めします。

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【2013/07/21 08:55】 | イベント
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島津三姉妹
ばんない
こんばんは。

あれ、このテーマ去年もやったのではと思ってちょっと検索したら、去年はこの三姉妹はおまけだったのですね。
桐野さんの講演で、少しはこの不幸3姉妹について地元での認識が広まってくれるとうれしいのですが…

三姉妹
桐野
ばんないさん、こんばんは。

ネタ切れ気味なので使い回しかも?
というか、今後の展開を考えたちょっとした戦略だったのですが、うまくいくかどうか?

それより参加者を集められるかですね。
女性の参加者は多少増えるかもしれませんが、従来のコアな歴史好きの男性には女性がテーマだと敬遠されるかもしれません。
その辺の読みが微妙。
協賛団体のメディアの告知に期待大です。
私もブログやその他で宣伝に相つとめないといけません。


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南日本新聞連載「さつま人国誌」第286回
―久光に諸侯の協力訴え―

一昨日15日連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

前回に続いて、土佐人の来薩です。
今回は脱藩士の中岡慎太郎と違い、2人の重役です。
しかも、2人は当初、中岡ら土佐勤王党とは敵対する立場にありました。

2人は国父久光と会見し、前藩主山内容堂の親書を手渡します。
親書といっても、詳しくは2人から聞いてほしいというもので、親書を失ったり奪われたりして機密漏洩を恐れたのでしょうか。
2人は久光に諸侯の協力、連携を訴えます。「公議」確立のためでしょう。
久光はそのこと自体には異議がなく賛意を表しますが、具体策を欠いていただけに、雄藩諸侯による何らかの政治行動を起こすまでには至っていません。
その意味では、佐々木高行の『保古飛呂比』に書かれているように、来薩の目的は薩藩の探索だったのかもしれません。
2人が来薩する1カ月前に京都で薩長同盟がひそかに結ばれています。
土佐藩も何らかのルートでその情報を察知したのかもしれず、鹿児島に乗り込んで確認してみようということになったのかもしれませんが、真相はよくわかりません。

この来薩に即効性はなかったですが、1年後の四侯会議、薩土盟約で後藤象二郎が活躍する下地にはなったような気がします。

次週22日は参院選挙速報のため休載です。
次回掲載は29日になります。

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【2013/07/17 09:54】 | さつま人国誌
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第285回
―西郷と四侯会議の熟談―

8日(月)に連載が更新されたのに、うっかりして告知を忘れておりました(汗)。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックして下さい。

中岡の日記「行行筆記」にある西郷との対談を中心にまとめました。
西郷は四侯会議の根回りのため、土佐の山内容堂と宇和島の伊達宗城と相次いで会見し、上京を訴えます。
両侯は最終的に上京を承諾しますが、宗城は当初消極的で、西郷との会見も後ろ向きのはぐらかしに終始しました。それがかえってはたからみると、面白い内容になりました。
西郷が京都に「愛女」があったことがわかります。

それはともかく、西郷が他藩人の中岡に会見内容を率直に話している点は注目されます。よほど信用しているということです。
それというのも、この四侯会議の周旋に中岡も関与していたからでしょう。京都において中岡は西郷から依頼されたのか、容堂に上京の意思があるかどうかの確認のため、土佐藩の重役連にあたっています。そして好感触を得たことを西郷に報告しています。それがきっかけになって、西郷の土佐行きが決まったものと思われます。
西郷が中岡を信用する所以です。

こうした脱藩浪士、その双璧は中岡と坂本龍馬でしょうが、彼らの立ち位置や役割はもっと評価されていいと思います。国事周旋の「接着剤」とでもいうべきでしょうか。

次回も土佐人の来薩を書きます。
今度は土佐藩の重役、後藤象二郎と小笠原唯八です。
お楽しみに。

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【2013/07/14 10:55】 | さつま人国誌
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7月4日、友人たちと伊豆方面に行きました。
折から小雨もぱらつくあいにくの天気でしたが、途中で雨もやんだのでよかったです。

まず三島駅に着くと、三島大社に行きました。
ここには格別の思い入れがあります。
天正10年(1582)、本能寺の変が起きる年、当年閏月問題が起きました。
朝廷が調製する京暦(宣明暦)と地方暦で、当年の閏月をどこに入れるのか、1カ月の食い違いが生じました。
これは後北条氏五代の記録『北条五代記』にも記されていて、北条氏政は関東の三島暦などに従っています。

信長もこの食い違いに着目し、暦道を司る土御門有脩と「濃尾の暦者」を対決させています。
このときは、京暦が正しいということで決着がついたのですが、本能寺の変の前日、6月1日、信長はこの問題を蒸し返し、公家衆を困惑させています。
なぜ信長が蒸し返したのかその理由は史料に表れませんが、私は信長が甲州陣で東国に実際足を踏み入れたことによる知見が大きいのではと思っています。
信長にとって、自分の領国内での時間の不統一は看過できなかったものと思われます。
三島大社の変わった灯籠

その後、韮山代官として有名な江川邸に行きました。
幕末期の当主、江川英竜(坦庵)が有名です。坦庵は兵学者でもあり、パンを初めて焼くなど開明的な人物でした。パン窯なども見学しました。江川家の家紋が井桁に菊紋なのが興味深かったです。近世は菊紋の使用制限がなかったことがうかがわれます。
韮山代官江川家の家紋

韮山には源頼朝の配流地蛭ヶ小島があります。もっとも、現在、建碑されている蛭ヶ小島とされる地はあくまで「伝」だそうで、必ずしも特定されていないとか。案内してくれた地元の有識者によれば、その近くに「兵衛の森」とかいう地名があるそうで、頼朝の官途「右兵衛佐」にちなむ地名なので、こちらが蛭ヶ小島かもしれないと説明してもらいました。
源頼朝が配流された蛭ヶ小島

有名な反射炉にも行きました。わが国では、佐賀、薩摩、長州、水戸など諸藩でも反射炉がつくられましたが、完全な形で現存しているのはここだけです。それだけに貴重ですね。
韮山の反射炉

日帰りの小旅行でしたが、とても楽しかったです。

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【2013/07/06 11:01】 | 歴史紀行
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ずっちゃん
お疲れ様でした。また御同道有り難うございました。今度は近くにある私の隠居庵にも是非。玄峰和尚が岸信介と密談によくいらしてた片倉温泉が最寄りの温泉でしてなかなか良いです。


ずっちゃん
訂正・竹倉温泉でした。

楽しみです
桐野
先日はお世話になりました。
また伊豆行きたいですね。

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南日本新聞連載「さつま人国誌」第284回
―西郷と桂の会見不発に―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

このところ、薩摩の外部の人々の訪問シリーズになっています。
今回と次回もそうで、中岡慎太郎を取り上げました。

坂本龍馬の来薩はいわゆる新婚旅行はじめ有名ですが、中岡の来薩はほとんど知られていないと思います。
じつは2回来ています。これが意外と面白いです。
今回少し紹介しましたが、中岡の1回目はほとんど記事がないですけど、2回目は詳しいです。
磯の集成館の見学もしています。
また中岡の本領は周旋家にありますから、薩摩藩の要人多数に頻繁に会っています。

中岡の日記の特徴は簡潔なことです。
いつ、だれと会ったまでは書いてありますが、どこでがなかったり、肝心のどんな話をしたというのがほとんど書いてありません。
龍馬に劣らぬほど各方面の人士に会っているのですから、その会見の内容を日記に残しておけば、中岡の知名度はさらに上がり、その役割の重要さがもっと認識されたと思うのですが残念です。
もっとも、中岡としては日記を幕府や敵対勢力に奪われる危険も考慮して、機密保持の観点から詳しいことを書かなかったのかもしれません。

ところが、2回目の来薩は例外的に非常に詳しくて、とくに西郷の話が抜群に面白いです。
それは次回にご紹介します。
次回は日記『海西雑記』『行行筆記』だけでなく『時勢論』についても触れる予定です。
お楽しみに。

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【2013/07/01 22:55】 | さつま人国誌
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べた
ばんない
こんばんは。

コメント遅くなりましたが、確かにベタ…な方の盟友でしたね(苦笑)
次回は「西郷隆盛使用済みのふんどしをもらってしまった坂本竜馬」以上のすごい話があるのでしょうか 楽しみにしております

少しは
桐野
ばんないさん

ふんどし以上の話かどうかわかりませんが、中岡が西郷から伊達宗城との面白い会話を書きとめています。


ばんない
こんばんは。

本編拝見させて頂きました。
宗城は余計なお世話という気がします(爆)むしろ失礼といったほうがいいのかも。お殿様でもああいうネタが好きだったと言う事なんでしょうね 

余計なお世話
桐野
かもしれませんが、西郷が愛女の名前を答えてくれていたら、後世の我々には面白かったのにと思います。
例のぶ○姫なのでしょうか?

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