歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南日本新聞連載「さつま人国誌」第311回
―越後沖で幕府軍艦と交戦―

連載が昨日更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

北郷氏シリーズの最後です。
都城島津家の分家、平佐北郷家の幕末期の当主北郷久信について書きました。
この人はあまり知られていませんが、なかなかの開明派で、たとえて言うなら、一所持版の島津斉彬とでもいうべきでしょうか。
藩主だった斉彬より規模は小さいですが、8000余石の身代ながら、殖産興業を図り、平佐焼や生蝋の開発や専売、火打ち石銃の発明や洋式帆船の建造などの事業を行っています。

小松帯刀とも親しかったですが、藩政では枢要の地位には就いていません。
戊辰戦争では、軍艦乾行丸の船将として出陣しています。
そして、北越戦争で陸の政府軍の支援をしたり、天領佐渡の平定などを行いました。
その間、旧幕軍艦の順動丸と交戦し、数発の命中弾で擱座・自沈に追い込むという戦功もありました。

明治になってからは新政府に出仕せず、地元で余生を送りました。
新政府に出仕しなかったのは、一説によれば、友人小松帯刀の死のせいともいわれます。
もっと知られてよい人物だと思います。

次回はある佐土原藩士を取り上げます。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2014/02/18 22:40】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |
講座のご案内です。
今週末の16日(日)と次週の23日(日)の2回にわたって、大河ドラマの主人公、黒田官兵衛についての講座を開きます。まだ受講者を受け付けておりますので、興味のある方は受講してみませんか。

詳しくは、ここをご覧下さい。講座内容や問い合わせ、申し込み方法などの要領が書かれています。

簡単に講座内容を書いておきます。

第1回 16日(日)15:00~16:30
演題:羽柴秀吉との出会いと本能寺の変

第2回 23日(日)15:00~16:30
演題:突然の隠居と関ヶ原合戦

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング

【2014/02/11 10:52】 | 武蔵野大学社会連携センター
トラックバック(0) |
南日本新聞連載「さつま人国誌」第310回
―讒言で父・時久と対立―

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

このところ北郷氏特集です。
北郷相久といっても、あまり知られていないマイナーな人物ですが、庄内北郷家では重要人物でした。
父一雲入道時久と対立し、讒言により自刃に追い込まれます。
ところが、讒言したのは誰か、どんな内容かまったくわかりません。
相久は時久の長男でしたから、家督を継ぐ立場にありましたが、記事でも書いたように、高城合戦の前に家督は弟の忠虎に移っています。微妙な立場で出陣し奮戦した相久の心中はどのようなものだったのでしょうか。

状況的には、讒言したのは弟忠虎派ではないかという気がします。
忠虎が家督を継ぐことになったとはいえ、長兄の相久の存在があるかぎり家督は安定しないと思われます。長男の相久が家督を継ぐべきだとする家臣たちも存在したと思われるからです。
次代に家中分裂の火種を残さないために、父時久が相久を処断したというのが真相なんでしょうか? もちろん史料がないので憶測にすぎませんが。

また記事にも書きましたが、相久の乳母乙守氏の殉死も壮絶ですね。

次回も北郷氏について書く予定です。
庄内北郷氏ではなく、その分家筋にあたる平佐北郷氏の幕末期の当主北郷久信についてです。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング


【2014/02/10 11:10】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |

相久
ばんない
こんにちは。北郷宗家でもその非業な最期で印象に残る人物であります>相久

相久の正室が島津義弘の長女である御屋地ですが、相久を廃嫡することで義弘との関係が悪化するなど問題に思わなかったのか?というのがいまだに謎です。

あとこれはネタ晴らしになってしまうのですが、島津以久の正室であった北郷時久の長女(池上)が男子2人を儲けながら謎の離婚をして実家に戻ってしまうのですが、私はこれには北郷時久・相久親子の不和が影響したのでは…とも考えています。

コメント御礼
桐野
ばんないさん

マイナーなテーマだったのでコメント付くとは思いませんでした。

義弘との関係悪化を考慮しなかったのか、たしかに謎ですね。それより惣領権が優越するという考え方で、それについては本宗家の介入は話が違うということなのか。

島津以久夫人の離婚は知りませんでした。ご教示有難うございます。

北郷氏はどうも進退が不器用というか頑固な印象がありますね。

コメントを閉じる▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。