歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」、昨27日更新。

第366回:英国留学の明暗と不遇

同紙サイトのここをクリックすれば、ご覧になれます。

今年は薩摩藩英国留学生派遣からちょうど150年になります。
留学生のなかに、町田3兄弟が含まれていました。
じつは、本当は4兄弟参加のはずでした。
ところが、三男猛彦が病気となり、渡航断念になりました。
猛彦のことはよくわかりませんが、翌年、長崎語学伝習所に入学しています。

もう一人、四男の申四郎は帰国後、家老小松帯刀の養子になるという、庶子ながら恵まれた境遇にありました。
しかし、申四郎の運命も暗転します。

2人の兄弟は自身たちの不運、不遇をどのように考えていたのでしょうか?

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さい↓↓↓
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2015/04/28 17:23】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |
南日本新聞連載「さつま人国誌」が本日更新になりました。
第365回:島抜け4人、波乱の顛末

同紙サイトのここをクリックすれば、ご覧になれます。

今回は幕末、種子島で起きた公儀流人4人の島抜け騒ぎについて書きました。
何とも波瀾万丈の島抜けで、舟を盗んで脱出したものの、暴風雨に遭って中国大陸まで漂着してしまし、清国政府から長崎奉行所に護送され、再び脱獄するという派手さです。
結局、3人は捕まり、獄死もしくは死罪となりますが、どうやら1人だけは逃げ延びたのではないかと思われます。

種子島の鉄砲伝来の地で、ほぼ300年後の出来事でした。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さい↓↓↓
人気ブログランキング

【2015/04/20 22:00】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |
本日、南日本新聞連載「さつま人国誌」更新。第364回です。

ここをクリックすれば、ご覧になれます。

司馬遼太郎の初期短編小説「薩摩浄福寺党」に書かれた浄福寺を宿舎とした薩摩藩兵について少し詳しく紹介しました。
当時は、浄福寺組とか浄福寺隊と呼ばれていた由。
ここにいたのは、薩摩藩の海軍の陸戦隊、二番遊撃隊でした。
東郷平八郎は一番遊撃隊所属で、のち軍艦春日に乗務しました。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング




【2015/04/13 19:06】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |
現在、武蔵野大学社会連携センターが主催する同大学の生涯学習講座では、ずっと「信長公記を読む」という講座を継続していましたが、今年度から、単発ながらいくつかの講座を開講するので、ご紹介します。


1.『信長公記』を読む(三鷹サテライト教室)
継続講座で、4月17日「信長への左大臣推任と譲位問題」から。月一の6回講座。信長の余命もあと1年半になりました。天正9年と10年は信長にとって重要な年です。絶頂期を迎えようとする信長に少しずつ不穏な影が。詳しくはここをご覧下さい。

2.単発講座「戦国島津氏と関ヶ原合戦」(千代田サテライト教室)
5月30日(土)だけの単発講座です。講師本人も東京で戦国島津氏の講師をつとめるのは初めてではないかと記憶しています。南九州のローカルな戦国大名なので、関東では「需要」がないかと思っていましたが、すでに多数の受講申し込みをいただき、驚いているところです。まだ席にいくらか余裕があります。内容は「島津の退き口」と島津家中の内情について。好評なら連続講座も考えています。詳しくはここをご覧下さい。

3.単発講座「徳川家康と関ヶ原合戦」(三鷹サテライト教室)
6月5日(金)だけの単発講座です。今年は家康没後400年(400回忌)にあたります。関ヶ原合戦で家康は多数の書状を諸大名に送っており、それが勝利に貢献したともいわれています。主にその手紙作戦について検討します。詳しくはここをご覧下さい。

4.古文書講座第4回「信長文書を読む―長篠合戦を中心に―」(三鷹サテライト教室)
7月8日の講座です。オムニバス形式の古文書講座(全7回)のうちの1回です。実際に古文書(写真版)を読み解きながらの講座です。私は信長文書の担当で、前回は信長が足利義昭に宛てた五カ条の条書でした。今回は長篠合戦前後の信長黒印状を取り上げます。詳しくはここをご覧下さい。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング

【2015/04/07 09:36】 | 武蔵野大学社会連携センター
トラックバック(0) |
南日本新聞連載「さつま人国誌」、昨6日、更新になりました。
同紙サイトのここをクリックすればご覧になれます。

第363回:不運続くも気丈で長寿

島津歳久の死後、残された家族たち、とくに今回は歳久夫人とその娘(忠隣夫人)について書きました。
この母子は男系家族に次々と先立たれながらも、日置島津家の成立や、再嫁先の入来院家の存続を果たしました。

次回は歳久の首級が埋葬された京都の浄福寺にまつわる幕末の話を書く予定です。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング


【2015/04/07 09:09】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |

歳久の妻と長女
ばんない
大変御無沙汰しております。
先週今週とBS日テレで放送された「解明!歴史捜査」拝見させて頂きました。まさか桐野さんが出演されるとは全く知りませんのでビックリしました。
らぶ様と共演されるとはうらやましい(爆)

と言う趣味の話はともかく

番組の最後の方で島津亀寿の名前が出て来て、正直彼女の名前を(BSとは言え)全国放送で聞くとは思ってなかったので嬉しかったです。これで彼女に興味持ってくれる人が一人でも増えてくれたらあの世の亀寿も報われるでしょう。


さて、今年に入ってから歳久関係の話が多くて気にはなっていたのですが、いろいろとありましてコメントするタイミングを逃してしまいました。
拙HPでも歳久のえらく年上の妻とその間に生まれた長女は気になって早くから立項していました。
どうも世間的には「薩摩の女は虐げられている」イメージなんですが、この二人は確かにいろいろと苦難には遭ってるのですが、かなり言いたいこと言ってしかもごり押ししてるなあ、と言う印象を持ちました。桐野さんの記事では紹介されていませんでしたが、悦窓夫人は義久/義弘の頭越しに豊臣政権に苦情を訴え出るという行動に出て義弘に頭を抱えさせた事件もありました。
歳久は別の女性の間に儲けた次女がいますが彼女は経歴を見る限り周囲に流されている印象を受けるので、どうも悦窓夫人の系統にごり押しの血筋が流れているのかも知れないですね(^^;)

あと、悦窓夫人と蓮秀夫人(湯之尾)の墓は写真でも拝見したことがなかったので興味深かったです。ありがとうございました。


御礼
桐野
ばんないさん

TV出演はとくに後編が出番が多くて、自分でも驚きでした。いつもはコメントのほとんどがカットされるのですけど、今回は半分くらいで済んだという感じです。
とくに亀寿については触れたかったので、放映されてよかったです。

蓮秀夫人については、また貴サイトのお世話になりました。有難うございます。
この母子はたしかにずけずけと主張するタイプですね。家柄の割にはその発言力の強さには驚くばかりです。義久、義弘もお家の捨て石になったという負い目があったのかもしれませんが。

蓮秀夫人の墓は所替え先の湯之尾ではなく、本貫の地だった入来のものです。渋谷定心の墓などもありました。
湯之尾にも墓あるんですか?


湯之尾
ばんない
こんばんは

「湯之尾」は蓮秀夫人が再婚後に書状に記していた名前なので思わず併記してしまいました。混乱させてしまい申し訳ありません。
島津家の女性は居住地を呼び名にしてしまう例が多いので(島津義弘の長女の御屋地もそうですね)、蓮秀夫人も後半生は再婚後の住所の地名を名乗っていた可能性が高いと思います。

さて、悦窓夫人と蓮秀夫人ですが島津家の女性としては珍しく書状などを残している割に、墓地に関するデータを管見では見つけられず、現在拙HPでは書いていない状態です(汗)恐らく今回桐野さんがご紹介した物以外に墓はないような気が。

コメントを閉じる▲