歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」を5月30日に更新。
ここをクリックすれば、ご覧になれます。

第413回「相撲史に名を残す出水川」。今回は趣向を変えて、郷里の力士出水川のことを書きました。
達ヶ関こと2代目谷風と激闘して勝利したいきさつなど。いろいろ伝承が残っている力士です。

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【2016/05/31 08:53】 | さつま人国誌
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出水川
ながお
桐野様

こんにちは。

高山彦九郎の『筑紫日記』によれば彦九郎が入薩の際、野間の関所で足止めをくらいしばらく滞在した折、出水川と交流があったことが記されています(『出水の旅物語』所収)

水俣の徳富家から託された手紙を届けたり、出水川宅によばれごちそうになったりしています。

出水川は引退して故郷に帰り、家業の旅館を継いでいたのですね。

彦九郎は現役時代の出水川を知っていたのでしょうか。

高山彦九郎
桐野
ながおさま

コメント有難うございます。
高山彦九郎との交流は承知していましたが、紙数の関係で書けませんでした。
もちろん、出水川の現役時代を知っていたでしょうね。


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南日本新聞連載「さつま人国誌」本日更新。第411回「古田織部と島津家」。
詳しくは、ここをクリックして下さい。

最近は「へうげもの」で知られている古田織部。あまり知られていない島津家との交流について書きました。とくに最初の出会いは天正3年(1575)で信長時代と早い。

上京した島津家久が帰途につくとき、道案内したのが古田左介こと織部。家久は上鳥羽から下鳥羽まで織部に案内されている。なぜ織部が登場するのかよくわからないが、連歌師の里村紹巴師弟と友人関係にあったからか。島津義弘も息忠恒も織部と交流し、いろいろ指南を受けたことを紹介した。

織部の最期は大坂夏の陣の直後で、豊臣方への内通を疑われたもの。御内の木村宗喜が内通していたというが、なぜ織部父子
にまで罪が及んだのか? また一説によれば、織部が島津方と一味して洛中放火を企てていたという噂まであったとか。織部焼も銀座のデパートでの展示を拝観した。

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【2016/05/18 23:40】 | さつま人国誌
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織部燈籠
ながお
 桐野様

こんにちは。

「へうげもの」は読んでいないので登場したかどうかわかりませんが、古田織部が考案したとされる織部燈籠という不思議なものがあります。別名切支丹燈籠と呼ばれていますがキリスト教とは無関係だとされています。
ところが、先日ご紹介したジュゼッペ・キアラの墓石を戦時中にサレジオ神学院の神父さんが雑司が谷墓地で発見した時に、この燈籠がそばにあったのです。
誰かが他から持ってきたのかも知れませんし、この一例だけではなんともですが、こんな不思議なものを残すところが「へうげもの」かも知れません。


情報御礼
桐野
ながおさま
お知らせ有難うございます。
織部燈籠、いまも雑司ヶ谷墓地にあるのでしょうか? もしあれば、そのうち観に行きたいものです。

織部燈籠②
ながお
桐野様

写真には写っていますが、その現物は現在行方不明

とのことです。

織部燈籠自体は各地にありますので探していただけ

れば都内の寺院にもあります。

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このところ、なかなかブログを更新する余裕がありません。
それで、ツイッターの記事を加工してご紹介することにしました。

学研の『歴史群像』誌最新号(6月号)に久しぶりに記事を書いた。「再考 薩長同盟」というタイトル。同誌のなかではやや異質な記事かも。薩長同盟の最近の論点について整理し、私見を述べてみた。成立日、成立場所などはむろん、その背景や性格も。詳しくはここです。

薩長同盟については呼称の問題(薩長盟約か同盟か)に象徴されるように、その目的や性格については研究者の間で意見が分かれている。今回は「薩長同盟」という呼称を採用する立場から論述。近年はさすがに武力倒幕が目的という考え方は否定されてきたが、かといって、軍事的な側面はないのか。

薩長同盟の意義を難しくしているのは、薩長の間で合意文書が作成されなかったことが大きい。そのため、薩長にとってその重要度が非対称(長州に重く、薩摩に軽い)だとされてきたが、それでいいのだろうかという疑問。すでに指摘されているが、島津久光が強硬派の西郷吉之助の動きを警戒。

久光は在京重役が二派に分かれていることを重視、西郷の帰国を命じる。西郷は久光の方針から逸脱していないことをしきりに釈明しているが、薩長同盟の内容は、久光の統制に西郷らが服したかどうかも論点だろう。合意文書が作成されなかった背景には久光と在京重役の間の思惑の違いもあったかも。

『歴史群像』誌という商業誌にもかかわらず、論文調の記事になってしまったが、紙面の関係で十分に論じきれていないのも自覚している。薩摩藩の一藩割拠方針と薩長同盟の連動性とか、同盟締結における薩摩側(とくに西郷)の内在的契機が幕長開戦にあり、それを想定としている点など今後の課題。

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【2016/05/16 10:28】 | 幕末維新
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南日本新聞連載「さつま人国誌」で、長く16回も続いた五代友厚の連載が先週で終了しました。
昨2日は、江戸時代中期、イタリア人宣教師シドッチが屋久島に上陸した顛末について書きました。
詳しくは、ここをクリックして下さい。
五代友厚の連載もご覧になれます。

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【2016/05/03 19:07】 | さつま人国誌
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