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歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
京都の友人有志が企画してくれた講演会です。戦国島津氏と京都のつながりについて語ります。FBには関西在住のお友達も少なからずいらっしゃるので、ご検討下さいませ。なお、懇親会は京都駅周辺になろうかと思います。

演題:『戦国島津氏と京都-島津義弘没後400年に寄せて-』
講師:桐野作人
日程:2019年7月21日(日)14時~16時
会場:キャンパスプラザ京都第2会議室
会場アクセス:http://www.consortium.or.jp/about-cp-kyoto/access
定員:30名
会費:3000円
主催:京都・戦国島津氏を語る会
参加申し込み・問い合わせ:

ご応募の際は①お名前②懇親会への参加されるかたはその旨をご記入の上、当アカウントDMか下記メールアドレスまでお願い致します。
ご送信後、2~3日後にご応募完了の返信を行いますさせていただきます。
・メールアドレス:k.simadu1185@gmail.com
募集期限:2019年6月30日(日)

【京都講演趣旨】
戦国時代、南九州の島津氏は予想以上に京都との交流が深い大名でした。それは御家門である近衛家との関係もあり、贈答や文化交流を通じて深められていきました。また人的往来も盛んでした。樺山氏、喜入氏、薩州島津家、種子島家などもこうした都鄙の文化交流に関わっています。

足利将軍家との政治的なつながり(和平調停、官位や偏諱の授与など)だけでなく、和歌・連歌や蹴鞠など宮廷文化に接する機会が増えていきます。また、島津氏の京都雑掌として洛中に居住する木下道正庵の存在も重要で、上方情報を島津氏に頻繁に伝えるなど、こうした都鄙交流に貢献しています。

同時期に次兄の歳久も上京し、前関白の近衛前久と会見しています。豊臣政権になると秀吉に服属した豊臣大名として、亀寿(義久三女)をはじめ、多くの人質が京都に滞在し、義久や義弘も比較
的長く在京することが少なくありませんでした。聚楽第周辺に位置した島津氏屋敷の居所についても紹介します。

最後に関ヶ原合戦直後における義弘主従の動静を周辺都市である伏見や大坂での動きも含めて検討します。とりわけ、義弘が西軍に加担せざるをえなくなるいきさつ、さらに島津の退き口と京都との関わりについても触れます。
講演資料以外でも次の2点を公開
★義弘の生涯のおもな足跡についての写真紀行(プロジェクターで紹介)
★特別公開:島津義久が調略した日向伊東氏の部将、福永丹波守に宛てた書状の実物(桐野所蔵)の展示と解説も予定しています。伊東氏との力関係が決定的に島津氏有利になった「落とし文事件」に関わるものです。
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【2019/06/20 18:04】 | 戦国島津
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