歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第188回
―徳之島出身、京都で客死―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

2年前、徳之島で島津氏の琉球侵攻400年のシンポジウムがあり、参加した。そのとき、地元の職員さんの案内で、闘牛大会のほか、いくつか史跡を回った。
戦艦大和の慰霊地なども訪ねたが、個人的には犬田布一揆の記念碑を訪れられたのが印象深かった。
幕末に起きたこの一揆を書き留めた一次史料が「仲為日記」で、記主の琉仲為は今回の連載で取り上げた徳嶋仲祐の父親である。

西郷に連れられて上京した仲祐が病死し、西郷はその死を悼んで、相国寺塔頭林光院に葬ると共に、鹿児島の自分の家の墓所にも供養墓を建立した。西郷の哀悼の気持ちがよく表れている。
今回は、以前撮影していた西郷家墓所にある仲祐の供養墓写真を掲載しました。

墓誌銘に「徳嶋仲祐」と刻んだところを見ると、仲祐は京都では出身地をとって徳嶋もしくは徳之島という名字で呼ばれていたものか。

ところで、仲祐は病死ではなく、新選組、それも土方歳三に斬殺されたという説があるようである。
しかも、西郷の護衛をしていて、体格などが西郷と似ていたため、間違って斬られたと具体的に書かれているのを見たことがある。
しかし、寡聞にしてその典拠を知らない。ご存じの方がおいでなら、教えていただきたい。
少なくとも新選組関係の信頼できる史料にはそのような記述はないと思うし、薩摩側も同様である。

仲祐が亡くなった慶応2年(1866)12月26日は奇しくも孝明天皇崩御の翌日であり、京都では激震が走った時期。
また、この時期、薩摩藩と幕府は幕長戦争をめぐって対立関係にあるが、新選組が薩摩藩要人を襲撃するような情勢ではない。
そうした点からも、新選組による斬殺は考えにくい。

次回は、仲祐の父仲為の日記から犬田布一揆を考えてみたいと思います。

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【2011/04/04 16:26】 | さつま人国誌
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徳之島
調所
一昨年は奄美取材にお誘い下さいまして有り難うございました。先日、徳之島出身の徳田毅議員と飲みまして大変楽しい時を過ごさせて頂きました。近いうちに徳之島へ参る機会があると良いなと思っております。

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一昨年は奄美取材にお誘い下さいまして有り難うございました。先日、徳之島出身の徳田毅議員と飲みまして大変楽しい時を過ごさせて頂きました。近いうちに徳之島へ参る機会があると良いなと思っております。
2011/04/06(Wed) 07:48 | URL  | 調所 #-[ 編集]
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