歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第190回
―南蛮僧、南蛮犬を避ける―
昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回から2回にわたり、島津義久の縁起かつぎについて書く予定です。
義久の鬮取りや縁起かつぎは有名ですが、今回は「南蛮」がらみです。
斎木一馬氏の著作にトピック的に取り上げられていますが、それに少しひねりを効かせました。

義久が「南蛮僧」=イエズス会宣教師を持病にかこつけて忌避したのは政治的な理由があったのではないかという見込みを書きました。ちょうどその時期に、在鹿の宣教師(厳密には修道士か)が排斥されている事情があります。

それにしても、ザビエルと貴久の会見ののち、キリシタンはご禁制になったはずなのに、義久はイエズス会の教会を鹿児島城下に建てることを許し、山川港を通じて南蛮貿易をしようとしていたのですから、とても大胆だと思います。
しかし、それが日本の神仏を信奉する勢力から排斥され、義久もそれに抗する術がなかったということでしょう。
有名な宣教師アルメイダの暗殺計画もあったほどですから。

鹿児島城下に建てられたというイエズス会の教会。
果たしてどこにあったのでしょうかね?
文書では見たことがないような。
伝承とか地名で残っていないでしょうか?
ほとんど知られていない史実だけに、とても興味があります。

次回は、豊後攻めにおける義久の縁起かつぎを紹介する予定です。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2011/04/19 23:53】 | さつま人国誌
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