歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第194回
―義久側近の暗殺と退去―

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

イエズス会宣教師アルメイダの3回目です。
今回はアルメイダが鹿児島から退去することになった暗殺事件を中心に書きました。

島津義久の側近、それも御使役という奏者の野村是綱という人物はアルメイダに好意を示し、義久との会見をはじめ、何かと取り計らってくれました。
それが反キリシタン勢力には気に入らなかったようで、野村の暗殺事件へと発展します。
しかも、黒幕が義久の古参老中、村田経平だというから、驚きです。
義久自身はイエズス会との友好関係を築いて南蛮貿易をやろうとしていましたから、太守の方針を老中が真っ向から否定したばかりか、側近暗殺という強硬手段をとりました。

さすがの義久も怒り、島原に逃亡した下手人を追わせますが、この追っ手も共犯者だったのですから、いやはやです。

義久も家中の反キリシタンの気運の強さに負けて、結局、アルメイダに退去を勧めました。
義久の太守権も家中の大勢には抗すべきもなかったというべきでしょうか。

以降、島津家は一貫して反キリシタン方針を貫くことになります。

次回も戦国関係を考えています。

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【2011/05/16 22:18】 | さつま人国誌
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ばんない
3回にわたる連載、興味深く拝読させて頂きました。

この話自体は以前何かの本で読んであらましは知っていたのですが、今回初めて知る話も多く、驚かされました。
>「国王の兄弟二人の大いに権勢のある者」がアルメイダに好意を示したという
これは興味深いですね。『日本切支丹宗門史』で”反キリスト教の大元”と名指しされた義弘はたぶん無いと私は思いましたが、この当時唯一側室を抱えていた歳久がキリスト教関係者に好意を示すかなあ、という気もしますし。でもキリスト教そのものじゃなくて、貿易とかに興味があるなら又話は別なのか。

>野村民部少輔是綱
『本藩人物誌』を改めてみたら2行ぐらいしか記述のない人で、全く印象無かったです。
>村田経平
『本藩人物誌』を読むと、この人も最後は妙な死に方をしてますね。村田氏も経平死後は家老になった人物がでなくて、パッとしなかった印象を受けますが。

しかし、重臣連中のキリスト教に対する妨害はすさまじいですね。単に仏教勢力を代表して利害関係から妨害したと言うより、生理的に受け付けなくて排除したという印象を受けます。

アルメイダ
桐野
ばんないさん

3回とも読んでいただき、有難うございます。
これらの一連の事件について、島津側にもう少し史料があればと思いますね。

島津氏がキリシタン禁制を正式に定めたのはいつの時期だったのでしょうね?
上井日記には天正11年以前に貴久が「いましめとして」とありますが、その後も交渉をもっていますから、果たしてどの程度の拘束力があったのか、よくわかりません。

また野村暗殺は、義久の太守権力の限界も見えるようで。義久の地位は、家中の諸勢力の均衡の上に成り立っており、それらの諸利害の調整が「公儀」としての役割だったような気がします。


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コメント
この記事へのコメント
3回にわたる連載、興味深く拝読させて頂きました。

この話自体は以前何かの本で読んであらましは知っていたのですが、今回初めて知る話も多く、驚かされました。
>「国王の兄弟二人の大いに権勢のある者」がアルメイダに好意を示したという
これは興味深いですね。『日本切支丹宗門史』で”反キリスト教の大元”と名指しされた義弘はたぶん無いと私は思いましたが、この当時唯一側室を抱えていた歳久がキリスト教関係者に好意を示すかなあ、という気もしますし。でもキリスト教そのものじゃなくて、貿易とかに興味があるなら又話は別なのか。

>野村民部少輔是綱
『本藩人物誌』を改めてみたら2行ぐらいしか記述のない人で、全く印象無かったです。
>村田経平
『本藩人物誌』を読むと、この人も最後は妙な死に方をしてますね。村田氏も経平死後は家老になった人物がでなくて、パッとしなかった印象を受けますが。

しかし、重臣連中のキリスト教に対する妨害はすさまじいですね。単に仏教勢力を代表して利害関係から妨害したと言うより、生理的に受け付けなくて排除したという印象を受けます。
2011/05/18(Wed) 00:03 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
アルメイダ
ばんないさん

3回とも読んでいただき、有難うございます。
これらの一連の事件について、島津側にもう少し史料があればと思いますね。

島津氏がキリシタン禁制を正式に定めたのはいつの時期だったのでしょうね?
上井日記には天正11年以前に貴久が「いましめとして」とありますが、その後も交渉をもっていますから、果たしてどの程度の拘束力があったのか、よくわかりません。

また野村暗殺は、義久の太守権力の限界も見えるようで。義久の地位は、家中の諸勢力の均衡の上に成り立っており、それらの諸利害の調整が「公儀」としての役割だったような気がします。
2011/05/19(Thu) 23:33 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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