歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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今回は本能寺の変特集です。

本能寺の変の真相や位置づけをめぐっては諸説ありますが、その諸説を代表する筆者が書いています。天正10年(1582)前後の政治状況も含めて、最新研究の現状がよくわかる特集です。
とくにイエズス会の動向についての記事(高橋裕史氏)と、島津義久についての記事(黒嶋敏氏)が個人的には面白かったです。
また、岐阜城、本能寺、二条御所の発掘報告も興味深いですね。

また友人の金子拓、谷口克広、和田裕弘、永田恭教の諸氏も書いています。

小生も2本書いています。

①「四国問題と斎藤利三の動向」
②「信長起請文に見る志賀の陣 和睦の真相」


よかったら、読んで下さいませ。

①はこれまでも拙著、拙稿で述べてきたことですが、明智光秀が安土城で徳川家康の接待役をしていた時期(5月中旬~17日までの間)、信長による光秀への折檻事件があったことを、フロイス『日本史』と『稲葉家譜』が期せずして書き留めています。まったく没交渉で性格が異なる両史料にほぼ同様のことが書かれているのは偶然ではなく、この折檻事件が事実であったことを示しています。両史料への史料批判もあるでしょうが、大筋では十分それに耐えうるのではないかと考えています。
そうであれば、この折檻事件がその直後の本能寺の変と無関係だと考えるほうに無理があります。この事件こそが本能寺の変の真因だと考えてよいと思います。

ただ、私の校正不足で誤植があります。

①について
122頁下段、小見出し「明智家中の親長宗我部派」の文中、5行目
×「光秀の兄頼辰」 → ○「利三の兄頼辰」

②について
197頁下段1~2行目
×「元亀元年十月」 → ○「元亀元年十一月」

以上2点、お詫びして訂正します。

なお、②については、誤植のあった信長朱印状の位置づけが難しいですね。この文書はいわく付きだとも噂されていますが、今後、その評価が定まるのを待ちたいと思います。
②の執筆にあたっては、畏友の和田裕弘氏より格別の教示をいただきました。本文中では紙数の関係で謝意を書けなかったので、この場を借りてお礼申し上げます。

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【2011/05/27 18:31】 | 新刊
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いろいろ勉強になりました
戦国おやじ
 『歴史読本』掲載の玉稿を拝読いたしました。大変勉強になりました。ところで、②論文のP196の箇所ですが、小泉義博氏の指摘つまり「仍執達如件」の書止文言を持つ長政の禁制を奉書と捉えて、長政が朝倉氏の配下にあったとされています。ところが、「仍執達如件」の書止文言を持つ文書については、古くは相田二郎氏、最近では宮島敬一氏が指摘するように、奉書文言ではありません。むしろ、その前段に「~之由候」とあることが奉書であることを示しています。長政はこの時期に「仍執達如件」の書止文言を持つ大量の禁制を発給しますが、すべて直状と捉えるべきで、先の小泉氏の見解は既に宮島氏によって否定されています。実は、浅井氏に限らず、「仍執達如件」の書止文言=「奉書」と考える人は、案外多いものです。そうなると、誰の意を奉じているのかが問題となり、解釈が変異なることもあるようです。今川氏親も「仍執達如件」の書止文言を持つ文書を発給していますが、この場合は足利将軍の意を奉じていたとされていました。これも、今は否定されています。長々とつまらんことを書きました。すみませんでした。

仍執達如件
桐野
戦国おやじさん
はじめましてでしょうか?

貴重なご指摘、有難うございます。
そういえば、「仍執達如件」は直状だという指摘を以前読んだ記憶がありました。肝心なときに忘れておりました。先行研究の不勉強で汗顔の至りです。

釈明させていただければ、浅井長政の地位や立場どのようなものだったのかという私の愚考を補強するために傍証として取り上げたものです。
まあ、傍証がなくても自説として主張すればよいかなと改めて思った次第です。

ご指摘感謝です。




ありがとうございます
戦国おやじ
 わざわざありがとうござました。『歴史読本』連載の単行本化を楽しみにしています。ますますのご活躍を祈念申し上げます。

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いろいろ勉強になりました
 『歴史読本』掲載の玉稿を拝読いたしました。大変勉強になりました。ところで、②論文のP196の箇所ですが、小泉義博氏の指摘つまり「仍執達如件」の書止文言を持つ長政の禁制を奉書と捉えて、長政が朝倉氏の配下にあったとされています。ところが、「仍執達如件」の書止文言を持つ文書については、古くは相田二郎氏、最近では宮島敬一氏が指摘するように、奉書文言ではありません。むしろ、その前段に「~之由候」とあることが奉書であることを示しています。長政はこの時期に「仍執達如件」の書止文言を持つ大量の禁制を発給しますが、すべて直状と捉えるべきで、先の小泉氏の見解は既に宮島氏によって否定されています。実は、浅井氏に限らず、「仍執達如件」の書止文言=「奉書」と考える人は、案外多いものです。そうなると、誰の意を奉じているのかが問題となり、解釈が変異なることもあるようです。今川氏親も「仍執達如件」の書止文言を持つ文書を発給していますが、この場合は足利将軍の意を奉じていたとされていました。これも、今は否定されています。長々とつまらんことを書きました。すみませんでした。
2011/05/30(Mon) 22:37 | URL  | 戦国おやじ #-[ 編集]
仍執達如件
戦国おやじさん
はじめましてでしょうか?

貴重なご指摘、有難うございます。
そういえば、「仍執達如件」は直状だという指摘を以前読んだ記憶がありました。肝心なときに忘れておりました。先行研究の不勉強で汗顔の至りです。

釈明させていただければ、浅井長政の地位や立場どのようなものだったのかという私の愚考を補強するために傍証として取り上げたものです。
まあ、傍証がなくても自説として主張すればよいかなと改めて思った次第です。

ご指摘感謝です。


2011/05/30(Mon) 23:35 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
ありがとうございます
 わざわざありがとうござました。『歴史読本』連載の単行本化を楽しみにしています。ますますのご活躍を祈念申し上げます。
2011/05/31(Tue) 10:15 | URL  | 戦国おやじ #-[ 編集]
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