歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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昨日、古文書講座「てらこや」の最終講座(第5回)だった。

土佐藩重役の寺村左膳の日記慶応3年分を前期から読んでいる。今期を含めて計9回やったが、それでも大政奉還まで届かなかった。1カ月も残したままで終了したのは残念だが、4月からの講座でやるしかない。

今回は、①イカロス号事件の長崎での処理、②薩土盟約の頓挫のいきさつの2点を中心に読み進めた。

イカロス号事件の舞台が長崎に移り、幕府は外国奉行の平山敬忠などが土佐藩側、とくに海援隊士たちに事情聴取している様子を、佐々木高行の『保古飛呂比』(8月19日条)から見ていった。
幕府がイカロス号事件の犯人が土佐藩の人間であると盛んに英国側に吹き込み、薩長と土佐の離間を策していると、土佐藩側がとらえているところが非常に興味深かった。

幕府側によって事情聴取されたと思われる人々は、『保古飛呂比』によれば、

石崎揆一郎(長崎人)
平野富二郎(長崎人)
三澤揆一郎(江戸人)
渡辺剛八(越前人、のち大山重)


などだが、このうち渡辺剛八以外はよく知らなかった。
その後、受講生の方から、他の3人を教えていただいた。名前も微妙に違っている。

石崎麒一郎 長崎地役人・本船番
事件当日、南海丸に行き、暇乞いをしていたため、取調べを受けたらしい。

三沢揆一郎 御医師松本桂太郎門人
事件当日、南海丸に行き、暇乞いをしていたため、取調べを受けたらしい。

平野富二
長崎製鉄所機関手見習いを任命され機械学の伝習をうけた。翌年機関手となり、本木昌造に師事して汽船ヴィクトリヤ号(長崎丸1番 94トン)、チャールス号(長崎丸 138トン)の乗組み員となる。
慶応 2年(1866) 21歳
徳川幕府海軍軍艦回天丸の一等機関手として下ノ関海戦に参軍する。養家をでて始祖の平野家を再興する。
慶応 3年(1867) 22歳
土佐藩雇用となり汽船夕顔、若紫、空蝉号などの一等機関手となる。坂本竜馬らの海援隊々士との親交がふかまる。

非常に詳しい情報で有難かった。御礼申し上げます。

なお、『保古飛呂比』のなかで、長州の木戸貫治(桂小五郎)がちょうど長崎に来ており、薩摩藩士と称していたことなど興味深い記事があった。
そして、木戸がアーネスト・サトウに会ったことを佐々木に語り、サトウが「三藩尽力にて大変革の事を周旋」することを教えてくれたという記事があった。
この「三藩」は薩摩・土佐のほか、宇和島だろうと思ったので、そのように話したが、もしかしたら芸州藩かもしれない。

また、サトウがこの「三藩尽力」が成就しなかったら、それは欧州の諺で「老婆仕事」というのだと語ったので、英国の一書記官からそんなことを言われたら、面目がない、奮発しないといけないと、佐々木らが意気込んだというのも面白かった。

ところで、欧州の諺でいう「老婆仕事」って、どんな意味だろうか?
どうやら、大勢で頑張ってみても、結局、実現できない、成功しないという意味らしい。それを老婆の仕事に比喩しているのだろうか?
サトウだから、おそらくイギリスの諺だろう。英語で何というのか、もしご存じの方がおいでなら教えて下さい。

薩土盟約の頓挫については、やはり寺村の日記の記事は重要だと思う。
土佐から上坂した寺村と後藤は、大坂の心斎橋筋で、ばったりと西郷吉之助に出会う。
西郷は、脚気養生のため京から大坂に下ってきた島津久光のお供をしていた。そして相撲見物の帰りに寺村・後藤らと会ったのである。
それから、薩土の間で会談が行われるが、会談内容を寺村が簡単に箇条書きにまとめている。そのなかに「兵隊は差し出し候哉等の事と相尋ね」という一節がある。
これはおそらく、西郷が土佐側に尋ねたものだろう。西郷の関心事は、上京した後藤らが土佐藩兵を引き連れてきたかどうかにあったのである。

これについては、すでに山内容堂が、大政返上の周旋は正々堂々とやるべきで、兵力などを使うのはもってのほかと託宣していたので、土佐藩兵の上京は不可能だった。

西郷がこれに失望したことは想像に難くない。土佐藩はやる気がないと、西郷が判断したのではないか。このことが、薩土盟約の頓挫の大きな理由になっているように思う。

そして近年、故・高橋秀直氏が薩土盟約頓挫の理由として挙げた『嵯峨実愛手記』(正親町三条実愛の日記)の一節も紹介した。
それは、幕府が天皇の彦根動座を考えており、会津藩が天皇の警固にあたる。その一方で、フランス艦隊を薩摩に派遣して薩摩藩の砲台を攻撃することによって、在京薩摩藩士の動揺を誘い、薩摩藩討幕派を孤立化させるという策略だという内容である。

それを聞いた西郷らが危機感を深めて、薩土盟約という迂遠な周旋策では間に合わない、先手を取って急ぎ挙兵すべきだという理由から、薩土盟約を破棄するに至ったというのが、高橋説の趣旨である。

ただ、フランス艦隊の薩摩への派遣は困難ではないか。すでにフランス本国では公使のロッシュを解任し、幕府一辺倒から等距離外交へと政策を変更していることと、イギリス・アメリカ・オランダなどの手前、単独で薩摩攻撃など出来ないのではないか、とくにイギリスが黙っていないだろう。つまり、この策は現実的ではないというような話をした。

ほかに、長州藩士の柏村数馬の『柏村日記』から、西郷が柏村に語った「三都同時挙兵計画」の全容を紹介し、それでも西郷が「討幕は仕らず」というのはなぜか。西郷らが考えている「討幕」とは何かという話をしたところで、タイムアップとなった。
期せずして、うまいまとめになっていたと思う。

次期講座は4月10日(火)から開講です。
また寺村左膳の日記の続きをやります。次期こそは大政奉還、龍馬暗殺、王政復古政変というクライマックスになります。
興味のある方、ご参加下さい。
詳しくはここへ
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【2007/03/14 23:14】 | てらこや
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「老婆仕事」「老婆の理屈」
まいたけ君
英語の諺はわかりませんが、萩原延寿『遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄』5によれば、木戸は、サトウとの談話を佐々木高行に語っただけでなく、坂本龍馬にも、サトウとの談話の趣旨を書きおくっているそうです。
 坂本龍馬宛の木戸の手紙には、次のように書いてあります。

 「西洋にては古より、公論と存込み天下に相唱え、不被行とて其の儘捨置候事は、老婆の理屈と申し、男子は好み不申、乍去、日本今日の建言と申し候ものも、少しは老婆の理屈と申し候気味有之候様覚申し候などと談話仕候由伝承仕り、不覚長嘆息、外国一通弁館をして此語を吐かしむるは、列侯は不及申、神州男子の大恥辱と、老屈生(木戸)までも甚感慨悲痛罷在候折柄、御大論拝承奉欣喜候。」

萩原氏は、「サトウが使ったという「老婆仕事」あるいは「老婆の理屈」とは、たわいもない作り話(old wives'tale)のことであろう」と書いてありました。
もしかしたら、このような諺は実際はなくて、木戸の自尊心を刺激するための方便だったのではないでしょうか?

サトウが、木戸=長州にハッパをかけたと考えると、「三藩尽力」とは、薩摩・土佐、そして長州なのではないでしょうか?

老婆の理屈
桐野
まいたけ君さん、こんばんは。

木戸は龍馬には「老婆の理屈」と語っているんですね。
どうも口先だけで大きなことを言って、有言不実行の態度を指すみたいですね。

萩原延寿氏がご存じない格言なら、サトウの作り話も一理あるかもしれませんね。

「三藩尽力」に長州が入るかどうか微妙なところですね。四侯の建白により、一応、長州宥免の勅許は下りていますから、その意味では「朝敵」の汚名は雪げたといってよいかもしれませんが、現実にはまだ京都政局に復帰するには、いくつものハードルがあります。
長州による周旋活動は現実問題として、まだ難しいと思うのですが……。

old wives'tale
板倉丈浩
こんばんは。

英語のold wives'taleは「迷信」という意味でよく使われますが、こういう表題の劇もあるみたいなので↓、こちらの方が妥当ですかね・・・。1590年に作られた喜劇作品のようです。

ジョージ・ピール『老妻物語』(The Old Wives' Tale)
 http://homepage3.nifty.com/engeki/RP2000.8.htm#7

「森の中での場面で、場内に散らばっているのであろう手隙の役者たちがあちこちから木霊となって台詞を次々に繰り返す」というシーンがあるようなので、あちこちの藩がいろんなことを「建言」している当時の状況について、「あの喜劇に似てますね」という感想を漏らしたんじゃないかと思われます。

『一外交官の見た明治維新』には、木戸と伊藤俊輔が「毛利家は世間で誤解されている。幕府を倒そうなんて夢にも思っていない」と力説したのに対して、サトウは「彼らは私のことを誤解していたようだ・・・イギリス側ではずっと以前から、行動を共にしている西国諸大名の政策の基本点は、将軍職の廃止にあるということの明白な証拠を握っていたのである」と記しており、「老婆の理屈」ないし「老婆仕事」についての言及は全くありません。

つまり、「本音の話が出来なかった」と残念がるサトウが世間話的に言ったことを、真剣な話をしたつもりの木戸の方が「有言不実行を皮肉られた」と誤解して憤慨した・・・というのが真相のような気がします。


老妻物語
桐野
板倉さん、こんにちは。

まいたけ君さんが紹介された old wives'tale そのままのシナリオと芝居があるんですね。

なるほど、諸藩の周旋や建白が木霊のように鳴り響いている割には、成果はいまひとつという状況を、サトウが皮肉っているのかもしれませんね。

サトウと伊藤俊輔との会話は、伊藤が言質をとられることを警戒しているようにも見えますね。将軍辞職要求を「討幕」だととられたくないというのが伊藤の本音でしょうか?

まあ、土佐藩も含めて将軍辞職が大政返上に伴うべきだというのは、「公議」「公論」を主張する雄藩にはすでに共通の了解事項だったはずですが、伊藤はどうしてそんなに警戒したんでしょうね。外国人ゆえ、いまひとつ信用できないと思ったのでしょうか。



アーネスト・サトウ
板倉丈浩
>諸藩の周旋や建白が木霊のように鳴り響いている割には、成果はいまひとつという状況を、サトウが皮肉っているのかもしれませんね。

この後、サトウは久留米藩士相手に「何らかの形で戦争が行われなければ問題は解決しない」などと言っていますから、土佐藩などの建白運動を冷ややかに見ていたということはあると思います。


>伊藤が言質をとられることを警戒しているようにも見えますね。将軍辞職要求を「討幕」だととられたくないというのが伊藤の本音でしょうか?

伊藤というよりは木戸でしょう。伊藤はサトウと面識がありますが、木戸は初対面ですし。
サトウは木戸には非常に好意的なのですが、片思い的な部分もありますね。

サトウは「天皇を中心に雄藩連合政府を作れ」という意見の持ち主で、木戸にも当然その話題を振ったと思われます。
ただ、長州藩は幕府に対して、表向きは恭順の姿勢を示していましたし、この段階では中央政局には何の発言権もない状況ですから、責任ある地位にある木戸としては「イギリスが内乱を煽っているのではないか」と警戒し、「長州藩主に野心はありません」と無難なコメントをしたんだと思います。


少し似ている【老婆の繰言(くりごと)】
吉田松陰大好き
童門冬二氏の著作『幕末・男たちの名言』(PHP文庫)で、桂は龍馬に「いつも、おばあさんの繰言ばかり言っている」と皮肉られた事を上げておられますね。史料でない為サトウとの談話を龍馬に報告する前か後か不明ですが、他者からは“逃げの小五郎”と認識されがちです。高杉晋作は桂の本質を見抜いており「古い家をぶっ壊すのは俺の方が得意だが、新しい家を建てるのは桂にかなわない」と理解しています。暴動を嫌い、皮肉られても辛抱強く、クールに事を見守るタイプである様ですね。暴れ牛の晋作が良き理解者なので、吉田松陰の教育はさすがですhttp://blog83.fc2.com/image/icon/i/F89F.gif" alt="" width="12" height="12">

老婆の繰り言
桐野
吉田松陰大好きさん、こんばんは。
桂は龍馬にもばあさんの繰り言みたいだと言われていたんですか。面白いですねえ。
桂の場合、その慎重さが生き残りの秘訣だったかもしれません。とっくに文久年間に非命に斃れていてもおかしくないですから。

原因はこれか?
かわい
>吉田松陰大好きさん、桐野さん
 それってたぶん、この記事の最初のコメントでまいたけさんが紹介してくださった「坂本宛木戸書簡」と関係がありそうです。ああいう手紙をもらったら、お前も愚痴っぽいやっちゃなあと、龍馬でなくてもいいたくなるでしょうから(笑)。

繰り言
桐野
かわいさん、どうも。

こちとらが繰り言というか、くり返しになってしまったようですね。まいたけ君さんの書き込みを失念してしまいまっておりました。

私も繰り言
吉田松陰大好き
恐らく、まいたけさんのコメントに充分関係しているでしょう。慎重派の桂と、即行派の龍馬の性格や価値観の違いが見えますね。龍馬も『己の成す事は己しか知らない。周囲の者は何とでも言え』と言っているのに、この時の桂の内面は理解していない様ですね。龍馬に限らず、他も“己の成す事は天しか知らない”等言っているので、いかに理解者が少なく苦悩した事か(現在も同様でしょうが)。それにしても、人の意見を聞かない晋作が、よくぞここまで成長してくれたhttp://blog83.fc2.com/image/icon/i/F89F.gif" alt="" width="12" height="12">涙チョチョ切れもんです!桐野様、先のコメントは新しい日本語ですね!おもろいッス!

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「老婆仕事」「老婆の理屈」
英語の諺はわかりませんが、萩原延寿『遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄』5によれば、木戸は、サトウとの談話を佐々木高行に語っただけでなく、坂本龍馬にも、サトウとの談話の趣旨を書きおくっているそうです。
 坂本龍馬宛の木戸の手紙には、次のように書いてあります。

 「西洋にては古より、公論と存込み天下に相唱え、不被行とて其の儘捨置候事は、老婆の理屈と申し、男子は好み不申、乍去、日本今日の建言と申し候ものも、少しは老婆の理屈と申し候気味有之候様覚申し候などと談話仕候由伝承仕り、不覚長嘆息、外国一通弁館をして此語を吐かしむるは、列侯は不及申、神州男子の大恥辱と、老屈生(木戸)までも甚感慨悲痛罷在候折柄、御大論拝承奉欣喜候。」

萩原氏は、「サトウが使ったという「老婆仕事」あるいは「老婆の理屈」とは、たわいもない作り話(old wives'tale)のことであろう」と書いてありました。
もしかしたら、このような諺は実際はなくて、木戸の自尊心を刺激するための方便だったのではないでしょうか?

サトウが、木戸=長州にハッパをかけたと考えると、「三藩尽力」とは、薩摩・土佐、そして長州なのではないでしょうか?
2007/03/15(Thu) 06:06 | URL  | まいたけ君 #BKdQhP/Q[ 編集]
老婆の理屈
まいたけ君さん、こんばんは。

木戸は龍馬には「老婆の理屈」と語っているんですね。
どうも口先だけで大きなことを言って、有言不実行の態度を指すみたいですね。

萩原延寿氏がご存じない格言なら、サトウの作り話も一理あるかもしれませんね。

「三藩尽力」に長州が入るかどうか微妙なところですね。四侯の建白により、一応、長州宥免の勅許は下りていますから、その意味では「朝敵」の汚名は雪げたといってよいかもしれませんが、現実にはまだ京都政局に復帰するには、いくつものハードルがあります。
長州による周旋活動は現実問題として、まだ難しいと思うのですが……。
2007/03/15(Thu) 23:34 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
old wives'tale
こんばんは。

英語のold wives'taleは「迷信」という意味でよく使われますが、こういう表題の劇もあるみたいなので↓、こちらの方が妥当ですかね・・・。1590年に作られた喜劇作品のようです。

ジョージ・ピール『老妻物語』(The Old Wives' Tale)
 http://homepage3.nifty.com/engeki/RP2000.8.htm#7

「森の中での場面で、場内に散らばっているのであろう手隙の役者たちがあちこちから木霊となって台詞を次々に繰り返す」というシーンがあるようなので、あちこちの藩がいろんなことを「建言」している当時の状況について、「あの喜劇に似てますね」という感想を漏らしたんじゃないかと思われます。

『一外交官の見た明治維新』には、木戸と伊藤俊輔が「毛利家は世間で誤解されている。幕府を倒そうなんて夢にも思っていない」と力説したのに対して、サトウは「彼らは私のことを誤解していたようだ・・・イギリス側ではずっと以前から、行動を共にしている西国諸大名の政策の基本点は、将軍職の廃止にあるということの明白な証拠を握っていたのである」と記しており、「老婆の理屈」ないし「老婆仕事」についての言及は全くありません。

つまり、「本音の話が出来なかった」と残念がるサトウが世間話的に言ったことを、真剣な話をしたつもりの木戸の方が「有言不実行を皮肉られた」と誤解して憤慨した・・・というのが真相のような気がします。
2007/03/16(Fri) 02:39 | URL  | 板倉丈浩 #/2jzPtOA[ 編集]
老妻物語
板倉さん、こんにちは。

まいたけ君さんが紹介された old wives'tale そのままのシナリオと芝居があるんですね。

なるほど、諸藩の周旋や建白が木霊のように鳴り響いている割には、成果はいまひとつという状況を、サトウが皮肉っているのかもしれませんね。

サトウと伊藤俊輔との会話は、伊藤が言質をとられることを警戒しているようにも見えますね。将軍辞職要求を「討幕」だととられたくないというのが伊藤の本音でしょうか?

まあ、土佐藩も含めて将軍辞職が大政返上に伴うべきだというのは、「公議」「公論」を主張する雄藩にはすでに共通の了解事項だったはずですが、伊藤はどうしてそんなに警戒したんでしょうね。外国人ゆえ、いまひとつ信用できないと思ったのでしょうか。

2007/03/16(Fri) 13:47 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
アーネスト・サトウ
>諸藩の周旋や建白が木霊のように鳴り響いている割には、成果はいまひとつという状況を、サトウが皮肉っているのかもしれませんね。

この後、サトウは久留米藩士相手に「何らかの形で戦争が行われなければ問題は解決しない」などと言っていますから、土佐藩などの建白運動を冷ややかに見ていたということはあると思います。


>伊藤が言質をとられることを警戒しているようにも見えますね。将軍辞職要求を「討幕」だととられたくないというのが伊藤の本音でしょうか?

伊藤というよりは木戸でしょう。伊藤はサトウと面識がありますが、木戸は初対面ですし。
サトウは木戸には非常に好意的なのですが、片思い的な部分もありますね。

サトウは「天皇を中心に雄藩連合政府を作れ」という意見の持ち主で、木戸にも当然その話題を振ったと思われます。
ただ、長州藩は幕府に対して、表向きは恭順の姿勢を示していましたし、この段階では中央政局には何の発言権もない状況ですから、責任ある地位にある木戸としては「イギリスが内乱を煽っているのではないか」と警戒し、「長州藩主に野心はありません」と無難なコメントをしたんだと思います。
2007/03/17(Sat) 20:30 | URL  | 板倉丈浩 #/2jzPtOA[ 編集]
少し似ている【老婆の繰言(くりごと)】
童門冬二氏の著作『幕末・男たちの名言』(PHP文庫)で、桂は龍馬に「いつも、おばあさんの繰言ばかり言っている」と皮肉られた事を上げておられますね。史料でない為サトウとの談話を龍馬に報告する前か後か不明ですが、他者からは“逃げの小五郎”と認識されがちです。高杉晋作は桂の本質を見抜いており「古い家をぶっ壊すのは俺の方が得意だが、新しい家を建てるのは桂にかなわない」と理解しています。暴動を嫌い、皮肉られても辛抱強く、クールに事を見守るタイプである様ですね。暴れ牛の晋作が良き理解者なので、吉田松陰の教育はさすがですhttp://blog83.fc2.com/image/icon/i/F89F.gif" alt="" width="12" height="12">
2007/03/23(Fri) 00:38 | URL  | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
老婆の繰り言
吉田松陰大好きさん、こんばんは。
桂は龍馬にもばあさんの繰り言みたいだと言われていたんですか。面白いですねえ。
桂の場合、その慎重さが生き残りの秘訣だったかもしれません。とっくに文久年間に非命に斃れていてもおかしくないですから。
2007/03/23(Fri) 19:37 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
原因はこれか?
>吉田松陰大好きさん、桐野さん
 それってたぶん、この記事の最初のコメントでまいたけさんが紹介してくださった「坂本宛木戸書簡」と関係がありそうです。ああいう手紙をもらったら、お前も愚痴っぽいやっちゃなあと、龍馬でなくてもいいたくなるでしょうから(笑)。
2007/03/23(Fri) 20:18 | URL  | かわい #b7R9Co7w[ 編集]
繰り言
かわいさん、どうも。

こちとらが繰り言というか、くり返しになってしまったようですね。まいたけ君さんの書き込みを失念してしまいまっておりました。
2007/03/24(Sat) 23:35 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
私も繰り言
恐らく、まいたけさんのコメントに充分関係しているでしょう。慎重派の桂と、即行派の龍馬の性格や価値観の違いが見えますね。龍馬も『己の成す事は己しか知らない。周囲の者は何とでも言え』と言っているのに、この時の桂の内面は理解していない様ですね。龍馬に限らず、他も“己の成す事は天しか知らない”等言っているので、いかに理解者が少なく苦悩した事か(現在も同様でしょうが)。それにしても、人の意見を聞かない晋作が、よくぞここまで成長してくれたhttp://blog83.fc2.com/image/icon/i/F89F.gif" alt="" width="12" height="12">涙チョチョ切れもんです!桐野様、先のコメントは新しい日本語ですね!おもろいッス!
2007/03/25(Sun) 06:57 | URL  | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
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