歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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本日は信長の祥月命日(新暦ですが)。

昨日から上洛しておりました。
一番の所用は、霊山歴史館の木村幸比古さんを訪ねることでした。
大警視川路利良のご子孫を紹介するためです。

霊山歴史館には、川路利良の建白書全5巻を所蔵しており、それを拝見する目的もありました。
太巻きの巻子仕立ての建白書は圧巻でした。
とくに西南戦争についてのそれは、なかなかの力作に見えました。

歓談はつつがなく終わり、館内の展示も見せていただきました。
新選組の展示でした。

本日2日。
天気予報が見事に外れ、そぼ降る雨のなか、寺町の阿弥陀寺へ。
同寺の開山、清玉上人は信長の友人。その関係から本能寺の変の戦死者を供養した。
数ある信長の墓のうち、おそらく最初に建立されたものである。

阿弥陀寺

本能寺の変当日に在京しているのはおそらく初めてではないかと思う。
京都の史跡に詳しい友人のHさんと合流して参拝。
まず法要の前に墓所に行く。前回参拝したときとは景観が変わっていた。新たに整備されていた。森乱三兄弟の墓石の位置も微妙に変わっていた。

阿弥陀寺では信長・信忠はじめ、本能寺の変の死者の法要が厳かに執りおこなわれた。
同寺の関係者のほか、地域の檀家や一般参拝者まで、本堂は人であふれかえった。

法要が始まる前に、信長・信忠・信広の木像や位牌、
同寺所蔵の古文書類などを展示してあったので拝見。
光秀や秀吉が京都で奉行人をしていた頃の連署状があった。
とくに光秀の菱形の印判を初めて実見した。

写真撮影も外部に公表しないという条件で許可していただいたので、たくさん撮影しました。
もちろん、ここに掲載するわけにはいきません。
名古屋の中日文化センターの受講生の方もお見えで驚く。

興味深かったのは、信長の庶兄信広の木像や位牌もあったことです。
信広は伊勢長島の一向一揆との合戦で討死していますが、なぜ阿弥陀寺で供養されているのか、よく知りません。
法要には織田家の方々もお見えでしたが、どうやら信広の子孫のようでした。

その後、北野天満宮や等持院などの寺社・史跡を見学。
幕末薩摩藩関係の某史跡の周辺も何とか探し出せた。

最後、京都駅に戻ったら、友人の信長研究者和田裕弘氏とばったり出会う。
やはり、6月2日の縁なのかと思うことしきりだった。

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【2011/06/02 23:42】 | 信長
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